怒り狂う男

   怒り狂う男

 ある男はしょっちゅう憤慨して居る。私が彼を思い出すとすれば、仁王立ちで腕組みをしている姿しか思い浮かばない。わずか一か月で私は彼が怒り狂う姿を三度見た。怒り狂うという言葉にてわかるように、静かに沈黙の上で彼が怒るのではなく、唾を吐き棄てるように叫んでいる姿が想像されるであろう。よって、彼の場合は「怒る」ではなく、「怒り狂う」の言葉が適当なのである。それを目の前の光景として見ている私はと云うと、そりゃあ拳を握って笑いを堪えて居るに決まっている。一体何に怒っているか全くわからぬが人を責めている事は確かである。はて、彼は人が不完全だと云うことを知らぬ人間だなと思う。屹度、自分の仕事は完璧だと思っているだろう。そして彼は仕事をきっちりとこなしているのだろう。屹度彼は自分が一番に出世すると思っているはずであるが、私はそうは思わない。何故なら人間の理解が浅いからである。人が過ちを犯した際、例えば仕事上の失敗を仕出かした時、責めるより解決法を考える方が先決である。何故その失敗が起こったか冷静に眺める。人を責めることが解決に直結するわけではない。むしろ人の反感をかう。
 彼は上司に対してその憤慨の思いをぶちまけ、上司は冷静に静かに聞いてから口をひらいた。そこで、私は彼のその冷静な態度と鷹揚さにより役職に値する人間だと云うことを私は知った。彼なら屹度憤慨をぶちまけるよりも冷静に物事を眺めて考えるだろう。その態度は部下の信頼を得るに違いない。そして、その証拠は部下の彼に対する親密な姿勢から見て取れる。権力を持つ者は、権力を振りかざさないものだ。さて、彼は自らが正しいと思っている責める姿勢、感情をぶちまける姿勢が時に危険であることを気づく時期がくるのだろうか。それには時に自分を客観する能力が必要な気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?