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私たちは皆、精一杯生きる「残された者」である。

高校の時にロックバンド好きなクラスメイトがいて、そのコが持っていた雑誌をなにげなくパラパラしていたら、YOSHIKIがメンバーについて語っている記事が載っていて、うろ覚えなんだけどYOSHIKIはこんな表現をしていた。

「僕が水溜りに落ちて足掻いていたら、一緒に音楽をやろうと言って水溜りの中に入って来てくれた仲間」

この文を読んだ時に、YOSHIKIて一生癒えることがない傷があるんだな…と思った。
足掻く水溜りの中のYOSHIKIに手を貸してそこから「引き揚げてくれた」仲間ではなく、一緒にやろうと言って水溜りに「落ちて来てくれた」仲間だということが「共有するのが精一杯」なのだという印象を抱かせた。

大人になってから見た動画の中でYOSHIKIが「父親を自殺で亡くした傷が癒えることはない」と言ったのを聞き、高校生の時に私が抱いた「共有するのが精一杯の傷」はコレだったのか…と胸が疼いた。

すべてのひとが何かしらの傷を負い、癒えたり癒えなかったりして過ごしているとは思うけど、YOSHIKIの弱さの見せ方はなんて強いのだろう。
自分の弱さを存在意義に結び付けて生きることに活かすのを、癒えないままやる弱々しさ。
前進しようともがく弱さには、意志の強さがある。

やみくもに前進することになってもいいから、強い意志で弱さを見せられる自分でいられるように。
なんとか進んで生きるためには、自分を縛っているコトをゆっくりとひとつずつ手放す必要があるのだろう。
今すぐにでなくとも、急がなくてもいいから、手放そうとだけ思えばラクに進めはしないか。
強くなろうとするのではなく、弱いままで手放してはダメか。

「強く生きよう」と思う時、だいたいひとは弱っている。
「強く生きよう」と気合を入れて弱っている時に私は、バイク事故で急逝したYOSHIの告別式でのYOSHIKIのインタビューを見た。

インタビュアーの質問に答えながらYOSHIと交わした言葉や思い出を語るYOSHIKIは、前に私が感じた時と同じかそれ以上に、弱さの見せ方が強かった。
なんて強いひとなのだろう…とつくづく思ったのは「残された者として今後どうしていきたいか」と問われた瞬間。
インタビュアーの「残された者」という言葉をそのまま「残された者?」とクチにして反芻したYOSHIKI

私にこの言葉が言えるだろうか。
まだ残されたという感覚がない時に。
死の実感を受け止め切れていない最中に「残された者」として今後を考える余裕のある人間がいるのだろうか。
今後どうしたいかを、言葉で絞り出せるだろうか。
誰かを亡くし残された経験があるならわかるはずだ、告別式の時点で「残された」と感じるひとはまずいない。

「残された」自分がどう感じ、どうしていくかは、新盆が終わって1年くらい経った時。
さてこれから…と一息つけるようなタイミングになってようやっと、この身近な死を自分がどう生きるかに活かそう、そう思える。
それにまず1年はかかる。

そう思ってからが本当に寂しさを感じる期間だし、この時から後悔の数々を思い起こす時間を重ねる日々になるのは、誰にだって経験があること。

YOSHIKIは言った「残された者は精一杯生きるしかないんじゃないか」と。「僕に限らないと思うんですけど」と。
精一杯生きるしかない今を皆が生きている、残された者は全て。
忙しさにそれを忘れてしまうこともあるけれど、それは自分に限ったことでなく残された者すべてに言えること。
私たちは誰かの死に直面する都度、そのことを知る。
精一杯生きていくことをしなければならない、と。

それを思い出し、再びそのことに胸を痛め、それしかなくなる、それが告別式に参列する意味かもしれない。
私たちは皆、誰かの死を受け止め切れずに癒えながら精一杯生きる「残された者」なのだ。

インタビュアーにYOSHIとのレコーティングがいつだったかと聞かれて、思い出しながらYOSHIKIは、自分に言い聞かせるように「覚えてる」と言った。

「10月10日だ。そのレコーディングで僕は」

そこまで言ってYOSHIKIは何も語らなかった。
何があったかを言わなかったけれどもう一度「覚えてる」とハッキリと言った。
その言葉はインタビュアーにではなく、自分に向けて言った。
そんな「覚えてる」だった。

そっか。
「覚えてる」ことが大切で、ただ「覚えてる」だけでいいのか。
「忘れない」でも「思い出す」でもない。
覚えてる。

私は自分自身がどう感じ、どう考え、どう選択し、どう生きるか、ちゃんと覚えておこう、と思った。
これまでに出会った人たち、これまでに経験した別れ、その人たちと交わした会話、いちいちをまだ覚えている。
そのうち忘れてしまうことも中にはあるかもしれないし、何かの折に思い出すこともあるかもしれない。
でもそれは全て「覚えてる」てベースがないと、忘れてしまうことも思い出すこともない。

今は「覚えておこう」と唱えるだけもいい。
これから先「覚えてる」と自分に向けてちゃんと言えるように、いろんなことを確かめながら生きていければそれでいい。

残された者のひとりとしてアナタにも自覚して欲しいのだ。
アナタが生きているということに価値がある。
そのことを常に「覚えてる」状態であって欲しい。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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