なくなる仕事

 先日、会社登記を印鑑なしで行えるようにする法案の国会提出延期が報じられた。現代で印鑑がこれほど重要な役割を担っている国は日本くらいだろうし、それがペーパーレス化の障壁となっている面もあるようだ。印鑑は時代遅れと言えばそうかもしれない。

 この流れの中で大変なのは印鑑業界である。経営者にとってもそこで働く人たちにとっても、「印鑑レス化」というのはすなわち仕事の激減を意味するわけで、市場の規模を保つためにこのような法案に反対するのは自然なこことである。「サインではできない代理押印ができることで迅速な意思決定や決済が可能で……」などとシステムの脆弱性と表裏一体のアピールまでするあたり、危機感はかなりのものなのだろう。

 この法案はともかくいずれ印鑑はペーパーレス化が進めば消えてしまう文化だろうし、効率化が業界の反対で阻止された構図になったので印鑑業界をよく思わない人も多いだろう。さながら産業革命期のラダイト運動のようなものか。

 ただし印鑑業界の必死さも理解できる。印鑑文化の存続は彼らにとっては生活がかかったことだからだ。仮に印鑑レス化が進めば、印鑑が必須だった様々な分野で効率化が進むという恩恵を社会一般は受けるかもしれないが、一方で仕事を失った印鑑業界の経営者・労働者に対して社会が補償をしてくれるわけではない。

 同じような話はタクシー業界でもあって、今までは白タク行為として禁止されてきた「ライドシェア」解禁に向けての動きに反対するタクシー運転手の抗議行動が報じられた。個人的にはライドシェアはどうかな……という懸念もあるが、タクシー運転手が反対するのは何よりも彼らの客を奪われるからであろう。

 ライドシェアが認められるかはさておき、自動運転が普及すれば現在自動車の運転で生計を立てている人たちは職を失うことになる。「タクシー運転手」という職業も今後いつまであるかわからない。


 技術の発展は誰かの仕事を奪うものである。仕事を奪われる側にとっては生活がかかっているわけなので、少しの間の延命にすぎなくても必死に仕事にしがみつくだろう。問題は仕事にしがみつかないと生活ができないということだ

 印鑑業界で働く人もタクシー運転手も、収入の心配がなくなれば必死に「技術の発展を妨害する」ような行為をしなくても済むのではないか。そうなるとこれらの業界にとどまらず、全ての人に収入を保証する「ベーシックインカム」のようなものが考えられる。

 もちろん仕事で得ているものは賃金だけでなく承認や社会的つながりもあるので、ベーシックインカムでそれらをすべてカバーできるわけではないだろうが、技術の発展を全ての人に還元する方法としてまず生活の保障というのは自然な流れのように思える。これから「必要のない仕事」はますます増えるだろうし、その時に向けて仕事にしがみつかなくても生活できる制度を整えておくほうが幸せだろう。

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