『ひみつの放課後』7.25


 高校を卒業するまでに、ラブホテルにいってみたい、と、ミナは言う。授業のプール終わり、私とミナはいつも一つずつ、更衣室で秘密を打ち明けあうことにしている。今が十七歳だから、あと一年と少し。もう彼氏をつくって、準備のできたミナは、いたずらっ子のように歯を見せて笑う。
「わかったら、サチにおしえてあげる」
 わかる、なんて、そんな言い方。まだ男の人に、女っぽく触ったことのない私には、ミナの表情がまるで水槽の熱帯魚みたいに、熱っぽく見えた。クラスメイトの彼氏の顔もよく知っているから、余計に。そういえばクラスで一番有名な女の子が、駅前のホテルのお風呂はガラス張りだって言っていた。
 水着から腕を抜き、タオルで水気を吸い取るミナの、適度に筋肉のついたボーイッシュな体が、急に女の子らしく見えてくる。男の子たち、ミナのこんな一面を見たら、もう目を合わせられなくなっちゃうんじゃないのかな。そんな気持ちにさせられるなんてすごいな、と私は思った。ちょっとだけ、うらやましい。ミナって大人なんだ。
「両親がいないとき、家に何度か呼んだんだけど、やっぱり緊張しちゃう」
「ミナの部屋によんだの?」
「そう。いっしょにいて、手を繋いだり、はなしたりしたんだけど、それだけ」
「やだ」
 ふれあっても二人は、まだ私と同じ子供なのだ。違うのは、もう水槽の中で、チャンスが降ってくるのを待っていること。男の子と、ミナの前に。
「もっとさわっていいのにね」
「そんなこと、おもうんだ」
「彼氏だもん。誰だってそう思うはずでしょ」
 あいつ、やさしいから。ミナがささやくような息漏れ声で言う。すっかり制服姿にもどったミナは、まだ着替え終わっていない私の背中に、はやく彼氏できたらいいね、と香水を吹きかけた。
 教室にもどる間、私の体はベリーの甘酸っぱい匂いで、いっぱいになっていた。さっぱりした制汗剤の香りだけをまとったミナは、教室に入るなり彼氏のところに行って、私の方へ目配せする。ミナの女の子の成分を借りて変身したみたいな、不思議な気持ちだった。私には甘すぎるから、って眉をひそめたミナの、あの煮詰めたジャムみたいな甘い瞳。
「サチはまだ、好きなひとがいないんだって」
 ミナが彼氏のタケルくんと、その友達の背の高い男の子を一人つれて、私の机にやってくる。ミナは私の肩を後ろから支えて、この人もまだ、恋を知らないらしいよ、と言った。
「今日の帰り、みんなで映画みにいかない?」
 ミナが言うと、タケルくんと背の高い男の子がうなずいて、いっせいに私を見る。
「あ……、そうだね。行く」
 私もうなずいた。
 放課後になってみんなで、駅前まで歩く。学校と逆側の出口から、さらに歩いて十分くらいの、古い商店街を抜ける。この辺はそんなに田舎じゃないけれど、唯一の映画館は、すっかり空いていた。駅前のお店で、みんな満足してしまうのだと思う。
「サチ」
 映画のチケットを発券機で四人分買ってから、ミナが私の耳元に、そっと囁いた。映画が終わる頃、入口の前で待ち合わせね。同じタイミングでタケルくんが、二人ずつに席が離れてしまった、とわざとらしく言う。背の高い男の子、シュンくんは、「じゃあ二人で座りなよ」とミナとタケルくんに言う。
 私とシュンくんが、スクリーンの前で隣同士の席に座ったとき、ミナたちが本当はチケットを買うふりをしていたのだと気付いた。時間は上映ギリギリで、ライトはすぐに消えてしまったけれど、見まわしても二人の姿がないのは明らかだった。
 隣に座ったシュンくんは、クラスメイトだけれど、私はまだ一言も話したことがない。席に座るまでの移動時間も、何も言わなかった。あまりに静かだから、座ってから何度か隣をみたけれど、シュンくんはじっと画面をみているだけで、そのうち画面の光で照らされるようになっても、横顔から胸のうちはわからない。
 臨場感のある音楽といっしょに、海外の吹替版の恋愛ストーリーが進んでいく。私はいなくなった二人が、気になって仕方がなくて、画面の中でいい雰囲気になる海外の俳優たちがキスするのを見ていられなかった。シュンくんは何も思わないのかな。きっとタケルくんと仲が良いから、シュンくんも協力を頼まれていたのだ。
 ミナが言っていた、この人も恋を知らないらしいよって、そういう意味なのかな。ふと思いだして、シュンくんの横顔をみた。シュンくんの表情はよく見えなかったけれど、背が高くても私と同じ、まだ子供なんだと思うと不思議だった。映画の中の二人は、壮大な恋をして命を賭してお互いを抱きしめ合う。私とシュンくんは、それをじっと見つめている。循環フィルターでろ過された透明な水槽の中から外を見つめる、熱帯魚みたいに。
 私が、水槽の中にいるんだ。そう思ったら、ミナが熱帯魚から、急にヒトの形になって、透明なガラス張りのお風呂に、更衣室のあの水滴をつけた肌を露わにしはじめたから、何も考えられなくなった。ギュッと目をつぶって、映画の一番のクライマックスを抜ける。目を開けたら、もうエンドロールだった。
 室内灯がつくとシュンくんが、「行こうか」と呟く。私の方をすこしもみないシュンくんと、みてばっかりの私が、ほとんど誰もいないスクリーンの前から抜け出す。
 恋ってなんだろう。私は感想もなにも話せないで、シュンくんの隣でずっと、ミナたちの帰りを待っていた。ミナたちはまだ、帰ってこない。



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