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冒険譚のラストシーンにて -2-



△△△


名を呼んでやってくれるか。
そう言って男が、この世で一番重要な宝物でも隠しているんじゃないかと思えるほど大切そうに抱えている、布の塊を揺らす。男のささくれだった無骨な指があまりに優しく動くから、わたしは息を止めてそれを見ている。柔らかい布をすこしずらすと、そこからちいさなちいさな、頬と手がのぞく。その薄い皮膚に生えている産毛が、まだ低い位置からさしている陽の光を浴びて金色に輝く。


”   ああ。”


わたしの口から洩れたのは、返答だったのか嘆息だったのか、自分でもよくわからなかった。なんてちいさい___どの動物の赤子よりも儚い存在だろう。
赤子を抱いて数歩こちらに男が歩み寄るものだから、鱗や爪や牙が当たってしまうのが恐ろしくてわたしは後ずさる。男は眉を下げて笑って、「ありがとう。お前にどうしても会ってもらいたかったんだ」と言った。


その赤子はすぐ目の前に恐ろしい見た目の竜がいるとも知らずに、まだ目を閉じてふくふくと寝ている。
男が、さあ、というような表情でわたしの顔を見る。自分のこころさえうまく把握できていない私はしばらく言いよどんでから、なるだけ風を起こさないように"ファリア"とささやいた。
つむじ風は起きなかった。赤子もすやすやと眠ったままでほっと息をつく。けれど、男が言う。

「そっちじゃなくて、おまえが贈ってくれた、本当の名を呼んであげてほしいんだ。本当の発音で」

やはりおかしな奴だ。父や母が発音できる方が本当の名でいいだろう。そう言うのだが男は笑いながら首を振って、「おまえが贈ってくれた方が本物だ」と言った。…この男は頑固者だ。きっと一度決めたことを訂正はしないのだろう。


"____【    】"


男へこの名を贈ったとき、竜の言語を話すのは数百年ぶりだった。もう私の命がいつの日か尽きるまで口に出すことはないのだろうと思っていた、わたしたちの言語。わたしたちを産み落とした、母なる星と同じ名前。【    】。

男は初めてこの言語を聞いたとき、「風の音を聞いているような言葉だ」と言った。俺の娘に、こんなに美しい名前を授けてくれてありがとう、とも。

だから殊更、生きてきた数千年のうちで一番優しく発語する。森の木々を揺らす風がやんで、わたしの口から洩れた赤子の名だけが、わたしたちの周りの草花と、赤子の前髪を撫でた。


___赤子がぱちと目を開けて、わたしの姿を瞳に宿したとき。しばらく大きな目で私を見つめ、小さな手をふわふわと覚束なく伸ばしたとき。小鳥のようにまあるい笑い声をあげたとき。男がまた、情けない顔で泣いているとき。
わたしは初めて「永遠」を感じていた。世界の片隅で、この取るに足りない人間のいのちがふたつと、わたしと。時が止まったようでいて、なのにどうしようもなくこの瞬間が惜しくて切なく、こころの一番底から湧き上がってくる熱くて冷たい感情こそが、きっと「永遠」なのだと、そう思った。

わたしの命は永久にも思えるほど永いけれど。きっと時間の長さでは永遠を測れないのだろう。どんなに一瞬の時間でも、苛烈なまでに命を煌々と照らして心に焼き付いたとき、それが「永遠」なんじゃないか。唯一無二の、何があっても失われないものなんじゃないのか。



【 ___ああ。ああ、美しい子だ。わたしの永久の命をすべてかけて、お前に祝福を贈るよ。    。この男のもとで、永く永くしあわせに生きろ 】



すべて竜の言葉でそういった。瞳が熱い。網膜にこの男と赤子の笑顔を焼き付けようと躍起になればなるほど、視界が滲んだ。鱗を濡らしながらその隙間を伝って、鼻先からぽたぽたと滴っていくのを、くすぐったくなるような笑い声をあげて、ファリアが見ている。
男には解らない言葉だ。お前には解るか?
お前が憶えていなくても、わたしがお前を忘れる日は永遠にないだろう。父と母と、幸せになれ。わたしがたったいま感じたような「永遠」をいつか識って、幸福に生きろ。
【    】。



△△△



___「竜を倒した英雄が護る街」には、それから穏やかに日々が流れた。もちろん英雄の子は街の者からも祝福されたし、街の長が次の統治者に男を任命してからは、街はさらに活気ついたように見える。
わたしはこの山から出る事は決してないが、全て鳥や虫たちが話してくれた。(『前は大きな木みたいでなぁんにも面白くないし、とっつきにくいなあって思ってました!竜って喋れるんですねえ!』と一番最初に言われたことは、今でも根に持っている)
『あのニンゲン、うまくやってますよ。ここ数年は山に変な奴が入ってくることもないし、平和でいいよね』という具合の話だった。


本当にそうなのである。
目を閉じて首を伸ばせば、光の粒が鱗に降り積もる音が聞こえる。木々の葉脈は淡く、蒼く光っている。
あの男がここ数年尽力した街での活動の中で、「自然に寄り添う街づくり」という、なんとも間の抜けた名のものがあった。森の木を伐るとき、倍の本数の木を植えること。”怪物はいなくなったが”山には用事なく立ち入らず、むやみに動植物を殺めないこと。頂くときにはその命に感謝すること。「人間よりも遥かに強大な生物」が存在するこの世界で、自分たちは生かされているのだということを忘れないこと。


___竜を倒したとき、竜と会話してそのことに気づかされたのだ、と。そうやって街の者に話して、数年かけて皆の意識を変えてきたのだと、男から聞いた。
出会ったころすぐにそのことを聞いていたらわたしは鼻で笑っただろうが、この話を聞いているときわたしはしっかりと山の変化を感じていた。数百年間、数年前まで失われていた光や神聖たちが、今再び芽吹こうとしている。
弱り切りながらも生き永らえて苛立つ私の前に、あの日現れた木偶が。「大きな嘘」で出来上がった英雄になって、「嘘以上に大きな偉業」をなし得ようとしている。


不思議なことだ。わたしはただ眠り続けたくて、あの日男に無理を押し付けて帰らせただけだというのに。男は、何もかもを変えていった。山や、動植物、街、ひと。そしてわたし。
死ぬまで眠ったまま夢の中にいたいと、かつて願っていたわたし。いまでは、昼には陽を浴び、夜には星のさざめきを聴き、そして、朝にはとおい街の音に耳を澄ます。その小さな喧騒の中に、走り回るようになったファリアや男の笑い声があるんじゃないかと。



△△△



これまでわたしは、植物に戻りたいと願っていた。何も思考せず、仲間と群れて枝を伸ばすだけの巨木に。
何百年も前のように、いまわたしの内側には光や神聖が満ち始めている。でも、もうきっと植物には、なにがあっても戻れないのだろう。男と出会うまではそれを認めることが苦痛だった。けれどいまは。


こころの内側で、わたしが覚えた幾つもの感情を撫でる。追慕。寂寞。怒り。憎しみ。哀しみ。孤独。___信頼。愛情。祈り。
ひとつひとつが、触れれば痛むほどの鮮烈な感情だった。こころとは、なんて重たくてどうにもならないものだろう?でもこれらを手放すくらいなら、わたしは、永遠に自分のこころに苦しみながら生きてゆくことになっても構わなかった。抱きしめるたびに傷つくことになっても、それでも最期まで、わたしは思考を放棄せずにこころを抱きしめていようと思っている。


それが、わたしをすくいあげた男に対する誠実さだと思ったからだ。
竜から見ればうたた寝の長さほどの、短い命の残りをかけて。あの男は、わたしと、街の者と、家族へ、自分が持ち得る物のなにもかもを与えようとしている。
一瞬の命。あっという間に老いて消えてゆく命を。その他人に捧げたすべての時間を、わたしは永久の時間をかけて憶えておかねばならない。たとえ苦しくとも、そうしていたいと、わたしは心の底から思っていた。



△△△



街の長となった男は、もう滅多にわたしのもとへやっては来ない。その席を長く空けることは出来ないだろうし、「ただの英雄」だったころよりもはるかにやらなければいけないことが増えただろう。けれど虫や鳥たちから耳に入る男の話は、これまでよりも格段に増えている。それは「あの方は良い統治者だ」と、街の者たちが頻繁に噂しているからに他ならなかった。


首を伸ばす。空気の粒子を空に向かってひとつひとつ昇ろうとする、木々の枝や蔓たちと。きしきし。ぴしり。硬質な鱗が鳴る音は、金属製の風鈴によく似ていると、もう10年以上前に男は言っていた。心地が良い、お前のすぐ下で日向ぼっこをしながら昼寝をしてみたいとも。ついぞその男の願いが叶う日はやってこないのかもしれない。だが、そうだな。いつの日か男が老いて、大人になったファリアかファリアの婿に街の長を譲ったころ。年老いた男と、陽を浴びながらうたた寝するのを想像すれば、それは悪くないものだった。わたしにとってそれが、遠くない未来であればいいと願う。

ごろごろごろ、と遠い雷鳴が聞こえる。
雨季がすぐそこまで迫っている。
雨も好きだが、長い時間太陽を見れないのは寂しいことだ。この国ではひと月ほど続く雨季へ向けて、わたしはもっと陽を浴びようと翼も開く。まだ来ぬ男とのうたた寝の、白昼夢をみながら。




△△△



少し前から始まった雨季はどこまでも空気が透明で、薄い雲からはわずかに太陽の気配さえする。落ちてくる細い無数の雨粒を体躯すべてで受け止めていると、これにはまた陽光にはない気持ちよさがあった。以前よりもはるかに、雨の中のエネルギーが増したおかげもあるだろう。
___わたしはここ最近知ったのだが、自然信仰、とでもいうようなものがすっかり定着したようだった。「ひとは自然のただ中に生きていて、自然を取り除いては生きていけない。はじめから存在する自然なもののなかに神聖はあり、それを尊ぶ姿勢こそひとの生活まで豊かにする」、と言うものらしい。
それを耳に入れた小動物などは「ふぅん今さら?」という具合であったが、ここ10年で山や空は大きく変化してきたことをみなが分かっていたため、嬉しそうですらあった。
数百年間、人間たちから日々を脅かされ続けたわたしは、大勢の信仰や思想を変えることの難しさをよく知っている。けれどたったひとりでここまでやり遂げたのだ、あの男は。

ひとの文明のために自然が失われて、竜や幾ばくかの動植物が滅びたところで、数十世代先までは人間たちにとってはなんの影響もないはずだった。街の者や家族を守ろうとするあの男にとっても。けれどあの男は、はるか遠く山の上に棲むわたしの日々さえ、遠い場所から護ろうとしている。一度根付いた信仰は簡単には消えない。きっと男の狙い通り、この先も自然に宿るエネルギーや神聖はどんどん蘇ってゆくだろう。そしてわたしや小さな生き物たちを、護るのだろう。

冷たくも柔らかい雨が鱗に染み込んでゆく。その一粒一粒に、わたしのいろんな感情が溶けてゆく。どうしているのだろうな、お前たちは。満ち足りた毎日であるか。雨に凍えたりしない穏やかな日々であるか。わたしのように、尽きない淋しさを覚えることなどないか。
この雨があの男やファリアにとっても恵みになるよう、わたしは雨の帷の中でいつまでも祈った。




△△△




その日も雨だった。終わりかけた雨季を惜しむように、その日はやけに厚く重たい雲が山にかかっていたものだから、動物たちはすっかりねぐらに隠れている。わたしはいつもよりも高くに鼻先を伸ばしている。もし雷がおきたとき、まわりの木々に墜ちることがないように。ちょっと眩しいくらいで、雷撃などわたしにとっては何でもなかった。でも木々にとっては違う。これだけすべてがずぶ濡れならば燃え広がることはないだろうが、墜ちた一本は裂けて枯れゆくだろう。それが我慢ならない。わたしには、一本の木にさえ男が惜しまなかった苦労が宿っている気がしていたから。

とおい雷鳴や、地面や葉をたたく雨の音で、空を仰ぐわたしは「それ」にまったく、気が付いていなかった。

「___なんて、なんて、綺麗なの」

そんな、十数年前に聞いたことのある言葉が雨の隙間をすり抜けて、わたしの耳に届いた。驚くよりも先に瞳が声の主を探して、わたしの数メートル先の、恐れもせず立ち尽くす子どもを映す。___ああ。

頭の先から靴まですべてをずぶ濡れにして、少女が___大きくなったファリアが、そこにいた。興奮で目をキラキラとさせて、頬を真っ赤にしている。男によく似て日に焼けた顔。真っ黒で癖のある髪の毛から雫を落としながら、わたしを見上げている。


情けなくも目を丸くして何も言えないでいるわたしに、何歩かファリアが歩み寄るので、傷つけまいと無意識に後ずさる。それをみたファリアが眉を下げて笑う。

「父さんの言うとおり!___”あの竜は何物にも比べられないほど美しく大きくて、そして、その爪や鱗でわたしやお前を傷つけないように、いつも心を砕いていた”、って。眠る前にいつもあなたの話を聞いてた!」


その不用心な笑顔がどこまでも男に似ていて、わたしは息ができなくなる。そうしてようやっと思考が追い付いてから、自然と出てしまった溜め息の後に、立ち上がって四肢と翼を伸ばす。

”わたしの下に来い。そんなに濡れて風邪でも引いたら、あの男に何と言えばいい。腹の下でしゃがんでいなさい。わたしの鱗に触れると、お前の肌など破り裂いてしまう” 

絞りだした声がすこし風を生んだので慌てる。それを気にもしないファリアはありがとう、と言って、怯えることもなく腹の下に潜り込む。10歳になるファリアの身長では、立ち上がるわたしの腹の鱗に届きそうもなくて安心した。翼を脇腹へとたたんで、尾も脚へ寄せれば、そこは大きなテントのようにしっかりとファリアを雨と風から護った。
わたしの鱗に雨が落ちると、小さくきぃん、りぃん、と音を立てる。その音が体の下に響くようで、それをファリアは楽しそうにしていた。

「鱗が氷みたいに見えるから、あなたの体は雪みたいに冷たいんだと思ったの。おなかのしたは、こんなにあったかいのね。」
「父さんが、あなたは太陽の光を栄養に生きているんだって言ってたから、こんな陽の光みたいにあったかいのかしら?会いに来てよかった、わたしずっとあなたに会いたかったの」


そう無邪気に笑うファリアを見て頭が痛くなる。ずいぶんと久しい感覚だった。ああ、あの男に、本当によく似ている。
___ きっと今頃、あの男は狼狽しているに違いない。


”ファリア。耳をふさいでいなさい”


名を呼ばれて目を丸くしたファリアが、おとなしく耳を両手で塞ぐのを見てから。わたしは肺いっぱいに湿気た大気を吸い込んで、そして大きく咆哮した。
街の方向へ一直線に風が、立ち並んだ樹々をしならせながら山肌を滑り落ちていく。街の者は突然の嵐のような風に驚くだろう。けれどあの男だけは、「わたしの聲」だと、きっと気が付くはずだった。”お前の娘がわたしのところにいるぞ”と。

鳴きやんでもしばらくびりびりと大気が揺れていた。束の間雨が霧散したが、再び細い糸となって降り注ぐ。腹の下をのぞき込むとファリアは耳に手を当てたまま石のように固まっている。
直後、くすぐったくなるあの笑い声を響かせながら、ファリアは手をたたいて喜んだ。おかしな子供だ。再び溜め息をつきたくなるような、ひどく懐かしい気持ちに胸の奥が熱くて冷たくなる。

”こんな場所までお前ひとりできては、父と母が心配するだろう”

わたしは男が長となってから街の方向へ、居場所を山の下層へとずいぶん移動していた。とはいえ、人間の足ではかなり難儀する距離だ。ましてや子供には。会えてうれしい気持ちを素直に喜ぶのは気が引けるし、こんなことが何度もあってはいつか危険な目に遭うだろう。わたしは複雑に思いながら厳しい言葉をかけるが、どうやっても優しい口調になってしまう。


「突然来てごめんなさい。でも、毎日父さんがあなたの話をするものだから、ずっと会いたくて。そしたら父さんたら、昨日初めて、”お前の名前は竜がつけてくれたんだよ。人間の発音に言い換えたんだけど、本当のお前の名は人間じゃ発音できない竜の言語なんだ” って言うの!私、本当の名前をあなたに教えてもらいたくて、我慢できなくて、そのあとベッドを抜け出してここに来たの」

一気に言い終えて、父親似の頑なな表情で、いくらか緊張しながら。ファリアは息を落ち着けてから、おずおずとこう切り出した。

「あのね、あのね、父さんからも、あなたからも、ちゃんとお叱りを受けるから。必ず明日からいい子にするから、私の本当の名前を、呼んでくれる?」

___一体どこまで、あの男に似るつもりだろう?
叱らねばなるまい事態だというのに、わたしは可笑しくなって笑い出したくなる。雨はまだ止みそうもないし、わたしがこの子を背に乗せて運んでやることも出来ない。もう、どうしようもないのだ。どこかで笑っているだろうかといつも気にかけていた幼子との時間を、わたしは楽しもうと決めた。永い永い孤独な老い先への、小さくも大切な土産のようなつもりで。

“後でたくさん、父親から叱ってもらいなさい。ここへは、お前の父1人で迎えにくるはずだから。それまでここで雨宿りを。___【             】。”


竜の言語は、特別な作用で空気を震わせているんじゃないかと男はある日言っていた。それがどのような作用であるのかは知らないが、この言語が決して何者も傷つけない風を産むことだけは、大昔から知っていた。
ファリアやわたしの下でしとどに湿った草花から、束の間数えきれない水滴が小さくまあるい形のままで浮き上がって、ファリアの膝ほどの高さで細やかに揺れた。わたしの巨躯が作る影の中で、水滴たちは健気なほどに、きらきらと星のように輝いている。「水が揺れる音」というものを表現することは難しいが、それは朧気でどこまでも優しい。たった一瞬巻き起こってそして落ちていくのを見ながら、これが雨の中でつくる一番美しい景色だとわたしは思うから、ファリアの記憶に刻まれていつの日か心を照らすような瞬間であればいいと、願った。

ファリアはずいぶんと長い時間何も言わずに立ち尽くして、「ありがとう」とはっきり言った後にぽろぽろと泣いた。”お前の名は気に入ったか”と問えば、「もちろん。すごく。わたしきっと今日のことを、死ぬまで、死んでも、絶対に忘れないわ」とそう言った。
わたしは満足して、無理に折り曲げて腹の下をのぞき込んでいた首を伸ばした。




雨の中を、今や長となった男が迎えに来るのを、わたしたちは待った。たくさんの話をしながら。
名前の由来。竜に伝わる神話の数々。星の読み方。学校の話。父と母の話。街の話。


わたしはいまたくさんの「永遠」を感じている。いくつもの、失くなったり薄れたりしない感情。命の長さは違えど、人間にも竜にも等しく終わりはやってくる。終わりまでの道のりの中、人生を照らす永遠をいくつ見つけられるだろう?終わりの淵に立った時、一体いくつの永遠を手にして眠ることができるだろう?

この小さな少女にも、わたしと同じだけ満ち足りた心地で生きてもらいたい。
ほら、いましがた雨の中息を切らせて走ってきた男のもとでなら、きっと叶うだろう。

”久しいな。よくやっているそうじゃないか、英雄”

笑顔で手を振るファリアと、ファリアの大きな傘となっているわたしと。何度も見比べて破顔した男は、いくらか老けて立派なひげを蓄えていた。けれど、安心したら泣くところも、ファリアを抱き上げる無骨ながら優しい掌も、わたしを見つけて嬉しそうにする顔も、何も変わっていなかった。

”帰って母に早く顔を見せてやれ”と言った。
男は名残惜しそうな顔でこちらを見る。その分かりやすすぎる表情から、ここで話したいことがたくさんあったことも、街の者や母がとてもとても心配していることも、街でやらねばならない責務がたくさんあることも全てが分かった。
だから、数年ぶりの再会にも別れにも何も思っていない風を装う。”隠居することになったら、またここに来い”とも言えば、男はいくらかほころんだ頬で「……ありがとう」と言った。

”ファリア。もうここに来てはいけない。「竜は死んだ」のだから”

お前たちが哀しそうな顔をするのを見て、心が満たされる私を赦してほしい。わたしはもういいのだ。たくさんお前たちから永遠をもらったのだから。

何度も振り返ってありがとうと叫ぶ男と、雨具にくるまれて泣きながら手を振り続けるファリア。
もうすっかり暗くなった夜の山で、せめて帰り道がやさしいものであるように、竜の言語で叫ぶ。


【___ここでお前たちの短くて美しい命をずっとおもっているよ、わたしの永い命の途中で、きっとお前たちを喪うのだろう、でも、お前たちがくれたものを抱きしめながら生きるよ。お前が再び生き返らせたこの山の中で】

街へと一直線に雨が割れて、聲の通り道は闇の中、星のような水滴が瞬くだろう。
生きろ、幸福に。そしてできるなら、お前たちの永遠の中にわたしを、棲まわせておくれ。


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