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「人は変わる」と言うけれど

「ちょうこはいつ会っても変わらないね、安心する」と、今日は約1年振りに再開した友人に言われた。(そういう彼女も相変わらずだと思うのは私だけだろうか。)

自分自身に関して考えると、価値観や気づきや考え方や周りとの状況や、、、1年も経てば、それなりの変化が現れたと感じている。実際きちんと振り返って考えてみると、1年前と比べてそれなりに変化している。仕事のバランスも、住む場所も、付き合う人間も、価値観や考え方も、この365日の間にそれなりの変化を重ねている。
しかし今日友人から指摘されたのはそこではない。
私自身が纏う空気感のことなんだと、思う。

私と彼女は共通の友人も多く、友人たち含めそれなりに長い付き合いになる。他の友人たちがどのように変化していったのかを、彼女も間近で感じたばかりとのことだ。その上で言われたのが、「ちょうこは変わらないね」だったと。

また彼女自身も、以前会った頃と仕事や考え方に大きな変化があったらしいが、それを踏まえた上で相変わらずの彼女だった。一緒にいると、ゆるっと脱力する感じ。他の人には感じられない、貴重な感覚だ。

人はどうして変わるのだろう。
私自身、付き合う友人の層が変わったり、知り合う人の層が変わる毎に、沢山の人たちからの影響を受け、自分の中に反響させ、自身に問うてきた。

自分はどう在りたいのか、誰といたいのか、誰に対して何がしたいのか。

そしてそれがきっと、彼女と出会った頃から、もしかしたらそれよりもずっともっと前から、私は変わっていないのかもしれない。
自分はどう在りたいのか、誰といたいのか、誰に対して何がしたいのか。

勿論全てが綺麗事じゃないけれど、それでも何か自分の中に揺るがない、譲れないものがあるのではないだろうか。もし仮にそれを脅かす第三者が現れたのなら、勇気を持って立ち向かう。たとえそれが自分にとってどれほど大切な人であったとしても。それこそが、私が私であり続けている所以なのではないだろうか。


周りの皆を守れるような強い自分になりたいと思いながらも、気づけば沢山の人に守られていると感じるようになった。自分一人では到底できないような事も、力を貸してくれる皆がいるから、立ち向かえる。
完全な人間でも何でもなくて、怠惰で傲慢で沸点の低い私を、「ヤレヤレ」と言いながら面倒見てくれる皆がいる。だから私は、私でいられるのだ。

そう考えると多分、今周りで力を貸してくれている皆がいるからこそ、私は私でいられるのだろう。だから一層、皆のことを大事にしようと。


自分がどんどん強くなっていくと共に、弱くなっているとも感じる。
怖いと感じることも勿論ある。だけれどもし仮に、恐怖や不安、怒りや嫉妬の感情に飲み込まれてしまったならば、それまで築き上げてきた大切なものも一緒に飲み込んでしまうのではないか。そっちの方がよっぽど恐ろしいことだと思うから、きっと私は私であり続けたいのだ。

ムッとした顔よりもニッコリしていたい。
怒ってもすぐに忘れられる自分でいたい。
慈愛を持った人間でいたい。

まだまだ全然至らない。
ダメダメな自分だなぁ。皆はすごいなぁと思いながらも、

良くも悪くも自分が自分であることは変えられない訳なので、そんな中でも

どんな自分でありたいのか
誰と一緒にいたいのか
誰に対して何がしたいのか

これからも揺るがない自分の軸は持ち続け、変化はしながら変わらない安心感をお届けしていきたいと思ったのでしたとさ。

おしまい。

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