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自分を退屈させないために変化し続けることについて

成長したいと思ったことがありません。意識が低いなあと我ながら思います。成長欲求が原動力になったことがない。

自分が一時的に所属する組織内での役割を満たすために、成長せざるを得なかったことはあります。でも、それは外部からの社会的圧力であって、内部から湧き出るような成長のモチベーションではなかったように思います。

会社という枠組みにソトから関わるようになって4年が経って、なぜ成長欲求がないのか、少し分かってきた気がします。

わたしは、成長ではなく、変化したいようなのです。

成長は上へ向かう

成長は上に向かって伸びていくようなイメージで、大きな変化はなく、少しずつ向上していくような感覚があります。

ゲームのレベルを上げていくような感じで、これはこれで楽しいのだと思います。昨日できなかったことが今日できるようになった!みたいな達成の連続がモチベーションになることも理解できます。

そして、上に伸びていくということは、隣にいる同じ様に上に伸びている人と比較可能だということでもあります。比較するつもりがなくても、比較可能であるというだけで、人は比べてしまうものです。年収、学歴、身長、などなどw

このような性質を持つ「上に向かう成長」。わたしはそれにあんまり興味がないんだろうなと思います。


変化は横へ向かう

変化は横に移動していくイメージで、ときにガラッと変えることができます。私自身、フリーランスになってからも何度か肩書きを変えて転職したり、新しいプロジェクトを手掛けたりしています。

ゲームのレベル上げではなく、自分でゲームを作ったりする感じです。毎日のように新しいことが起きて、毎日が旅のような感覚になります。

そして、変化は一定の方向を持っているわけではないので、比べる相手がいない。唯一無二の自分だけの物語のなかで、自分だけの意味付けで活動することができています。

このような性質を持つ「横に向かう変化」。わたしはそれが好きなんだと思います。


自分を退屈させないために

なぜ、そんなに変化を求めるのかといえば、それは退屈が大嫌いだからです。退屈に似ている概念に暇(ヒマ)がありますが、これはむしろ大好きです。

ぼーっと景色を眺めているとき、暇だけど充実しています。

逆に、忙しくしているときに仕事に退屈することもある。

暇は大好き。でも退屈が耐えられない。

退屈とは繰り返しです。繰り返しによって生まれる退屈さ。この退屈は自分で対処するしかありません。

だから、自分でコントロールできて、いつでもできる「変化」は私にとって退屈への処方箋なのです。成長はコントロールが難しく、いつでもできるわけではありませんから。

だからコロコロと、気軽に、軽薄に、節操なく、変化していく。

こんな刹那的な生き方をしていたらいつか壁にぶち当たるかもしれません。でも、その壁はきっと私を退屈させないと思うので、それはそれで悪くないんじゃないかなと思っています。


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