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インターネットと出会ってからの四半世紀を振り返る

我が家にパソコンがやってきたのは1995年春ごろ。インターネットを始めたのも同じ時期だ。今日はその当時の話をとりとめのない形で書こうと思う。

我が家にパソコンが来た!でも夫は全くあてにならず……

最初に家に来たパソコンは、夫が知人から譲り受けた富士通製Windows3.1搭載のデスクトップ。それを見たとき、「我が家にもついにパソコンが……」と感動を覚えたものだ。

初期設定はその知人がやってくれたが、使いこなせるかどうかは自分たち次第。当然パソコンを譲り受けた夫が自分で操作を覚えて私に教えてくれるものとばかり思っていた。

ところが……である。

驚いたことに夫はこうのたまったのだ。

「君は1日中暇だよね?パソコンの操作を覚えて僕に教えてよ」

……は? なに言ってんのコイツ?

当時、私は2人の乳幼児を抱えて絶賛ワンオペ育児中。夫は仕事の忙しさを理由に家事育児に全くノータッチだった。

それだけではない。

休日夫が家にいる時に子どもが騒いでうるさいから、1日子どもを連れて外出し、夕飯を作る時間になったら帰ってこいとほざくのだから質が悪すぎる。

まあ、実家が近い場所に住んでいたので、休日はこれ幸いと子連れで実家に入り浸っていたけれど。(どっちもどっち)

おっと、話が脱線してしまった。

では、パソコンの話に戻ろう。

パソコン通信時代のインターネットは非常に不自由だった

夫が自らパソコンの操作を覚える気がまったくないものだからしょうがない。私が乳幼児を小脇に抱えながらパソコンの操作を覚えることになったわけだ。

とはいえ、もともと機械はいじるのも壊すのも大好きだし、仕事ではパソコンを使い慣れていた。だから、おそらく自宅のパソコンもすぐに操作を覚えるだろうと踏んでいた。

はたして、びっくりするほどあっけなく基本操作を覚え、当時流行りはじめていた「ニフティサーブ」という名のパソコン通信に挑戦することにした。

当時のインターネットはダイアルアップ。電話につないでいる電話線を引っこ抜き、パソコンにつないだ電話線をつなぐという形だった。

なにしろパソコン通信をやっている間は当然電話がつながらない。だから、親や義親、社宅のお局などから苦情が殺到したものだ。

また、当時を知る人にはおなじみの「ピーヒャラヒャラ~ガガガガ~シャ~」って感じの通信音とともにネットにつながるわけだが……それがまたのろいのなんのって!

たとえば、アクセスが殺到していると画面が1つ切り替わるまでに1時間弱なんてことも日常茶飯事だった。

光通信があたりまえの今では信じられない話だが、当時は本当にいろいろな面で不自由さを抱えながらインターネット(パソコン通信)をやっていたのだ。

パソコン通信がワンオペ育児の孤独から私を救った

しかし、夫がまったく育児にノータッチ、密室でフルタイムワンオペ育児をしていても精神に異常をきたさなかったのは、パソコン通信で全国のママたちとつながり、育児情報の共有や育児ストレスの発散ができたからだ。

当時住んでいた社宅ではうっかり愚痴を言えば尾ひれがつき、あることないこと噂された。そんな中でとてもじゃないが、ストレス発散なんてできなかった。

かたや、インターネットはそのようなしがらみのない人との付き合いだったので、ある意味気楽だった。ストレスという名のガス抜きができたのもその気楽さゆえだった。

その後、近隣に住むママたちとは活発に交流し、私がそれを取りまとめてオフ会を何度か開いた。パソコンをさわれない同年代女性も多かった当時としては、かなり斬新な取り組みだったと自認している。当時付き合っていたママたちも同じことを言っていた。

オフ会で顔を合わせたママの中にはネットワークビジネスの勧誘者もいたし、育児などの考え方の相違で人間関係が壊れた人も多い。幸い犯罪には巻き込まれなかったが、今考えればその恐れも十分にあったと思う。

それでも、ともすれば孤育てに陥りがちなママたちが、しがらみのないインターネットでつながり、それで救われた部分があったのは大きな収穫だった。その経験から、今後インターネットが重要なコミュニケーションツールになりうることもなんとなく予想できた。

インターネットは光も闇も飛躍的に発達してしまった

それから約四半世紀後。

確かにその予想は当たった。今やインターネットは、私たちの生活になくてはならない重要なコミュニケーションツールとなっている。

また、私は独学で習得したパソコン操作とインターネットを駆使してWebライターになり、今も相変わらずインターネット上で活発に見知らぬ人と交流している。

しかし、長く付き合ってきたからこそ、その弊害も身に染みている。

まず、誰とでも気軽につながれる分、情報があまりにも膨大になりすぎて迷いが生じやすい。ゆえに、誰もが「自分で考えて行動する」ことが非常に困難になってしまっているのだ。

また、ネット上にあふれる有害な情報に踊らされ、大きな被害を被る人も当時の比ではない。私自身が発信する側になりわかったのは、インターネットで配信する側の意識が非常に無責任であることだった。

それが浮き彫りになったのがWELQやマイナビの騒動だが、実はもっといいかげんでひどい運営者の方が多い。情報弱者でいたら命まで奪われかねない危険がインターネットにはあるのだ。

ネットいじめやストーカーなどの犯罪も増えるばかり。電脳上では取り締まりも難しく、真相は藪の中みたいな事例ばかりが続出しているのも周知のとおりだ。

つまり、インターネットは光と闇の両面で飛躍的に発達してしまったのだ。

今後はますますネットリテラシーが重要となる

正直言えば、たった四半世紀でこれほどインターネットやソーシャルネットワーキングが発達するとは予想だにしていなかった。おそらく今後はさらに進化、発達し、私を含めたより多くの人が犯罪にまきこまれてしまうのでは?と感じずにはいられない。ネットリテラシーを持つことがますます重要になってきているのは確かだ。

かつて私をワンオペ育児の孤独から救ってくれたインターネットは、裏を返せば人を完膚なきまでに叩きのめし、その命まで奪う恐ろしいツールでもある。その裏表のあるツールをネットリテラシーによってどう使いこなすかが、全人類の今後の課題となりそうだ。


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