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ただとってあるだけのモノ、最後どうなる?

「無駄づかい」とは、「使わない」こと!

きちんと使うなら、それは全く無駄遣いではない。今持っているものを把握してしっかり使い、買った物を全部大切に使い切っているなら、「足りる」ようになる。

ろくに使いもしないものは、無限に買い続けることになる。いつまでも足りることがない。

以前私は、モノを捨てないことが、粗末にしない、いいことだと思っていた。

しかし、持っていることも忘れ果てて、ただただ捨てないことで「自分は大切にしている」という、とんでもない勘違いの思い込みが、実は面倒で、モノと向き合うことを無意識に避け続けている、最も悪い「もったいない」状態だと思うようになった。

持っているモノを、使いもせず捨てもせず、ただただ放置し続けるのは、食べ物を大切な栄養でなく、有害な贅肉にするのと同じ。
贅肉太りが悩みの種になるように、家を狭く見劣りし、物を無くしやすく、雪だるま式に日々のストレスになる。
血管内に付着した脂肪が雪だるま式に蓄積して、血管を詰まらせるように、重篤な事態を招く可能性もある。

使わなければ意味がない。使うことで初めて贅肉ではなく、栄養として機能して「豊かさ」になり、しっかり使って、感謝で処分して終われるようなモノが多いほど、充実した暮らしになる。

私の、物の持ち方の意識が変わったのは、20年近く前に、ゴミ屋敷を処分するのに400万かかったという話を読んだ時から。

今、自分が持っている大量のモノたち。自分が死んでしまったら、これらはどうなるんだろう?誰が処分することになるんだろう?いくらかかるんだろう?、、
そう考えるとゾッとした。

「家ごと火をつけて燃やしてしまえたらどんなにいいか」、「とても遺族の手に負えるものではない」といった、遺族にとっては迷惑な負債でしかない、大量のモノを残して死んだ親などを恨む声も、よく耳にする。。

日本人の寿命が延び、「家にモノが多過ぎてストレス」と感じている人が多い現代、これはますます深刻な問題になるだろう。
このまま高齢化社会になる程、業者の遺品の処分料は上がるに違いない。

「別に腐るもんじゃなし、このままにしておいても〜」
「捨てられないんだよね〜 でも別にすごく困ってるわけじゃないし、何もそこまでしなくても〜」

この状態を続けていて、最後、一番困るのは誰か?

誰がこれを負担するの?‥そう考えた時、私は何の危機感もなくただ放置していたモノたちを触って、目を通していくようになった。

自分の持ち物に向き合う行動は、そのまま自分自身と向き合う時間になる。
捨てられない捨てられないとグズグズするヒマがあったら、それは後回しにして、なんでもいいから、とにかくこれはもう処分しようと即断できるものを見つけて、きちんと捨てる行動をする。

毎日小さな一つでも、持っているモノと向き合って自分で処分すると、「全てに終わりがある」ということを実感させ、「最後」を「ありがとう」と良いものにしていく、実際的な訓練になる。

自分の内と向き合う時間をとる習慣は、「あの時ああしていれば…」など、今更どうしようもない悔いに、時間も精神も囚われ過ぎないようにもなる。

遺品で迷惑をかけたくないという、家族に対する遠慮だけでなく、持っているモノの有効率の高い状態は、何と言っても自分自身が幸せ♪
「遺品とか、縁起でもない、暗くなるのでは?」は大間違いで、ただ楽しく愛していくだけだから。

「自分の持ち物をもっと大切に有効に使うようになる」=「『無駄づかい』が減る」ので、お金も増えることになるし、人生は良くなる。そういう人が増えれば、世の中が良くなる。

若い人は、自分にはまだまだ先のことで関係ないと思う人もいるかもしれない。

でも、持ち過ぎて苦しむことから離れるのは、長く蓄積すればするほど大変だから、一日も早い方がいい。
そもそも初めから、この意識でモノを持って関わるのが一番。

写真は、小学校低学年の時、友達のMちゃんからもらった「おりがみ入れ」。
その頃、折り紙交換というのがちょっと流行っていた。
すごくいっぱい持ってて、たくさんの友達と交換してる子もいたけど、私はそんなに持ってなかったし、あまり交換もしなかった。
Mちゃんは時々一緒に遊んだことがあって、ツインテールの似合う、とても可愛い、優しい子だった。今思い返しても、あんなに優しい子はとても珍しいと思う。
その後、中学卒業まで、クラスが同じになることはなく、委員会も部活も一緒になることがなかったし、ほとんど関わることがないまま、彼女がどこの高校に行ったのかも知らないし、その後会ったこともない。

学校‥ あまりいいことのなかった、嫌な思い出が多いけど、Mちゃんと遊んだ時は、いつも楽しかった。
私のことを、「頭いい」「天才!」と、本当にキラキラした尊敬の目で言ってくれたことが何度かあって、すごく嬉しかったのをよく覚えてる。
Mちゃんからこの「おりがみ入れ」を貰った時は、とても嬉しかった♪

それから、しまってあることも忘れていた時間が結構あったけど、今は本棚に場所も決めて、すぐに取り出せるようになった。
Mちゃんの、きれいな優しい「おりがみ入れ」の字は、いつ見てもキュンキュンするし、中には、40年以上も前のものとは思えない、とても綺麗な可愛い折り紙が入っている。

上の子が小学生の時に見つけ出せたので、「これはお母さんが子どもの頃、お友達に貰ったんだよ」と、見せることができた。
子ども達は驚いて、このMちゃんの折り紙を使って、一緒に遊ぶことができた!とっても感激だった♪

そして、これは最近になって気付いたけど、「おりがみ入れ」の口が、折り返して「まち」を取って糊付けしてある!
すごい!何だかMちゃんらしい優しい手間を感じて、この歳まで持って、気付けて良かったと思った。

折り紙は今も使うことがあって、少しずつ減っている。時々香りを かぐだけでも、ふんわり落ち着く、いい香りがする。
目通しのおかげで、私の中では、Mちゃんとまた友達になれて、今も支え続けてくれる、大切な存在になった。













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