生活感なくなったら生活できん
「秀頼は、あなたの子だとお思い?」(どうする家康の淀君)
じゃない、「私が掃除、綺麗好きだとお思い?」
「とんでもねえ!あたしゃ神様だよ」(懐かしの志村けん)
じゃない、あたしゃ掃除なんかなるべくしたくないほうだよ
もっと面白いことしてたいほうだよ。
最近は、RadioFishの「進化論」のダンスを見なくても踊れるようになってきたので、ダンスの練習がより楽しい♪
そしてむしろ、日本人に多い、「潔癖過ぎる」のは苦手なほうだよ。
行き過ぎた潔癖が、人を見下し、非難、攻撃の手段になってる人間は苦手どころじゃないけど。
この前、「家がいつもピカピカ」という動画を見てたら、生活感というものを徹底的に敵視して、排除してる様子だった。
生活感、生活感、生活感、生活感、生活感、、、何回言うんだ。。と嫌気がさして、途中で見るのをやめた。
そりゃね、一人暮らしの若い独身男性社長だもんね、、何を犠牲にしても「自分がカッコイイこと」が最も大事なお年頃。
孔雀の派手な羽とか、イッカクの長い角とか、繁殖期のオスの特徴であるように、実用よりかっこ良さ、プライド、そういうのは自然なんだと思う。
人間は、女性の方が化粧したり、服やアクセサリーなどにかけることが多いかもしれないけど、男性が外車乗ったり、ロレックス身に付けたりは、本能的な力の誇示だったり、ゴテゴテか、シュッとして見えるかの違いはあっても、根は同じで、「生活感🟰ダサい、恥ずかしい」 それを一番嫌がって排除しようとする心理なのかなと思う。
人間の原始を見せる、乳幼児もない、人間の終末を見せる、失禁して認知症で弄便するような老人もいない。
家事代行定期的に入れて、自分の趣味で家の全てを統一できる経済力があって、若く健康に自信のあるうちは、自分の好きなように夢の城を謳歌すればいいと思う。
私は、家の無意識に目に入るものは、なるべくいいものにしたいと思っている。
でもそれは、生活感がないことじゃない。
生活感の何が悪いか!生活してんだから生活感あるわ!
生活感があるからほっとするんじゃないか。生活感に怯えてたら、気詰まりでストレスだらけでヘトヘトになるわ。。
私は、美容室やハイクラスホテルのような場所にずっといたいと思わない。生活や人間を隠蔽したような虚飾感、無理をしている背伸び感みたいのに息詰まる。。
そういうのは、たまに程よく行くから、新鮮で特別な刺激になっていいんだ。
配慮は大切なことだと思うけどね。幸せな生活感が好き♪
悪臭が酷いとか、健康を害するほどじゃなければ、私は常にピカピカじゃないと気が済まないとか、アニメとして見る分にはそりゃ素敵だけど、SPYファミリーみたいな生活感のない家が現実的とは思わない。
「土を離れては生きられないのよ!」(ラピュタのシータ)
台所も、安くてうまい、ちょと小汚い中華料理屋の厨房みたいでいい。
美味しくて体にいいものが作れればいいし、調理道具が使いやすく、食品ロスを出さないように大切に使いきれればいい。
断捨離のこととか言ってると、「掃除って苦手で苦痛なんで」「綺麗好きじゃないんで」とか、カーペットにコロコロをかけたり、洗面所を磨いたりして、掃除を始める人がいる。
掃除と、断捨離・片付けは違う。
掃除を始めることは悪いことではないけど、意味がわからない人、混同してる人多いんだな~と思う。
断捨離・片付けは、ホコリを取ったり磨いたりすることではなく、ただ見た目のことじゃなく、「モノを使える状態にする」こと
それには、要らないモノは捨てなければならない。
要らない紙がぺらっと一枚乗るだけで、必要なモノが見えなくて使えなくなる。
片付けるのは、「次に使いやすいようにする」ため。
それを考えず、ただ見えなくなるように収納に押し込んで、忘れるようでは、次に使う時は来ない。
すっきり生活感がなく「良く」見えるかもしれないが、本当に生活の意味がない。
足の踏み場もないほどごちゃごちゃに散らかった、使われても捨てられてもいない大量のモノたち。これを生活感と言うなら、これは、恐れるべき生活感。
活き活きとした生活感ではなく、死んでいるから。
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