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17歳でテニスの道を選んだ背景 (2) イギリス留学からテニスの道へ

無謀ともいえる過酷な道を選んだ僕のストーリ、前回の続きです。

中学生に上がり、親の夢でもあった留学を決意しました。
アメリカではなく、ヨーロッパの英語圏の学校に行くことにしました。
日本に、ヨーロッパのいくつかの学校の校長が直接きて、説明会や生徒を集めたりする機会があり、自分は外せない予定があって出席することはできませんでしたが、親が代行で自分の成績表を持って参加してくれました。
スイスの学校やイギリスの学校などに、ぜひ来てください!奨学金援助もします。と言ってくださり、最終的にイギリスのボーディングスクール(寮学校)に通うことに決意しました。
親の知り合いの息子さんもそこを卒業して、すごいいいという話を聞いたので、決めた時は緊張と期待の両方でした。そんな気持ちの中、イギリスに旅立ち、親元を離れた外国生活がスタートしました。

イギリスの学校のこと、経験、学んだことなどは別のノートで記載したいと思います。

イギリス2年目になると、PE(physical education)の授業で、テニスがありました。ここでやっとテニスが登場してきます。
実際テニスは小6から中3の途中まで週に一回、1、2時間だけ習っていた程度でした。(これはテニスをやっていたとはカウントしません)
イギリスの授業でしたテニスは2年ぶりで、久しぶりにやってすごい楽しくて、今までそんなに好きではなかったのが好きになりました。

2012年にはロンドンオリンピックがありました。
ロンドンに電車で行ってオリンピックを見るお金も時間もなく、学校の寮や、友達、ホームステイの家からウィンブルドンを見てました。

他の競技でもオリンピックで頑張ってるアスリート達を見て、自分も本当はああなってるはずなのに...とすごい悔しい気持ちになりました。同時に、もしかしたらまだ遅くないかもとも思いました。 もちろん一般的、現実的に考えたら不可能に近いことです。
それでも自分ではもしかしたらできるんじゃないかと思いましたが、だれにも言わず、その時のその思いは心の片隅にしまっておきました。

高校の2年目になるとイギリスでは進路を決めなくてはなりません。自分が大学でなにをしたいのかというより、将来なにをしたいのか、そのために大学ではなにをするのかを決めなくてはなりませんでした。プロのアドバザーが学校に来て一体一で話をした時、自分はプロのテニスプレーヤーになりたいと言いました。
その時のアドバザーにこう聞かれました。
いまナショナルチームとかに入っているの?
もちろん僕は首を横に振りました。
そうしたら、そんなの不可能だからもっと現実的になにかやりたいことはないかといわれ、完全にスルーされました
はっきりいってムカつきました。いわれたことは普通に考えたら正しいことなのですが何か納得が行きませんでした。

テニスプレーヤー以外これといって将来なりたい職業などは思いつきませんでした。思いついたとしてもそれは本当にやりたいことではないと自分で思いました。

オリンピックのすぐあとに数週間の学校の休みがあり、日本に一時帰国しました。その時親と、オリンピックの話や将来の話になりました。 その時僕は親にボソッとこう言いました。
これから勉強頑張ってケンブリッジとかオックスフォード大学に進学して親孝行するよ。熱意のない言い方をしました。
親は少し驚いたようにこう聞き返しました。”え、私のためにいい大学に行こうとしてるの?本当は自分はなにがやりたいの?”
僕はこう答えました。


テニスプレーヤーになりたい

その一言を言うまでは、どうせもう遅い、無理かもしれないと思っていましたが、口にした後、自分はテニスプレーヤーになりたいと確信に変わりました。
親は驚いていましたが、本当にやりたいことをやりなさいと理解してくれて、自分を信じてくれました。
昔から自分のやりたいと言った習い事をやらしてくれて、人生に関わる重大な決断に関しても、同じように僕を信じてくれて感謝しきれないほど感謝してます。
外国に行ってテニスに特化した生活となると、普通の留学と同じか、より費用がかかりますが、親は収入、貯金を全部を僕と兄の夢のために使う覚悟をしてくれました。

これが17歳の時でした。

早速、イギリスに戻ったら毎朝早く起きて、学校が始まるまでの時間テニスの練習を兄としました。コーチはもちろんいないので、自分たちで上手くなるしか方法はありませんでした。
そして、ハーフタームの休み(一学期の真ん中に一回ある休み)に、世界で一番のアカデミーとも言われてるフロリダのIMGアカデミーに1週間だけ行きました。テニスはほぼ初心者といってもおかしくない自分でも他のプレイヤーと差はそんなにありませんでした。その時の他のプレイヤー達もレベルはそんなに高くはありませんでしたが、少なくとも自分よりもテニス歴は長い人達ばかりでした。
初めてのアメリカ、初めてのテニスアカデミーでの1週間は自分に今までにないくらいの影響を与えました。本当の人生の目標が見えた気がしました

もう自分には時間がない、死ぬ思いで頑張るぞ、やってみせるという気持ちになりました。

こうしてイギリスで勉強をしながら毎朝テニスの自主練をし、一年たった時、イギリスの高校を途中でやめてアメリカに移ることを決意しました。いろんな人に反対されましたが、応援すると言ってくれる人たちもいました。無理だと馬鹿にした人たちをなにがなんでも絶対将来見返してやるとハングリー精神に火が付きました。

この決意は人生で一番大きい決断だったと思います。

自分が昔から人並みはずれた運動神経、習得の速さがあったこと、昔からのオリンピック選手になりたいという夢、その2つがあったからこそそれを信じて出した決断でした。

こうして僕のテニス人生が始まりました

次回のノートは、アメリカの話に移る前にイギリスの経験を語りたいと思います。イギリスで学んだことは人生で一番貴重な経験で、宝物です。若い頃の留学生活はどういうものなのか、興味深い内容にしたいと思います。
次のノートも読んでくれると嬉しいです!

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財政的に本当に厳しい中、これからも夢を追い続けられるよう、資金が少しでも集まれば本当に助かります!

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