「家族留学」を通じて、“ パートナーシップ”の正体を掴みかけた話
さて、突然ではあるが。
昨日、NPO法人manmaさんが提供する「家族留学」のサービスを久しぶりに受けてきた。
実は、manmaさんの家族留学を受けるのは今回が2度目。初めてこのサービスを知ったのは約6年前。当時保育サービス企業に勤めていた私は、子育てしているご家族と直にコミュニケーションが取れる機会を探していた。そこで出会ったのが、manmaさんだ。そうして今回、以来約6年ぶりとなる家族留学へ行ってきた。
最早 初めてに近い感覚で受けることができ、楽しみで楽しみで、前日の夜はいつもより2時間早く就寝したほどだった。
人生2回目となる今回の留学先のご家族は、共働き30代、1児の男の子を育てるお家だった。朝の10時〜15時にかけて、主にご自宅で時間を共有させていただいた。
今2歳6ヶ月だという、男の子のこれまた元気なこと。動き回り飛び回るお子さんと一緒に遊びながら、ご両親とは合間に質問を交わしたり、時にゆっくりヒアリングさせていただいたりと、遊びと対話を上手いこと融合させながら、たくさんのことを質問し、そして“家族”を体験させていただいた。
受け入れ家族のお二人からは、どんな質問に対しても真っ直ぐありのままの考え方を答えていただき、またどの答えに関しても「なるほどなァ」と今の私に染み渡るような、そんな答えをいただいた。
…ここで、「なるほどなァ」と感嘆できるようになった辺り、個人的に初回の家族留学を受けた6年前の自分(家事代行の仕事を始める前の自分)とは異なる点になっていたと、改めて感じる。
というのも、過去に同じく家族留学を受けた当時の私はまだ23歳、受け入れ家族の方は自分よりも10歳以上年上の方で、その時の体験談は体験談ながらも「漠然とした未来の話」として、自分自身どこか他人事として受け止めていたからだ。
それが今回、同年代の方が今まさに考えている事を教えていただいて、数年先にあり得るかもしれない半歩先の未来として、留学先のご家族の話を受け止めることができたのだ。
要はある程度仕事に関して揉まれてきた上で、ワーク・ライフ・バランスに関する関心が高まり、自分ごととして具体的に受け止める心の準備ができるようになっていた、という訳だ。また今回ようやく、このサービスを再びピュアな気持ちで体験することが出来たことが嬉しくもあった。
※“ピュアな気持ち”というのは、フランスへ行く前の私なら、マーケティング視察的な観点が先行し過ぎてしまい、本来の意義である“個人的な疑問解消の場”に今ほど繋げられなかっただろう、と思うからだ。
そうして今回の家族留学を通じて感じたことは、主に2つ。
①家族は自分1人ではつくれない
②家族とは合理が全てではない
では、各項目について説明したいと思う。
①家族は自分ひとりではつくれない
今回留学させていただいたご家族の話で特に印象的だったのが、その圧倒的な夫婦の連携だった。
例えば、
平日ほぼ毎日出勤している奥さんの朝の負担を減らすため、お子さんの朝ごはん〜保育園への送迎に至るまでの一連の朝のことを、フルリモートの旦那さんが担っていること。
例えば、
休日の子どもの相手は主に旦那さん、料理や家のことを奥さんが行い、旦那さんは夜に仕事の打ち合わせや予定が入ってしまう分、休日できるだけ奥さんが1人になれる時間をつくるように心がけていること。
他にも、
「今日は お迎えに行く余裕があるから、自分が行くよ」と声を掛け合い、お互いがお互いの負担を減らせるように協力し合っていたり、
相手がしんどそうにしていたら、都度“夫婦会議”を通して家事分担を見つめ直したりと
どちらかが一方的に(もしくは無意識的に)決めたルールに従うのではなく、ルールを自分たちで柔軟に改変し、その時々の自分たちに合った最適解を探りながら、常に更新しているようだった。
また、そんな夫婦コミュニケーションをより柔和にさせるためのツールとして、毎日の「(交換)日記」があるのだそう。妊娠した当時の記録として日記アプリを始めたらしいのだが、数年経った今もお互い日記を続けており、直接は言えないけど、伝えたいことを日記を通して伝えていることもあるのだと言っていた。
正直、「マジか…(凄すぎる)」と思った(多分口に出てた)。
しかしながら、そうした細やかな相手を 想い合う気遣いがあるからこそ、夫婦間コミュニケーションも円滑に取れており、特段喧嘩もしたことがないのだとか。実際に今回受け入れていただいた家族のご両親は、とても朗らかで、激情のぶつけ合いとは縁が遠そうな印象も見受けられたのは、こうした日頃の体制の賜物なんだろうと納得できた。
…しかしながら、それを聞いていく上で、自分の中にまた新たな問いがまた一つ生まれる。
いやそれ、私1人ではできなくないか??
つまるところ、それらの行動がきっと、それらが今回留学させていただいたご夫婦流の「パートナーシップの築き方」であり、ここまで素晴らしい夫婦の連携が取れているのだと思う。
しかし、もし仮に(まだ分からないが)私の将来のパートナーがそもそも家族観のアップデートに関して、興味を抱いていない人だとしたら、
例えば「朝は慌ただしいから、家のことはパートナーに任せたい」と思っていたとしても、「どうしてそう思ったのか?」「実現させるために、どんな協力体制をしたら良いか?」といったような、改善案の提案は難しいだろう。
提案し、相手に納得してもらい、可決し、実際に運用し、定着するまでには必ず相手理解と協力の姿勢が無ければ不可欠である。
そうした、日常生活における(ちょっとした、“こうなったら嬉しいな”といったようなものも含めた)要望や問題は、あらゆる場面で出てくるだろう。それら一つひとつに対して向き合い、一緒に考えるには、どうしてもお互いの温度感を合わせる必要があるのではないか。
“家族”に対して、自分が相手にどこまでの温度を求め、また相手が求める温度に自分も合わせられるのだろうか、そんなことを考えていると、
改めて家族とは、自分ひとりの努力や思考だけでは動かしきれず、パートナーや子どもとの連携があって初めてシステムが実装されるものであって、点と点の集まりではなく、立体的な存在なのだと感じさせられた。
②家族とは合理が全てではない
そんな、留学先の“家族観”についてお話しをお伺いしていると、数ヶ月前までの仕事人間な私だったとしたら、どうしても気にしてしまう点があった。
「妊娠するにも出産するにも、子どもを育てるにも、大変なことの方が多いし出費も多い。そんな今の時代に、それでも子どもを育てようと思った動機はどこにあったのか?」ということだ。
そして、快く答えてくださった奥さんのお話がとても素敵だったので、記憶のままにご紹介させていただきたい。
この返事を聞いた時に、そうか、家族って“そういうもの”なんだなぁ、と自分の中にじぃんと染み渡るようなものを感じた。
というのも、普段「子育て支援としての家事代行」を仕事として取り組んでいる私。自らが子育ての当事者ではないことを思うと、「果たして自分に家庭支援を名乗る資格はあるのだろうか?」といった、焦りにも近いような悩みを長い間抱えていた。その結果、顧客心理の理解の為に「ビジネス婚でも良いから、取り急ぎでも家族をつくった方が良いのでは?」と考えたことすらあるほどだ。
恐らく理由は違えど、私のように半ば焦りにも近いような感覚から、結婚・出産を考えた人も、他にいるのではないだろうか。
しかし、家族とはそうした「有益性」や「非合理的だから」「周りに言われるから」といったような判断ありきのものではなく
仮にそれがどんなかたちであったとしても、“それでいいよ”と言える存在
なのかもしれない、と、今日のお話を聞いてそう感じたのだ。
意図的に家族を創るのではなく、今目の前にある選択肢を如何に家族として受け入れ、愛するか。そんな柔らかい考え方があっても素敵だと、そう思った。そしてそれがきっと、想いやりにあふれたパートナーシップを築くための入り口になるのではないだろうか。
この、“合理性”とは矛盾した「家族」という存在を慈しむこと、そんな感覚が少しでも 理解できるようになった辺り、自分も仕事と向き合い、また仕事に染まりきらず、自身の人生観と向き合ってきたことが報われたような、少しほっこりした気持ちになれた。
そして家族とは、“自分という人間の深みを育ててくれる場所”でもあるのかもしれない、とそう思ったのだった。
今回の家族留学を通じて、自身のライフキャリア的に大変参考になった部分もあれば、仕事的なヒントをたくさんいただいた部分ももちろん沢山あった。
この素敵な機会をくださったNPO法人manmaさん、そして今回受け入れ家族として留学させてくださったご家族の皆さんには、この場をお借りして改めて感謝の気持ちをここでお伝えさせていただきます。
今回聞かせてもらった、素敵ないち家族の価値観を胸に、明日からもこれからの「家族のかたち」について考え、深めていこうとそう活力をいただいた1日でしたとさ。
▼manmaの家族留学はこちらから
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