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【掌編小説】甘いご褒美、ブラック無糖

「すみません、写真撮らせてもらってもいいですかー?」
今日一日でこの言葉を何回口にしただろう。作り笑いを浮かべながらアキラはスマホをかざし、写真を撮り続けていた。

“〇〇映え”という言葉が生まれてから数年。今、一番使われていると言っても過言ではないSNSはInstagramだ。だけどアキラは普段、ほとんど写真を撮らない。友人とどこかに遊びに行っても、いつもより少し高めのディナーを食べたときだってそうだ。幼い頃から自身が写真に映るのがあまり好きではなく、写真から距離を置いて成長した。女子であれば自分がどの角度が可愛く映るか、知っているのが当たり前とされているがアキラはその角度なんて知らない。可愛い角度を知るのに時間をかけるくらいなら、同じ時間をもっと別の、有意義なことに使いたいと思っているクチだ。

だけどこの日ばかりは写真と関わらずに生きてきたことを後悔していた。

「えー! 私普段写真とか全然撮らないんですけど!」
週末に開催される部署内でのレクリエーション。役割が発表された打ち合わせの席でアキラは4つ上の西田に全力で抗議していた。レクリエーションの仕事は主に若手に割り当てられる。そこで配られた一枚の用紙。アキラの名前の横には“写真撮影”と書かれていたのだった。
「大丈夫大丈夫。写真撮影って言ってもバーベキューといちご狩り場でみんなのとこ回って写真撮るだけだから。報告書に何枚か載せられるやつ、撮れれば問題ないし」
打ち合わせの席には若手の幹事とされる人々が6人程。西田の発言に全く納得がいかなかったがここでわがままに抗議を続けるのもどうかと思い、アキラは渋々写真撮影係を受け入れた。

撮った写真は最終的に部署内のメンバー全員が見れるようにクラウドにアップすることになっている。西田は何枚か撮るだけで良いと言っていたが、どうせなら後でみんながその日を思い出せるような写真を撮りたい。幸い今のスマホは元々のスペックが良く、素人が撮っても上手く撮れるつくりになっている。そこでアキラは“数撮っていい写真を撮ろう作戦”を実行することに決めた。そしてこのアキラの真面目な性格が良いように(捉え方によっては悪いように)働いた結果、アキラは参加者全員の写真をまんべんなく撮るように当日奔走することになったのだった。

「ほら、いちご持ってください」
「おっ! 良いポーズありがとうございます」
「皆さん、いきますよー? はい、チーズ!」
写真屋のいいお姉さんを演じているうちに、次第に写真を撮ることにも慣れてきた。だけど、それと比例してアキラには疲労が蓄積されていった。

「次の出発は4時40分です。それまでにバスに戻ってきてください」
帰り道の休憩でサービスエリアに寄った。バスが停車し、西田のアナウンスを聞いた後、人々が順にバスを降りていく。トイレを済ましたアキラは一人、ヘトヘトになってベンチに座っていた。

「アキラ、大丈夫?」
行き交う人々や車をぼーっと見つめていたアキラの隣に高橋が座った。
「やりなれてないことはするもんじゃないですね。流石に私も疲れました」
アキラにとって憧れの高橋が隣りに座ってくれたことは大変嬉しかったが喜ぶ元気すらもう残っていなかった。アキラは遠くのバスを見ながら続けてこう言った。
「なんで写真撮らない私が写真係なんですか、そもそも」
「まぁそう言うなって。さっきのいちご狩りだって、昼のバーベキューだって、写真撮りまくって全然食べてなかったもんな。ほら、おつかれさん」
そう言って高橋はアキラに500mlのペットボトルを一本差し出した。いつもアキラが飲んでいるBOSSのブラック無糖。なんでもないコーヒーなのに高橋から渡されたそれは輝かしい宝物に見えた。
「……」
「なに」
高橋はどうしてこのブラックコーヒーを買ってきてくれたのだろうか。様々な想いがアキラの頭を駆け巡る。だけど今日はいつもより頭が働かない。アキラは深く考えないことにしてペットボトルを受け取った。
「いえ、ありがとうございます」
「ん。素直でよろしい。…正直、俺も疲れたんだよね。幹事って大変」
二人、ベンチに座ったまま沈黙が続く。
確かにアキラは写真撮影に奔走していたが、高橋もまた、西田と同じく幹事のうちの一人として段取りを行い、点呼を取ったり店の人と折衝したりしていた。
幹事を務める傍ら上司や同僚とも楽しそうにレクリエーションを楽しんでいたのを写真を撮りながら横目で確認していたので間違いない。

本当なら疲れているのは高橋自身のはずなのに、アキラが今日ほとんど食事を採っていないことを、いつ見ていたのだろうか。それが高橋の魅力であり、このような気遣いができるところがアキラが想いを寄せる理由の一つでもある。

「さっきさ」
沈黙を破って口をひらいたのは高橋だった。
「バーベキューんとき。三橋とか西田とかが、アキラがこんなに頑張って写真撮り続けるなんて思ってなかったって。すごく頑張ってるって褒めてたよ、ふたりとも」
「嘘……」
「なんで嘘つくんだよ。いい情報を渡して、少しでも回復してもらわないと」
そう言いながら高橋がアキラを肘で小突く。
「頑張ってる姿は、ちゃんと伝わるんだよ。誰も見てないと思っていても、ちゃんと見てくれている人はいる。……少なくとも、俺は見てたよ。アキラのこと」
そう言って高橋は立ち上がった。
「じゃ、先に戻るな」

アキラはバスへ向かって歩いていく高橋の後ろ姿をただただ見つめていた。そんなに大きくないはずの背中がその日はとても大きく見えた。

本当は高橋を追いかけたかった。だけど、アキラはベンチから立ち上がれなかった。

きっと今、顔が赤い。

アキラが手に缶コーヒーを持ってバスへと戻ったのは出発時刻のぎりぎりになってからだった。

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