寄り道をして見えてきた景色は、とても美しかった。

「ご卒業おめでとうございます」と、先生からメッセージが来た。『ああ、まただ』私は敗北感に襲われる。何故かと言うと、私は卒業ができないのだ。でも、大学4年生というだけで、周囲は『就職』『卒業』というキーワードを連発する。大学4年生にはそれしか選択肢がないかのごとく。

一年前、私はまさか自分が卒業できないとは思ってもみなかった。私はどの課題も全力で取り組み、課外活動からも学び、制約の中で最大限の成果を出した完璧な学生生活であった。一年前の私は、ひたすら卒業と就活というゴールに向かって走っていた。

ところが、トラブルの連発で、歩けなくなり、呂律も回らない状態になった。保健室では病院に行くようにと言われるも、お金がなく、病院に行くだけで健常者の何倍もの労力を使う。自分の症状を医師に伝えようにも、言葉が出てこない。この段階で、私はお金がないことの悲惨さ、祖母にお金を無心することの情けなさ、病人が人を全く頼らずに生きることの難しさを痛いほど身にしみて感じた。だって、『助けて』と言っても、一体誰が助けるのでしょう?助けを乞うても、自分がいかに大変かを説明しなくてはいけない、人に借りを作ることにもなるし、だからといってチップが渡せるほどのお金はない。悲観しているのではなく、これが現実なのだ。

これを悲惨だと思う人がいるかもしれないが、気づくことは多かった。言葉が扱えなかったことにより、泣きわめくしか意思を伝えるすべを持たない赤ちゃんの気持ちや、寝たきりで自分がやりたいことをやることができないお年寄りの気持ち、両親がいない孤児たちの気持ちが分かるようになった。

つまり、自分にとってのスタンダードは、他者にとってのスタンダードではないのだ。当たり前のことだけれど、やっぱり人は気づかないのだ。人は自分の経験や知識をもとに世界を見ている。自分の想定外の苦しみを持っている人もおり、それは自分がいくら想像力を働かせても気づけないことが沢山ある。

そして、社会のシステムは、人間が考えて作ったものであるため、マジョリティや想定できる範囲の苦しみを抱えた人は社会システムでカバーしようという配慮がなされているけれど、想定できない苦しみを抱えた人にまで配慮できていない可能性があるのだということに私は気づいた。

そのように考察していったとき、私が大学4年生であり、『卒業』『就職』するという道はマジョリティであるけれども、それがたった一つの道ではないという考えにもなった。

そもそも、この学校システムがどこまで完璧かということも分からない。だって、今の大学システムの原型ができたのは中世であるが、それから時代はかなり変わっている。印刷技術の発展で知が出版物を通して広く普及するようになったし、今ではインターネットという技術で、一流大学の講義をどこでも聞くことができる。それなら、大学そのものも原型から変わっていてもおかしくはないのではないか?つまり、働きながらでも勉強はできるので、悲観する必要はないという考えに至ったのである。

私は大学から撤退せざるを得ないことにより、別の選択肢が沢山あることに気づいたのだ。再度留学資金を集めることだってできるし、NPOを立ち上げる話も出たし、事業継承の話も出た。起業という道だってある。それなのに、私たちは大学に集まる求人票だけが進路だと錯覚してしまう。

そこに道がなければ、道を作ればいい。
ないものを作るのがイノベーションであり、社会の発展である。

そういう自分の精神が伝わったのか、私は来月から日本初の農作物の輸出システムを構築する事業に携わることになった。

これが成功すれば、日本の農業は変わり、社会へ恩恵が及ぶだろう。そうすれば、これまで学生生活を支えてくれた楠田育英会で言われた通りの使命を果たせるので、ほんの少し、安心したところである。

とはいえ、これで満足できる私ではない。自分が苦しんできたのは、より多くの洞察をし、社会課題を解決するためだと思っている。農業や輸出分野にかかわらず、人の苦しみが消え、人の幸せが増す道を今後も模索していくので、皆さまご協力をお願いします。

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