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やさしくできないときがあっても大丈夫

秋深まって、夕方も早い時間から

日が落ちる季節ですね…



さいきん思うことは、

(よくある話かもしれませんが)


なにか、思うようにできなかったとき


例えば、


いろんな事情や、

そのときの状況、感情が重なって



一時的に誰かや自分に

やさしくできないようなとき、があっても


“大丈夫だよ、いいんだよそれで”


というようなことです。



誰かにやさしくできなかった自分は

もっとやさしくするべきだった、


ではなく


そのやさしくできなかった自分を

もっと包み込んで、ゆるして

愛してあげる…



その場で上手に

受け答えできなかった自分はだめだ

もっと機嫌よく感じよくしなきゃ


ではなく


何らかの理由があってうまくできなかった

そのままの自分を、みとめて受け入れて

ただ、愛してあげる…



何か出来事や、他の人に対して

自然に思いついてしまう感情に


どうしてそんなことを

感じてしまったんだろう、とか


それを感じたり思ったりしてはいけない、

(そういうことが起きてはいけない)と思うと


より苦しくなる、というか



そんな風に思っちゃダメだよ、と


自分で判断しているとき


いやな感情を、“他のいい感情”に

変えなければいけないと思うとき


より苦しくなるような気がします。



なので、


きっと今はわからないけれど


心地よくない感情を感じたときは



自分自身にもっと

愛情を向けられるときで


感じてはいけない感情、

というものはないから



何も恐れなくていいんだよ、と


それを感じている自分は最低だ、なんて

思わなくていいんだよ、と



そういう気持ちを感じられる自分は


きっと何か大切なことを学んでいて


誰でも同じように、

そういう時があるのだから


他の人にも、同じようにやさしくなれるから


今はそれを感じていていいと、



いやな気持ちを感じてもいい許可を

自分に出してあげること


見たくないような

ふたをしておきたい感情も



その感情がいやだと思っている

自分でいいんだよ、と

ゆるしてあげること


もしゆるせなくても、

そのゆるせない自分をゆるすこと…


そうしていると、何となく

すーっと風穴が空いて


ほんの少し楽になる気がします。



そして不思議と、自分の未熟さも

ふかんで見られたり

素直に受け入れられて


このままでいいんだ

未熟なりによくがんばってるんだ、

と思えたり



ありがたさが感じられたり

少しだけ謙虚になれる気がして。




言い方は難しいのですが、


例えば表面的に

何かに引けを取ったように感じることが

あったとしても



立場やプライドをすこし下げたり

誰かに何かをゆずることで

みえることもあったり



言い方は難しいけれど

誰でも存在するだけで価値があるのだから


そんなことで自分の価値は

変わったりしないから、

大丈夫だよ、というような…



自分の元にきたものを

流れるままに流していたいな、と


思ったりします。



そしてすこしずつ

すぐにではなくてもいいから


そこから焦点をずらして


気分がふわふわとやわらかくなるもの、に


近づいていられたらいいですね…


空を見たり、何かいい香りとか

きれいな色や、音楽とか、

やわらかくて甘い美味しいものとか^^


可愛い動物だったり、

何か笑えるものでも…



そんな風に、自分をふんわり

やわらかく、ゆるめてあげていたいです。



…という、、今日も着地点は

安定のふにゃふにゃでした笑^^




写真は、先日見上げた晩秋の空、

見ていたらすこし落ち着いて

日が落ちるまでの間

しばらくずっと見上げていました…



拙い文章ですがここまで読んでいただきまして

本当にありがとうございました!


どうか暖かくして、

のんびりと素敵な時間をお過ごしください…*

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