母という女の人

母の日はとうに過ぎてしまいましたが、母のはなし。

わたしは母子家庭に育ったので、さぞかし母親とのつながりが強いんだろうと思われがちですが、そうでもないんです。
母親は常に仕事で外に出ていたし、完全放任主義というか、「こうすべきだ」とか「こうなるべきだ」等の娘のシナリオは持ってなかった。女の生き方指南みたいなことは唯一「手に職をつけたほうがいい」だったかな。自分がそれで苦労しているから、ということでオススメは薬剤師でした。

わたしの父は母との結婚が四回目で(二人目の女性と二回結婚して離婚したらしいので)、わたしを35歳の時に産みました。昭和42年の出来事だったから、当時にしてはかなりの高齢出産と周りから心配されたんじゃないかと思うのです。
娘が言うのもアレですが、母は綺麗な女性でした。だから結婚四回目の相手と晩婚&高齢出産に至るまでにどんなドラマがあったのか、一人の女性としての母の人生、知りたかったなあ。母はすでに他界してしまっています。

母のことをあまり知っているとは言えません。
わたしが17歳の時に母親は隣の県の、再婚相手のところに嫁いで行き、わたしはそこから一人暮らしが始まったので。ここからはお互い、別々の世界を生き始めたと言う理解でいたのです。

だから母のお葬式の日に、従兄弟から聞いたこの話は衝撃でした。

「ゆうこちゃん(わたし)が東京で勤めてた時の事なんだけどね・・・。お母さんに付き合って、東京のゆうこちゃんの会社を訪ねたことがあってね。そしたら出張に行ってるって言われて、諦めて帰って来たの。お母さん、再婚生活がその時はうまく行ってなかったみたいで、ゆうこちゃんとまた暮らしたかったんだって。」「でも、出張に行かせてもらうくらい頑張ってるみたいだから、邪魔したらいけないって…。結局帰って来たのよね。」

そして、何も知らないわたしはその後すぐにシンガポールに転勤。親孝行の良い機会じゃないかと思い、母親と再婚相手のかたにシンガポール旅行をプレゼントしたんです。
喜んでもらえるかと思ったのですが、結局「お義父さんは仕事が忙しいから、富ちゃんに付き合ってもらった」と言って、この東京まで付き添いで来てくれた従兄弟と二人で遊びに来てくれました。もちろんこの時も何も聞かされずです。
「そうか、お義父さんは仕事が忙しいのか。」以上の事は考えませんでした。

「シンガポールはええところやね。ビルの清掃婦で雇ってもらえんかね?ここに住みたい!」とはしゃいでいた母。
喜んでもらえて本当によかった、としか思っていませんでした。まさか本気で住みたいと言っていたんだと、お葬式の日までわたしは全く気づくことが無かった。
母の選択肢を完全に閉ざしてしまっていたんだと、お別れの日まで知らされる事はなかったのです。

でもまあ、結婚生活とはどんなに素晴らしい相手とでも一筋縄では行かないことなどわかっているし。再婚で母親の生活がガラリと変わり、七年目だったということもあり苦悩していたのでしょう。
結局、母の口からそのことが語られる事はなく、お葬式の日まで従兄弟も口にしなかったということは、母の一時の気の迷いだったに違いないのですが。
それでも「そんな行動力がある人だったんだ」と、自分の知らない母にビックリしたことを覚えています。

でもあの時、あのタイミングで出張に行っていなかったら?
と、今でもたまに親子2人の女の人生について思いを馳せることがあります。


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ジーンと来ました。
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