禅僧の「雑阿含経巻第15-389」講話メモ書き2日目
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四諦の教えを良医に喩えている
一者善知病(病気のことを良く知っている)
謂良醫善知如是如是種種病
いわゆるよい医者というのは、これはこういう病気である、これはこういう病気であるということを良く知っている
二者善知病源(病気になるのは何故なのかを良く知っている)
謂良醫善知。此病因風起。癖陰起。涎唾起。衆冷起。因現事起。時節起。是名良醫善知病源。
いわゆるよい医者というのは、例えばこの病気は空気感染によって起こり、この病気は悪い癖からおこり、あるいはこの病気は飛沫によって起こり、これは冷えによっておこり、これはこういう環境下によって起こり、これはこういうタイミングで起こるなどということを良く知っている。
三者善知病對治(その病気の治療について良く知っている)
應塗藥應吐應下應灌鼻。應熏。應取汗。如是比種種對治。
この場合は塗り薬、こういう場合は吐き出させないといけない。こういう場合は下剤がいい。こういう場合は鼻を洗う。こういう場合は、点鼻薬。こういう時は汗を拭ったほうがよい。など、その病気に対してどのように対応したらよいのかを良く知っている。
四者善知治病已當來更不動發。(病気を治療し、さらには予防することを良く知っている)
令究竟除。於未來世。永不復起。是名良醫善知治病。更不動發。
病気を治療し、さらにこの先その病気が再発しないようにするにはどうしたらいいか、治療の道筋や予防について良く知っている
以上は、四諦に対応している。
四諦と対応する医者のたとえ
苦諦
病気があるように苦しみがある。
苦集諦
何故苦しみがわきあがるのか?
病原体だけではなく、その周りの環境を他己とするならば、病気になる人体は自己。病原体や環境のことのみならず、人体のこともよく知っておかなければならない。
苦滅諦
治療するとは、その病気を自分の体にとって無害にし、さらにそれ対応する力に変わる。苦しみを対応できる力に変える。
病気自体は根絶できない。(この世から病原体を全て消すことはできないという意味)
免疫や抗体ができるということは、病気にかかることによって、それに対応できる力が生まれるということでもある。
病気を無くすわけではなく、変化させるといったほうがよい
苦滅道跡諦
実際に治療すること。予防すること。その道筋と実践。これが仏道ということになる。
知っているだけで実践しなければ、結局は治療できない。
病気によってさまざまな道筋があるように、苦しみによってもその道筋は違う。
考察
原文には「老病死憂悲惱苦根本對治」とある。要するにその場しのぎの対応ではなく、根本治療であるということが書かれている。
この点を少し考察すると、以下のように思った。
例えば、頭痛がしたら、薬を飲む。結果として体調がよくなったとしても、また次は頭痛になったら薬を飲めばいいと考えてしまう。
頭痛のたびに薬を飲むことを覚えるが、かえってその薬が頭痛の原因になることもある。薬には副作用もあるからだ。
また知識がないまま、その副作用によって起こる症状をまた薬で対応しようとすると、また副作用のリスクも増えてしまう。
その頭痛の原因が風邪なのか、なんなのか、知らずにその場のしのぎの対応をすることでかえって、それが頭痛の種になってしまうことがある。
頭痛になることは仕方がないが、頭痛にはその頭痛になる原因がある。例えば風邪なら菌やウイルスがある。それはどこにでもある。
一時的な対応として、薬を飲むことも有用。そして風邪であれば、私達は食事や運動などを適度に行うこと免疫があがり、手洗いうがいを心がけることで、それらの菌などが身体に悪さしないように対応できる。
肩こりなどであれば、日頃のライフスタイルや癖も一因だろう。そうするとその習慣の見直しも考えなければならない。
つまり、病気になったら治療=薬と安易に考えるのは問題なように、苦しみがある(苦諦)のであれば、薬を飲めばいい(滅諦)というようにとらえてしまうのは間違いであることも、この喩えから見えてくる。
むしろ病気はなくならないし、その病気にかかることによって、私達は病気や自身の体と向き合う必要がある。そしてそれらを知ることで、その病気に対する治療を知り、予防法を知る。その病気を知ることで、それらに対応できる力になっていく。
その力をどのように行じていくか、それが道ということだろう。
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