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修羅の現世、ぶっちゃけ酔っていなければ書けないことの方が多い #呑みながら書きました

miなさま、みなさまこんばんは。おいさしぶりです。お久しぶりです。
最近は毎回こんな書き出しです、嶋田です。

毎度恒例の飲み牡蠣、のみかkい、呑み書きイベント、十二回目だそうで。
相変わらずフル参戦継続中です。マウント取る道守は、つmりは、つおりは、つもりは毛頭ないんですけど、何気にちょっと誇れる肩書き。えっへん。

さて、ここんとこ小ネタを一本にまとめるというチートじみた酸化の仕方をしてましたが、酸化はしてないよ、参加だよ。今回はちょっと違います。最初から宣言しときます、めちゃくちゃ重めの話です。
ちゃんとした文章にしようと思ってたんですけど、無理でした。それこそ、呑みながらじゃね愛と、じゃないと書けない。

とりあえず一本目。酔いnote達に乾杯。

じむびーーーーーむ。こんなに甘かったっけ。

えーと。遠回しに言うと、個人的に前回の呑み書きから取り巻く環境がガラッと変わりまして。角度で言うと960°くらい。二周と半分強。
いや、別に転職したとか引っ越したとかそういうのじゃないんですけども。その影響で二ヶ月近くもろくにSNSを開くことができませんでした。あのツイハイ、ツイ廃の僕が。

僕の企図しないところで、この文章を読んだ方を傷つけたり、トラウマを蘇らせたりすることがないようにちょっと間を開けますね。






祖父が亡くなりました。急逝ってやつです。
急にも程があります。当人、もしかしたら自分が死んだことに気づいてないんじゃないかなって思わされるくらいに。コロリと。

なんなら僕、前々日に会ってしゃべってるんだもの。『来たついでに、彼処のあれ、チェックしといたよ。ちょっと手入れといた』『おぉ、ありがとなぁ』なんて。それが最期のやりとり。どっちも、まさかこんな日常のささくれみたいな会話でお別れになるなんて思っちゃいない。

さようならくらい言わせてほしかったってもんだ。
それだけは言いたいんだよ、帰ってきてくんねぇかな。


急だろうが急じゃなかろうが、そこからの怒涛の日々は変わりなくて。
病院にいる時点で葬儀屋の手配とか日取りとか決め出して、病院外でなくなったからと警察のどうしようもなく無駄で同じ話を何回もさせられる聴取を終えて、自分の運転ですっ飛んできた僕は、一人泣きながら元来た道を在所まで引き返して。
そして世はコロナ禍。御多分に洩れず、葬儀の参列者は最小限、弔問客の時間は固定。通夜振る舞いや弔いの会席は家族だけ、なんて可能な限りコンパクトに。当人がこの形を望んだかどうかはわかんないし、申し訳なさは残るんだけど、『この規模ですらこんなに大変なのか』と思わされるくらいにはしんどかった。
し、まぁ…葬式につきものな【ピーーーーーーーーー!!!】【馬キューーーーーーん!!!!】だったり、【ボカーーーーーん!!】なんて目にはあわなkったから、個人の野菜に、は?野菜?優しさがそうさせてキレた。キレてないんよ、いや実際キレそうな案件はいくつかあってここに書き殴りたいくらいなんだけども、そうさせてくれたんだと思うようにしてる。


あとね、四十九日も勤め上げた今、これkら極力口にしないと決めたフレーズがあります。あくまでじrんだよ。自論。

長生きしてね。

よく聞くし、口にしガシな、しがちなフレーズなんだけど、残されたばあちゃんをを見るにつけ、これって、本当に相手を思いやっている言葉なのかなって思うようになっちゃって。
この言葉、自分で噛み砕くほど、”いずれ残される側”のエゴでしかないよなって。相手を思いやっているように感じられるけど、実際はそれが自分に向いてるんじゃないかと。
いやそりゃ長生きして欲しいのは確かよ。ジジババ孝行し損ねてる、マジで。
でもね、ここで立ち止まって考えてみる。
”どうして長生きして欲しいの?”という命題に対する解が全部自分本位なものになっている気がして。

例えば、僕が「爺ちゃんは亡くなっちゃったけど、ばあちゃんは長生きしてよね!」と言ったとする。

この言葉を突き詰め、真意をサグればこうなるんじゃないかと。

(あくまでうちの場合)爺ちゃんは亡くなる前日まで大好きな採れたての山菜の天ぷらを肴に、これまた大好きな酒を飲んで、杖つくことなく自分の足で自由に歩いて、風呂もシモも人の世話になることなく、なに不自由ない人生を全うして逝った。でも、ばあちゃんは、この先もパートナーを牛なった、牛になってないのよ、喪った遣り場のない寂しさあを抱えたまま、(極端な解釈をすれば)杖や車椅子姿になろうが、自分で自分の世話ができなくなろうが、この世にいてね(なぜなら僕らが寂しいからです)。

ましてや、50年以上も—喧嘩したり毒づくことはあっても—なんだかんだでお互いに必要不可欠だったパートナーをいきなり喪った、そんな近しい人がこれ以上ないショックに打ちひしがれている姿を見せつけられたら、なおさらそんな言葉かけられない。
間違いなく本人が望んでいないような状況下にいきなり放り込まれて、オブラートに包めば『スネ夫をころして、ぼくも死ぬ!』みたいなメンタルになっているんだもの。
僕らが長生きを望んでいても、果たして本人がどう思っているかといえば、正直微妙だと思う。


書きたいkと、酒に任せて書けただろうか。うう〜ん、微妙。
今回ばかりは人に見せる文章じゃなかったかもしれないな…それでも最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

今日はこの辺で。皆さんの酔いnoteにお邪魔できるkとを楽しみにしています。

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