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令和は国民が「人間・明仁陛下」の意思を受け継ぐ時代だ

平成最後の日、私はテレビで退位の儀式を見ながら「明仁天皇陛下」のお言葉を血の通った人間の言葉として深く受け止めた。

同時に、どこか神格化された存在であった昭和の裕仁天皇陛下と、より人間らしい平成の明仁天皇陛下との間には非常に大きな違いがあったとも思った。

そう、まさに、平成は天皇陛下が本当の意味で「神」から「人」になった30年だったと感じずにいられないのだ。

30年前に昭和が終わった日のことはよく覚えている。

松の内も明けぬ1月7日の朝、裕仁天皇陛下(以下・裕仁陛下)が崩御した。

テレビの画面が突然真っ黒になり、白の毛筆で大きな文字が映し出された。

『天皇陛下崩御』

その瞬間、私は大きな衝撃を受けて言葉を失い、しばし立ちつくしていた。出勤しようと思っていた矢先だったがフリーズしてしまい、あやうく遅刻するところだったことまで覚えている。

当時裕仁陛下はすでに80歳を超えるご高齢で、数か月前から重篤な状態であった。当然、私を含めた国民のだれもが、陛下がいつ崩御してもおかしくはないことを知っていた。

また、日本の象徴として政治に直接タッチしない天皇陛下が崩御されたところで、日本が大きく変わることがないことも承知していた。

しかし、崩御の報に接した瞬間、足元が音をたててガラガラと崩れ落ちるような錯覚に陥り、「新しい天皇陛下の時代に日本はどう変わるのだろうか?」という不安がじわじわと沸いてきた。

その時、天皇陛下という存在が、実は私の中で神格化されていたことに初めて気づいたのだ。

多分それは、天皇陛下という存在が「神」であった時代に生まれた親から受けた影響もあるだろう。

戦前世代にとって天皇陛下は「現人神」。今も私たちの想像を超えるほど神聖な存在であることは間違いない。

そのような親が子どもに与える影響は大きい。親が天皇陛下を神のような存在だと思っていれば、子どももまたそう思うのは自然の成り行きだ。

そんな経緯から、私の中にも天皇陛下をどこかで神格化していた節があるのだろう。それが崩御の報に衝撃を覚えた一番の理由だ……と、あとになって気づいた次第だ。

しかし、明仁陛下は裕仁陛下と全く違った。皇太子の頃から美智子様と手を携えて変に神格化された皇室をどんどん変えていき、折に触れて人間らしい一面をたくさん見せてくださった。

近年はご老体に鞭を打ちながら災害地への慰問や皇室外交を半ば強行し、こちらが心配になるほど精力的に働いておられた。

そんな明仁陛下の人間らしさを最も強く感じたのは、引退を意味する「譲位」を口にした時。穏やかな口調ながら非常に堅固な意思を込めてご自分のお考えを述べられた時だ。

そのお言葉には「慣習でもおかしいと思えばどんどん変えていけばいいのだ」という、国民への明確なメッセージが込められていた。

その時、私は天皇陛下という存在が「神」から「人」になったことを確信した。

そんな明仁陛下が30年間かけて変えてきた数々の努力を私たちは無駄にしてはいけない。

令和の時代に徳仁天皇陛下(前皇太子様)が再び神格化されて悪意の勢力に変に利用されないよう、私たちはこの令和の時代にしっかり国の政治を監視し、おかしなことにはしっかり自分の言葉でノーを突き付けよう。そう。明仁陛下のように。

明仁上皇陛下、美智子上皇后陛下。30年間ありがとうございました。しばらくはお忙しい日々でしょうが、その後はゆっくりとした時間をお過ごしください。


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