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コミュニティは一本の木だ

比喩によって、人はそのものの本質を理解することができます。しかし、それはある側面から眺めたときの比喩でしかありません。

わたしは以前、コミュニティをバームクーヘンにたとえて表現しました。

バームクーヘンの作り方をご存知でしょうか?店頭で焼き上げる様子を見たことがあるかもしれません。中心に核(この場合は芯と呼んだほうがいいですが)となる棒があり、その周りに生地を塗りながら遠火で焼いていくのです。

その層が焼き上がったらまたその外側にもう1層塗り重ね、同じように焼いていきます。決して急いで層を厚くしてはいけません。少しずつやらないと、内側が生焼けになって崩れてしまいます。

この比喩は、あくまで「コミュニティの人数が増えていく動的なプロセス」をバームクーヘンになぞらえたものです。

そのため、この比喩はコミュニティをその側面でしか表現できていない。わたしはもっと広くコミュニティを表現できる、的確でおおらかな比喩を考え続けていました。

そのときに出会ったのが「続・ゆっくり、いそげ」という本です。

この本の紹介文を抜粋してみます。

カフェの営業から、出版、哲学カフェ、地域通貨、書店、田んぼづくりと活動を広げてきたクルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店の道のりは、まるで植物のそれのようだ。
 
そこに設計図はなく、縁と偶発性から、伸ばすべき枝が自然と伸びてきた。
 
そう、自動車を作るようにではなく、植物が育つように。

気になるかたはぜひ読んでみていただきたいです。わたしは、この本を読んでストンと腹に落ちる感覚を味わいました。

そう、やっぱり植物だ。

コミュニティは一本の木なんだ。


コミュニティを木にたとえてみる

コミュニティを木にたとえるなら、土はなんだろう?

木は、土から養分を得て、その存在を支えられている。だとすれば、土は「文化」だ。文化という土がコミュニティを支えている。豊かな土が木を育むように、豊かな文化がコミュニティを育む。

コミュニティを木にたとえるなら、幹はなんだろう?

木の幹は、全体を統合している。だとすれば、幹は「仕組み」だ。仕組みという幹がコミュニティの活動やコンテンツを生み出している。しなやかな幹が木を保つように、しなやかな仕組みがコミュニティを保つ。

コミュニティを木にたとえるなら、根はなんだろう?

木の根は、土と幹のつなぎ目だ。だとすれば、根は「文化と仕組みの一貫性」だ。仕組みが文化に根ざしていることが、コミュニティのアイデンティティとなる。深い根が木を活かすように、深い一貫性がコミュニティを活かす。

コミュニティを木にたとえるなら、枝はなんだろう?

木の枝は、幹から伸びる生命力だ。だとすれば、枝は「活動」だ。活動という枝が、コミュニティの生命力を表している。四方八方に茂った枝が太陽光からエネルギーを生み出すように、四方八方に立ち上がる活動がコミュニティのエネルギーを生み出す。

コミュニティを木にたとえるなら、果実はなんだろう?

果実は、枝から生まれる新たな萌芽だ。だとすれば、果実は「非公式な活動」だ。非公式な活動という果実が、コミュニティの熱量の結実した結晶だと言える。果実がやがて新しい未来につながるように、非公式な活動もやがて未来につながる。


コミュニティとは一本の木だ。

そして、このマガジンのタイトルにもある「コミュニティデザイン」とは、この木が育つのを楽しみに見守り、必要なときに手を加える庭師のような役割だと思います。

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