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スイミーでいること

こんなことわざわざ言うのもはずかしいけど、小・中学生の頃「変わってるね」と言われることが嬉しくて、あえてそういう行動をしていた節がある。「着眼点違うでしょ」みたいなところを見せたかったのかもしれない。

アイディア勝負の図工や、行事ごとは楽しかった。動物占いは「狼」で大喜び。中学に上がるとカルチャーへの興味が湧いて、みんなが読まなそうなマンガや、マイナーっぽいバンドを探した。物事をなるべく自由に解釈して、自分なりにことばにしてきた。

まあ、こんな程度の「変わってる」への憧れは、だんだんと世の中にある自分の好きなものを発掘する楽しさに変わり、考えたことはそのままわたしの個性になった。

それでいて、周りの人は、わたしと誰かを比べたりしなかった。だからわたしは堂々と自分の好きなものを好きだと言い、自分の考えを話すことができたのだろう。

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団体でいるときのわたしは、調和を好み、「みんなにとって良いこと」が「自分にとっても良いこと」となるタイプだった。でもときどき自分でもびっくりするくらい、人と違う意思表示をはっきりとすることがあった。

たとえば、孤立していた女の子が学校に来たとき地獄のような空気の中で「おっはよ〜」と言うとか、無視されてた数学の先生にひとり自主学習を提出し続けるとか、ずっと力を振りかざしてケンカ(という名の支配)をし続けていたともだちをある日「許しちゃいけないな」と思ってじっと耐えて仲直りをしなかったり、とか。(時を経て仲直り済み)

英雄ぶりたいんじゃないのだけど、人の顔色をうかがうような調子の良さも持っている自分が、どうして時々そういうことができたのかが、ふしぎなのだ。

もしかしたら、

「変わってる」への憧れからスタートしたヘンテコな気持ちは、「人と違う状況がこわくない」につながっていったのかもしれない。


スイミーでいること。

人と違う選択を、おそれちゃいけない。みんなと違う意見でも、本当にそう思うなら伝える。いつもはゆらゆらみんなと泳いでいても、守りたいことがあるなら。好きなことがあるなら。くるっと身を翻して、スイミーになることを恐れない。


うれちい