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旅の時間、遊びの時間、村上の時間

「村上行かない?」
「何の町?」
「鮭。」
「最高、行く。」

文字通りの二つ返事で、新潟県村上市へ友人と二泊三日の旅に行くことになりました。

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計画を立てる過程、非日常感、食、景色、アクティビティ、出会い──。

「旅」のどこが好きか、と聞かれると上記のような答えが返ってくるだろう。

世の大勢と同じく、私も人並みに「旅」が好きな人間だ。

私にとって、旅の魅力は「移動」であった。それもただ動けばOKというわけではなく、直線的な移動であることに意味がある。

物理的に真っ直ぐな移動ではなく、どれだけ進んでも二度と同じ場所には戻ってこない移動、それがここで言う「直線的な移動」だ。山手線をグルグル回るような「円環的な移動」は私にとって特別な意味を持たない。

直線的に移動する中で、都市から町へ、町から田園へ、田園から豪雪地帯へ、そしてさらに進んだ先で見知らぬ土地に辿りつく。自分以外に無数の人間が何度も足を運び、雑誌やテレビで呆れるほど語り尽くされてきたその土地に移動しつつある時間──。「目的地について詳しく知らない」という下らない理由だけが、その時間を魔法にかけたように特別な時間に塗り替えてくれる。だから円環的な移動ではダメなのだ。

「移動」にはそれ自体に特別な魅力がある。

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東京の上野駅を発し、越後山脈を抜けて日本海側の新潟市にまで至る上越新幹線は「移動」の魅力が濃縮された路線だ。しかし、村上市に着いてからの経験が、それを遥かに上回る素晴らしい「直線的な移動」となった。

村上市にて、私たちは色々な縁で知った一軒のゲストハウスに宿泊しました。

村上駅に着くと、オーナーに車で駅まで迎えに来てもらい、町をグルっと案内してもらった後、大通りからはずれて裏通りを進んだところにあるゲストハウスに到着。

民家と見紛う外観に意表を突かれたのも序の口、玄関からゲストハウスのなかに招き入れてもらうとそこは「家」だった。

レジや観光案内の地図も無く、宿泊施設によくある観光パンフレットの類もほとんど目立たぬ場所にささやかに置かれていた。奥に長い畳の和室にソファ、アンティークの階段箪笥、ストーブ、こたつがあり、こたつの中からはオーナーの7歳の息子が隠したゲームソフトのケースが出てくる──。

家のように演出された宿なのだろう、とその時は思った。

しかし、家が宿として機能することもあるし、宿が家になることもある、ただそれだけのことに気付くまで数日も掛けてしまった。

簡易的なチェックインが終わり、オーナーさんに「実はほとんど予定立ててないんです…」と伝えると、「分かりました!」とガッツポーズをいただき、即席で市内の観光計画を提案してくれた。

オーナーさんの提案を受け、鮭料理の料亭やお茶の専門店に行き、市内を楽しく回った。しかし何より良かったことは、ガイドブックでは見つけられなかった宿の近くの地元のバーを紹介してもらったことだ。

温泉に浸かり、夕飯を済ませた後、このバーに向かった。

バーに入ると、そこは他の鮭料理屋やお茶屋、和菓子屋とは異なり、シンプルなカウンターにボトルが敷き詰められたシェルフ、温かな橙色のランプという、「これぞバー」な空間が広がっていた。村上要素があったとすれば、京町特有の奥行きが長い建築構造ぐらいではないだろうか(ちなみに建物正面が小さく、奥行きが長いこうした建築構造は「鰻の寝床」と呼ばれる)。

入り口右手には文庫本と単行本が詰め込まれた大きな本棚があり、定番からニッチまでの数々のタイトルが私たちの目を釘付けにする。「私が歩くメニューです」と笑うマスターに飲み物を注文し、素敵なバーですねなんて話しているうちに、いつの間にかマスターがバックパッカーをしていた頃の話、『深夜特急』が流行った時期のインド旅行の写真を見せてもらったりしてすっかり仲良くなってしまった。

旅行中に二度同じ店に行くことは原則しない自分だったが、このバーには結局2日連続で通うことになった。「行くでしょ?」という勢いで引っ張ってくれた同行の2人にはめちゃくちゃ感謝している。

この夜もマスターや新潟市から旅行に来ていた別のお客さん、酔っぱらって呂律が回らなくなった地元の常連さんと話が盛り上がったり、おもむろにキッチンに入りだした私の友人を動画に撮ったりしている間に深夜1時となり、閉店と同時にお開きとなった。

これほど終わって欲しくないと願った時間は久しぶりだった。

同じ店に二度行くということは景色の変わらない移動、つまり「円環的な移動」と思っていた。だから旅行中に同じ店に通うことなど考えも及ばなかった。

しかし、そこに人がいて、自分も風景の一部になり、見知らぬ人と乾杯を交わす、そのプロセスの中で昨日とは違う別の空間に変わり、「直線的な移動」となることを発見した今、同じ店に行くか行かないかなんて些末な価値観に過ぎないと分かる。

これが旅か、と目を見開かされたような気がした。

そんなこんなで、村上市での思い出の半分はこのバーに持って行かれた気持ちがする。もう半分は、ゲストハウスとそのオーナーとその可愛い息子さんに。いや、寒い外で食べた味噌団子とポッポ焼きもあった。どこに焦点に合わせるかで万華鏡のように記憶の色彩が移り変わる──。

いずれにせよ、一言でなにとはまとめられない。Zipファイルのようには圧縮できない経験ができたことが旅行中に感じていた喜びであったし、それを思い出している今の喜びでもある。

同行の2人は「5月も来る!」と盛り上がっていて、流石に時間を置きたい自分は「次は11月かな」と若干水を差すかのような感じに話したが、今では彼らの気持ちは分かる。

村上はもはや旅行先ではなく、気軽に遊びに行きたい「友達の家」になっていた。そう考えるとまた明日にでも村上に、あの宿に、あのバーに遊びに行きたい気持ちが立ち上がってくる。

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今回の旅行ではゲストハウス〈よはくや〉さんに大変お世話になりました。また遊びに行かせてください。


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