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留学の何がすごいか。14歳からのイギリス留学

留学でどんなことを学び、どんな努力をして英語を上達させたか、イギリスの寮生活、授業、スポーツなど自分の体験を書きました。


 レンガの壁、吹き抜けの廊下、ブレーザーの制服、寮、巨大な食堂、まさしくハリーポッターの世界にきたような第一印象でした。
14歳からの貴重なイギリス留学体験談です。

最初の三か月

入学の数日前から親と兄とロンドンで観光をして、 そのあとノッティンガムにある学校に移動しました。自分の入るハウス(寮)のキャプテンに手を引かれ、自分の部屋まで連れてってもらいました。親との別れの瞬間でした。今まで、スキーに行ったり、合宿に行ったりするのと違い、異国の地に知らない人、不慣れな言葉、全く人生で感じたことのない雰囲気に置き去りにされた感じがして、一気に不安になり、ホームシックや親への感謝など色んな思いが混ざり大号泣しました。当時14歳で、決して泣き虫ではなかったのですがその時は涙が止まりませんでした。
何をしていいかもわからず、一人ぼっちで部屋にいました。
こんな辛い孤独で辛い気持ちになったのは初めてでした。
兄は違う寮に入れられたので、同じような気持ちだったそうです。

ネイティブのイギリス英語だったというのもあり、言っていることは半分以上わからなく、言いたいことも全然言えませんでした。 小学校から英語を頑張って勉強して、少しは自信があった僕ですが全然ダメでした。
同じ寮にいる人たちは話しかけたりしてくれたのですが、会話もそんなに日本語みたいにできないのと、外人の雰囲気、気の合い方の違いに最初は慣れ親しめませんでした。最初の数日はかなりホームシックになりました
孤独で大変なスタートでした。

最初の3ヶ月は毎日授業が終わると、ノートや教科書の中で知らない単語があったら全部調べて書き出すということをしました。3時間でも4時間でもぶっ続けで頑張りました。chemistry やphysics などでは始めの方は知らない単語ばっかりだったので、大変でした。他にも、毎日シャワーで呪文見たいに英語を一人で喋ったり、暇さえあればいろんなシュミレーションを想像して一人で英会話してました。一人で会話中にすらすら出てこなかったり、表現の仕方や使っていい単語がわからない時はシャワー終わった後、辞書を引いたりしました。
基本的に学校のイギリス人は上から目線で気が合わない人がほとんどだったのですが、いい友達もでき、勉強の成果も出て英語がわかるようになり学校生活が楽しくなりました。

3ヶ月で友達の会話や授業もほとんど理解できるようになりました。努力あってこその成果でした。
学校全体に数人しか日本人がいなく、兄も違う寮に入りられた為、日本語を全然話さない環境だったのが良かったのだと思います。

3ヶ月ちょっとが経ち、学校が3週間ほど休みになり、日本に一時帰国しました。たった三か月なのに日本語がかなりかたことになっていてびっくりしました。毎日英語を聞いて英語で反応してたので反射的に英語が出てしまう状態で、脳の切り替えに時間かかりました。この変な現象は最初だけで今はほとんど起こりません。

休暇

大きい休暇は年に3回あり、夏は一か月ちょっと、春、冬は二週間から三週間の休みがあり、その度に学校を追い出されるので、3、4ヶ月に一回日本に帰国しました。
各学期の真ん中ではハーフタームという休暇があり、学校がホームステイを手配してイギリスの家族の家に泊まりました。ハーフターム以外にエクシアットという週末の休みもあり、ホームステイしました。2年目からは毎回同じ家に行くようになり、自分達を我が子のように接してくれて第二の家族みたいな感じになりました。イギリスで一番お世話になった人たちです。本当に優しい人たちでた。日本ではできないような経験もさせてもらいすごいいい思い出です。

スポーツ

部活というものがイギリスにはないので、授業の後にはシーズンごとに違うスポーツをやらされました。最初の年はラグビー、フィールドホッケーをやりました。ラグビーは完璧初心者で、体格的に周りと比べて小人みたいだったのにもかかわらず、次の年には一軍でプレーをするぐらいの時間レベルになりました。
ホッケーも始めてだったのですが、すごく難しいからこそ好きになり、友達と週末練習したりしました。
ホッケーは凄い勢いで上達し、活躍もして、凄い楽しくていい思い出です。三年目には一軍に呼ばれたこともありました。
2年目、三年目になると、スポーツが選択可能になり、ラグビーの代わりにスポーツホールに行って、バトミントンやバスケをしたり、他のシーズンには水泳や陸上競技もやったりしました。陸上競技の走り幅跳びと水泳は学校のチームに選ばれ、ラグビー、ホッケーと同様に大会に出たりもしました。
勉強なので忙しくなり、次第に早起きしてテニスをすることが毎日できなくなりましたが、時間がある限り練習しました。 2年目からテニスのシーズンの時はもちろんテニスをしました。

いろんなスポーツで、ハウス対抗戦が各term(学期)にあり、いつも一番楽しみにしていた行事でした。年の最後にはハウスソングという行事があり、全校生徒の前に各ハウスが歌と踊りなどを用意して、歌って踊ってパフォーマンスというもので、運動会や文化祭とかがない代わりにそういったものが一年の中の大きく、楽しい行事でした。
ディナー(2nd tea)とランチの間に、ファーストティーという時間があり、友達と食堂に行って、紅茶やクッキーを食べるのも楽しみの1つでした。

授業

イギリスに行って最初の年、remove(学年の名前) では一通り全ての教科を習いました。科学の授業などは特に難しいく、英語に慣れるまでは苦労しました。 授業の他に、CCF(軍の練習)が毎週月曜日にありました。イギリスの軍でやるようなことの経験など、最初は何故こんなことをしてるんだと思いましたが、楽しかった時もあり、今になるといい経験だったと思います。

授業は必須科目と選択科目があり、シックスフォーム(高校の最後の2年)になると4科目、3科目と選択した教科に絞る制度になってます。その前までは必須科目6、7教科(あまり覚えてません)と選べる他の数教科があります。シックスフォームで何を勉強するかをフォースフォームからフィフスフォームまでの経験や得意不得意などを考慮して、決めます。シックスフォームに上がるまでに将来を決めるといっても過言ではありません。シックスフォームでなにを勉強するかによって、将来どういう職につくかまで大まかに決断しなければなりませんでした。

僕は選択科目でアートとDT(Design and technology) をとりました。
もともと工作やアートが大好きで得意だったので、最高の選択科目でした。2つともlower Sixth (シックスフォームの一年目)までやり続けました。

授業は基本一コマ50分でしたが、大体の科目が2コマ続けであったので、授業は長く感じました。朝9時くらいからの授業の前に、週にチャップルや、校長集礼などがありました。クリスチアンの学校だったので、聖歌を歌ったりお話をチャップルで聞いたり、キリスト教の礼拝をする生徒もいました。

テストは年の最後に大きい全国共通の試験がありました。学校の成績は授業中のテストや授業態度で決められますが、年末の試験の方が大学に進学したり、就職するために必要重視されるものでした。
5th form (15-16才)の終わりにGCSE(全国共通の試験)がありました。自分がやってる教科全ての試験です。英語がネイティブに比べて全然劣る自分だったのですが、それなりに試験前は毎日頑張って勉強して悪くない結果を取ることができました。その次の年、高校の最後の2年はA-levelという試験に変わり、それも頑張って一年目のA-levelは満点も取ったり、かなりいい結果を出すことができました。高校最後の年はイギリスの高校を辞めてアメリカに移ったので、アメリカで一人で勉強するという大変なことをしました。アメリカの話は次回のノートに載せたいと思います。

友達

学校の先生はみんな優しくていい人たちでしたが、生徒はみんなそうではありませんでした。半分以上がクールを気取って上から目線で話しかけてくる人達が多かったです。そういう人たちは中国人を差別する傾向があり、アジア人やクールにしてない人たちに対しても、同じ目線で喋ってこない人たちが多かったです。日本人に対しては優しく接してくれるのですが、表面だけの優しさと感じることが多かったです。そういう言葉の壁や人種の違いもあり、本当に優しい人たちとしか心地よく仲良くなれませんでしたがそんな中できたベストフレンドたちは今でも最高の友達です。

ほとんどの仲のいい友達は違う寮の人たちが多く、自分の寮の友達はフルボーダー(寮に泊まる生徒)じゃなかったので夜、宿題が終わるとほぼ毎日友達のいるちがう寮に行ったりして遊びました。各寮に、ビリアードかフッスボール台が置いてあり、それで遊んだりもしました。

イギリス人の平均身長が180以上あり、190近い人がゴロゴロいたので毎日自分が小人のような感覚でした。

食事

学費は私立だったので高めでしたが学業の奨学金が僕と兄には出てたので助かりました。それでもお金のある家族ではないので、いつお金の問題で日本に帰らないといけないかわからないような状況でした。親は心配ないと言ってましたが”心配なくない”と僕は思ってたので、外食はもちろんしないで、スーパーや学校の売店お菓子や物を買ったりもほとんどしないで、周りの人と比べたら異常に節約して親への負担を減らしました。
イギリスの食事ははっきり言って美味しくありません。それなので、美味しいものが食べたい欲で満ち溢れていて、みんなは週末にピザをデリバリーで食べりしてました。僕も食べたかったのですが我慢して、残り物を食べたりしてました。
イギリスで唯一好きだったのが、カスタードをかけるデザート、イングリッシュブレックファーストです、グレイビーソースをかけるローストターキーです。今でもたまに食べたいなと思います。しかし他の料理、特にチキンは美味しく食べられるようなものではありませんでした。

学んだこと

イギリスで学んだことは英語以外にたくさんあります。人生の中で自分を一番成長させた三年間でした。他文化に飛び込んで、知らない人たちと喋れない言語で接して、そんな中困難を一人で乗り越えていく、この貴重な経験は自分を大人にしました。 親元をを離れて違う環境で生活してからこそ始めて知った親への感謝も学んだことの1つです。

成長期でこのような経験をしたので、さらに良かったと思います。日本にいて普通に進学し、もしそれでいい高校や大学に入ったとしても、イギリスに行って世界を知るようなことは絶対できませんし、こんなに自分を成長させることはなかったと思います。

終わりに

イギリスに行ったことによって、視野や考え方が広がり、世界を知り、感謝を知り、苦労を知り、幸せを知りました。個として自信もつき、胸を張って歩けるようになりました。イギリス英語を喋れることも誇りです。毎日努力したからこそ得られたものだと思います。
今現在、思い返してみるとイギリスの三年間は一番内容が濃く、大変だった思いもありますがなによりも人生で一番楽しかったと思います。
この経験は宝物です。
イギリスで学んだことは今の生活の中でも毎日生かされていますし、これからもずっと今の自分を作った三年間として生かされ続けるでしょう。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
僕の他のノートをまだ読んでない方は是非読んでください!初記載のノートに自分の人生の目標が書いてあります。
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