着付け技術・私なりの考察

着付けを始めて約22年…山梨校という形を取らせていただくようになり10周年を迎えました。最初たった一人のお客様から始まった着付けは、近年 私一人ではこなしきれなくなり、当学院で育った講師たちの力を借りることが多くなりました。高齢化による着付師不足が顕著になりつつある今、私が師匠から伝授していただいた技術を さらに次の着付師に受け継いでもらうことの大切さを痛感しています。
この22年間の経験の中から、着付けに関する私の思いを書いてみようと思います。


着物姿は外側から見ると同じように見えても、実は着心地に雲泥の差があります。着物は苦しいもの、我慢するものというイメージを多くの方がお持ちではないでしょうか。私は幸運なことに これまで諸所で多様な着付けの技術を知る機会に恵まれました。その経験から総合して言えるのは、多くの着付け方が 大なり小なり苦しさを伴うものだということです。

振袖を買う(借りる)お嬢様に「着付けは苦しいものだから、我慢してね」と、予め声掛けする販売員の存在……なぜか?それは苦しさを伴う着付けが多いということに他なりません。

沢山の紐や小物を使い、身体の構造を考えず全てを闇雲に締めあげたら一日中 楽しく過ごせるでしょうか?
私はこれまで多くの女性から「以前、着せてもらった時、苦しくて痛くてたまらなかった。お腹に紐の痕がついてしまった。着せてもらう度にお腹に毎回汗疹が出てしまった。振袖を着せられた時、苦しくて倒れそうになった。」
この類の感想を数えきれないほど耳にしてきました。
人間は木目込み人形ではありません。動く生き物です。着付けは身体に苦痛を与えるものであってはならないのです。現代は、着物を着るのは結婚式、卒入学式などのセレモニーの時が多いと思います。晴れの日に着物の苦しさを我慢して一日を過ごすということは、そのお客様の一日を台無しにしているのと同じです。

着物離れ、着物の世界が縮小産業であることの原因の一つに、この着心地を考えない着付け方法に責任の一端があると思います。かつては日常着だった着物。それがいつのまにか「着せてもらったはいいけれど、苦痛で早く脱ぎたいもの」になってしまいました。
何故このような人を苦しめる着付けがまかり通っているのか…これは着付け教室により、技術に対する概念が全く違うということが一つあげられると思います。
着付け師を目指した人にとって、ご自分が選んだ着付け教室で習得した技術がその人の全てとなります。当然それが固定概念として定着します。しかしこの固定概念には 良いものが継続的に変化することなく繋がっていくというメリットもありますが、柔軟な発想力や適切な判断力を妨げ、自分の成長の機会をも奪ってしまうというデメリットもあります。私は苦痛を伴う着付けが当たり前に存在している現状を変えていく必要があると感じています。しかし一度身につけた概念や技術を覆すということ、これは並大抵のことではありません。
着物の着心地が良ければ、お客様自ら着物を買いに行くという行動に自然に繋がります。呉服店の販売員も「着物はキツいから我慢してね」などという言葉をかける必要がなくなります。
着付師は、目の前のお客様が「着物を好きになるか嫌いになるかを左右する」という重要な立場にあるということに気付かねばなりません。着姿を綺麗に仕上げて終了では 「ただの作業」です。着姿の美しさはもちろん、着心地の良さを感じていただける着付けができて 初めて本物の着付師と言えると私は考えています。


最初にも書きましたが、千代きもの学院の着付け技術は 創設者である大森千代枝学院長によるものです。学院長が幼い頃からお祖母様やお母様の着付けを見続け、自ら楽に着ることを他装(人に着せること)にも活かした技術…いわば生活の中から生まれたごく当たり前の「着物を着る」というものです。着付けの本来のあるべき姿を唱え続けている大師匠の技を 多くの方に知っていただくために、私はこれからも技術向上に努めつつ お客様の人生の1ページに彩を添えられるよう地道に活動していこうと思います。

着付け人生はこれからも続く…


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