千鶴

生きづらい社会生活に風景という息継ぎを。フォトエッセイ。ここが地獄だとしたらあまりに美…

千鶴

生きづらい社会生活に風景という息継ぎを。フォトエッセイ。ここが地獄だとしたらあまりに美しいなと思いながら風景写真を撮っている人です。自死しかけたり家族に自死者がいたり、そんな人生。Photoback Award 2020特別賞受賞。アラサーにしていまだ若干の中二病患者。

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冬は逝きて春ひとり立つ(2024年3月の写真)

◇ いつもはそんなことないのに、帰り道の花屋に並んでいるはずの切り花がほぼなくなっていた。「予約商品受け取りの方はお声がけください」と張り紙がしてある。 花屋に予約なんてあるのかと思い、直後、そういえば三月最後の平日だったと気づいた。異動、転職、退職。旅立つ大人がたくさんいたのだろう。 そういった社会の流れから外れた場所に立っている。だからなのか、この季節は何かに追い立てられるような責め立てられるような、そんな気分になることがある。春にはそんなつもりなどないだろうに

    • 救いも呪いもすべてはこの身体の中

      ◇ 雨の日は命が重い。 こんなときは、この命に住まう天使と獣の存在を強く感じる。天使はふとんから出られず、獣はいつにも増してグルグルと唸り、ぐるぐると歩き回っている。 私はふとんを天使の肩まで覆うようにかけなおす。獣にはおいしいものを分け与え、全部低気圧のせいだからしょうがないよ、となだめる。獣が落ち着いたらふとんを持ち上げ、天使の隣へいざなった。天使と獣のあいだにもちもちしたぬいぐるみを置く。二人が眠ったら、私はようやく生活に戻る。 生まれたときにはすでに持たさ

      • 己という運命の女神に刃を向ける

        ◇ もしも自分が世界を滅ぼす運命を課せられた存在だったとして、そのとき私は、その運命が描く地図通りに歩みを進めるだろうか。それとも、運命に抗うために、必要とあらば神にすら刃を向けるだろうか。 運命に抗おうと思えるほど、生への強い執着はない。 少なくとも今現在の自分には。 「人生の運命図は、誰もが生まれる前にすでに描き終えているのです。その運命図を変えることができるのは限られた場合のみ。たとえば一つ目は、家族など自分にとって大きな存在を失ったとき――・・・」 昔、Y

        • ここはいつか死によって目覚める夢の中

          ◇白い息。きりりと肌を刺すような空気。師走の頭の冬はどこかやる気がなく、妙にあたたかかったけれど。ふとんにもぐったまま出られなくなる私たちのように、冬も寝起きが悪いのだろうか。最近になってようやく目を覚まし、本来の力を発揮してきたみたいだ。 ここは一年の終わり。2023年も今際の際。 戻しも戻れもできない「時間」を思う。一年という区切りも、人間が自分たちに都合の良いように設けたものでしかない。人間が一人残らず姿を消して暦もなくなったとしても、地球は回り季節は巡る。人間が

        冬は逝きて春ひとり立つ(2024年3月の写真)

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          世界が美しいから私はまだ死なずにいる

          ◇そこにあったのは、「何もない」ということだった。 目を閉じて耳を澄ますと、風が草木を揺らす音が鼓膜に触れ、遠くからは波の音がかすかに届く。目を開ければ眼前にはまっすぐに伸びる一本道。青い空は果てがなく、大きな鳥が翼をはためかせて視界を横切る。澄み渡った少し冷たい空気をめいっぱい吸い込む。命が色を取り戻す。 一本道をゆっくり歩く。両脇には少しの田園とススキ畑。黄色い花がときどき咲いている。たまに枯れ色のカマキリが闊歩しているのを見つけて慌てて避けた。風が吹く。一瞬だけキ

          世界が美しいから私はまだ死なずにいる

          今ここをともにする命との逢瀬、今ここに亡き命への弔い(月一フォトエッセイ)

          枯れたひまわりの背に赤とんぼがとまって、コスモスが一斉に舞台の真ん中へと躍り出る。 世界が凍てついた眠りに入る前、季節は最後の命を燃やすように、鮮やかな色彩に染まる。 包み込むような柔らかさを得た太陽の光が、赤い葉を透かしながら土に落ちる。そこには黄色いイチョウの葉が寝そべっている。その死を慈しむかのように吹く涼やかな風は、この季節特有の芳香をまとっていた。風が吹いてきた方向を見やれば、橙色の小さな花が満開を迎えている。その木が金木犀の木であったと気づくのは、いつもこの時

          今ここをともにする命との逢瀬、今ここに亡き命への弔い(月一フォトエッセイ)

          その赤い花は厄災か祝福か(月一フォトエッセイ)

          ビルの屋上に大きな猫がいた。その猫は、空を流れながらもくもくと膨らむ入道雲に猫パンチを連発している。すると雲はたちまちちぎれていって、群れを成すひつじ雲へと姿を変えた。遊び疲れたのか飽きたのか、その猫が丸くなって眠りにつくと、日差しが少しだけ柔らかみを帯びた。 また別の日、とある公園でまったく同じ猫を見た。その足元で猫を見上げる。大きくて、その分さらにモフモフしている。不意に猫がにゃあと鳴いた。すると近くに咲いていたひまわりが一斉に頭を垂れていき、代わりに彼岸花が次々と花を

          その赤い花は厄災か祝福か(月一フォトエッセイ)

          夏は鮮烈かつ無常な美しさに溢れている(月一フォトエッセイ)

          窓の外、迫り来る黒い龍を見た。その咆哮は体を震わせるほどの雷鳴。巨大な雨柱とともに灰色の空を駆けてくる。ただ無力に濡れていくだけの世界。私たちはただ無事を祈ることしかできないちっぽけな生命。 叩きつけるような雨が過ぎ去れば、太陽の光が燦々と地上に届く。眩しく窓の外を眺めれば、そこには七色の光が橋を形作っている。 黒い龍は、あらゆる生命に恐怖をもたらしながら、同時に世界を満たした淀みを洗い流し、乾いた地上に恵みを与えさえする。厄災でありながら救世主、救世主でありながら厄災。

          夏は鮮烈かつ無常な美しさに溢れている(月一フォトエッセイ)

          救済のない世界だからせめて祈る(月一フォトエッセイ)

          海の煌めきは妖精の轍。その光をめがけて生い茂る緑の隙間を駆け抜ける。視界が開けて、白い砂浜を踏む。すると光はたちまち遠のいていく。掴めない煌めきは波と踊るようにあちらへ、こちらへ、またあちらへ、不規則に飛び回る。 今年は、雨を降らせる龍にあまり元気がなかったのだろうか。いつのまにか終わりを告げた雨の季節。地上の森羅万象を焼き払うがごとく照りつける太陽。それでも命は輝いている。強い光を浴びながら、同時に色濃い影を落としながら。 潮の香りをめいっぱい吸い込む。「海に還りたい」

          救済のない世界だからせめて祈る(月一フォトエッセイ)

          ここが地獄だとしたらあまりに美しいなと思う

          空と雲のすきまを大きな龍が飛んでいく。 その直後、突然降りだした強い雨の中、傘も放り出してステップを踏む。アマガエルたちも一緒に飛び跳ねる。軽く杖のように傘を振れば、雨粒が小さな花びらに変わる。 紫陽花の色彩は、淡い春と鮮烈な夏をつなぐ虹の橋。雨上がりの土の匂い。色濃くなった緑の輝き。この地獄は今日も私たちに無関心のまま、「今」という祝福を歌う。   母にとってこの世界は、生きている意味も理由も見いだせないような地獄だったのだろうか。そうだとすればなぜ、この私を産んだの

          ここが地獄だとしたらあまりに美しいなと思う

          蜘蛛と生活

          ◆虫は苦手だが、蜘蛛は勝手に味方だと思っている。 天井に少し大きめの蜘蛛が張りついていた。夜、ふとんに寝転んだ瞬間にふと視界に入ったその存在を、私はどうする気にもならず、電気を消して目を閉じた。選んだのはささやかな共存。互いに無用な干渉はよそうねと思いながら。 翌朝、目を開けると蜘蛛はまだ天井にいた。しかし昨夜とは少しばかりちがう位置だ。おはようと言ってみる。当たり前だが返事はない。ごはんを食べて身支度を整えて仕事に行く。行ってきますと言ってみる。当たり前だが特に反応はな

          蜘蛛と生活

          遺す、遺していく

          ネットショッピングサイトの送付先一覧から母の名前をいまだ消せずにいる。 もう何年も前、帰省する余裕はないが母の日に何かプレゼントを贈りたいと思い至ったとき、ネットショップを使った。たしか和柄のちりめんで作られたメガネケースや小さなくまのストラップのセットを選び、送り先を実家の住所にして送ったのだ。それ以来、ネットショップのアカウントに母の名前と実家の住所が残っている。 それから数年後、母は亡くなった。 ちりめんの小さなくまは、実家にぽつりと残されていた。それを目の当たり

          遺す、遺していく

          幸福への恐怖(それでも生きる)

          具合が悪くて寝込んでいるうちに、季節はどんどん加速していたようだ。眠気を誘う陽気に、鼻がムズムズとしてくしゃみが出る。そういえば目がかゆいな。春は好きだが、花粉はつらい。 この二週間で三回発熱した。一回目は微熱、二回目が高熱、三回目は微熱。病院に行ったけれど、コロナでもインフルエンザでもないとわかっただけで、いまだ検査中の身である。 「発熱外来」というものを初めて経験した。私が行ったのは小さな個人病院だった。事前に予約して、当日病院の駐車場に着いたらまず電話をする。すると

          幸福への恐怖(それでも生きる)

          うつむいても幸あれ(よいお年を)

          今年一月の日記を読み返したら、その頃の自分は驚くほど落ち込んでいた。当時の職場にいたパートのおばさんに攻撃され、疲弊していたらしい。シンプルに無視されたり、仕事を押しつけられたり、「年上を敬え」とLINEが来たり。 あの頃は、リュックに小さい頃からそばにいるクマのぬいぐるみを忍ばせて出勤していた。そのぐらいに限界だった。 日記には、毎日のように「母に会いたい」と書かれている。 そういえばそんなこともあったな、と思う。今やもうその職場自体がなくなり、私はそのおばさんのLI

          うつむいても幸あれ(よいお年を)

          不整脈をもっている(写ルンです一個分の写真ぜんぶとエッセイ)

          長らく不整脈持ちである。 初めて不整脈と診断が下ったのは、小学六年生のとき、修学旅行前に行われた健康診断だった。そのときは心電図の検査結果にただ「不整脈」と古めかしいフォントのハンコが押されただけで、精密検査を受けろと言われることもなく終わったが。 家からそれなりに離れた高校に通うようになると、学内での健康診断を担う病院も小・中学校とは変わる。するとどうだ、聴診器で心音を聴くだけのシンプルな内科検診で、毎回必ず引っかかるようになった。 名簿順で私より前の人たちが流れ作業

          不整脈をもっている(写ルンです一個分の写真ぜんぶとエッセイ)

          脈絡もなく夏(写ルンです一個分の写真ぜんぶとエッセイ)

          ほぼ家から出なかった廃人のような七月。 最終週の平日だけ働いた。 去年、働いていた居酒屋が緊急事態宣言によって休業に追いこまれたとき、「この一回じゃ済まないんだろうな」と思って、イベント系の人材派遣会社に登録をした。その居酒屋が結局閉店してしまった今、この派遣の仕事にちょこちょこお世話になっている。 我ながら、よくもまぁ、人見知りで緊張しいの私がこんな仕事をできるものだなと思う。その日その場に行かなければ、どこに配置され何をするのか、どんな人と一緒に働くのか、どんな人が上

          脈絡もなく夏(写ルンです一個分の写真ぜんぶとエッセイ)