※追記あり② 久保田弘信氏について

※① 3月3日 21時40分 久保田氏と直接電話で話した内容を追記しました。最後部にあります。

※② 3月6日に新たなメールアドレスを加えました。

また、記事の信憑性を問う声が上がっているので、渡航と久保田氏の虚偽報道についての証拠を新たに掲載しました。


▽「ずっと自分にスキがあったからだと思おうとしてきました」

広河隆一の性暴力を告発する記事が文春から飛び出したのは昨年末のことだった。記事に目を通した私の胸に、はじかれたような驚きとそれからなんとも言えない苦い感情が広がるのを感じていた。 ヌード撮影、パワハラ、レイプ…人権派ジャーナリストの衝撃的なエピソードに世間の第一声は、「信じられない」という驚愕だったように思う。1月下旬には、再び文春に「私は2週間レイプされ続けた」という痛切な見出しの続報が掲載された。私は困惑とも後悔ともつかない気持ちでそれを読み終え、そしてこのブログを立ち上げた。

冒頭の言葉は、広河氏の性暴力を告発した女性のものだ。この言葉や記事に書かれている内容に既視感を覚えたからこそ私は驚きが隠せなかった。なぜなら私の過去の体験は、広河氏とはまた別の男性「フォトジャーナリスト」との間で起こったことだからだ。

広河氏についての記事と私の過去の体験はよく似ていた。それは、性的あるいは暴力的なハラスメントは似通った環境下で行われるという衝撃だった。私はずっと「人を見る目がなかった」と自分を責めていた。けれど、例え見る目が無くても、彼女たちや私の体験を照らし合わせることで共通した手口を浮かび上がらせられれば、私のくだらない体験も被害を食い止める道標の1つになるかもしれない。その思いからこれを書いている。

それから、理由はもう一つある。広河氏は今回の報道でデイズジャパンの代表取締役を解任された。だが私が知る男性「フォトジャーナリスト」は今もこの仕事を続けている。教育機関や人権団体で講演することもある。誰かが被害に遭う可能性がある以上、もう黙っていることはできない。

先に自分自身について書いておこうと思う。私はメディアに勤務している20代の女性だ。それまでは地方の大学で学ぶ不真面目な学生だった。息の詰まる大学が嫌で、カメラを手に約1年間海外を貧乏旅行をしていた。

これから書くのは私がまだそんな学生だった頃に出会った「フォトジャーナリスト」の久保田弘信氏についての話だ。社会人になった今、記憶を頼りにこれを書いたため記憶のブレや言葉尻の正確さには疑義があるかも知れない。また地名や人名については仮名を用いている。今振り返って思うことや広河氏との共通項は全て文末に記してあるので、結論を読みたい方はページをスクロールしてほしい。

気をつけたいのは、私はこの記事で個人を告発する気はない。私は当時学生とはいえ既に20歳を越えていたし、相手に媚びるような態度があったと思う。拒絶の意思を伝える努力も足りていなかった。自分がいくら傷ついても構わないとい気持ちで生きていた。だから合意じゃなかったと声を上げるつもりは毛頭ない。なのでここには敢えて書かない事実もある。けれども、それを勘案しても彼の行動には責任ある大人として、ジャーナリストとして疑問を感じざるを得ない点が数多くある。そして何より、私の軽率さが成功体験になり、また別の被害に繋がってしまうことがあってはならない。だからこの体験を通じて、かつての私のような若い人たちに警鐘を鳴らしたい。

 最後に、文末に個人のアドレスを掲載したので、久保田氏についてなど伝えたいことがあれば、そこに連絡して欲しい。前置きが長くなったが、戒めを込め、報道を志す若者や学生達にこれが届くことを祈って、これまでの経緯と出来事を書いていこうと思う。

▽「私のような素人の学生がフォトジャーナリズムを学べるのは…」

その頃、地方で美術を学ぶコンプレックスまみれの学生だった私は、ようやく手にした報道機関への内定を手にして途方に暮れていた。自分にはそれがとても不相応に思われたからだ。趣味で写真を撮っているだけの、ろくな教養もない私が数か月後には記者として働く。考えるだけで恐ろしかった。輝かしい活躍をしている記者たちと自分を比べては、「留学経験なんてないし、文章もろくに書けない。撮る写真もつまらないものばかり」と焦っていた。

「写真の技術や報道のノウハウを教えてくれる誰かが居たら」
都合のいいことばかり夢想していたその時、旅先で出会った友人に紹介されたのが久保田氏だった。Facebookから友達申請するとすぐにメッセージでホームパーティに誘われた。

 彼の初対面の印象はとにかく自画自賛する人だった。口癖は、「俺は世界の久保田だから」。酔うと過去の取材譚を語り、著名な記者の名前がいくつも登場した。聞けば、私が憧れていた記者の1人は彼の親友だという。自賛は多いが、現場の経験も長く豊富だと分かり彼の仕事に興味を持った。

 偶然足を踏み入れた報道の世界で約20年をフリーとして生き抜いたという久保田氏の経歴から、学生相手に虚勢を張る大人が厳しい世界を生き残れるとは思えず、大人げない発言も実績に裏打ちされた自信だろうと受け止めた。実際、訪れているのはどれも激しい戦闘のあった国で、イスラム過激派として名高いグループへの取材も行っていた。
 「馬鹿な私は知らなかったけど、きっとこの人はすごい人で、この人が撮るのはすごい写真なのだ」。そう信じて疑わなかった。

 また、彼の口からでる国連や外務省の友人というフレーズも、周囲に肩書ある大人がいるという安心感を生んだ。実際、家を訪ねるのは国際関係や語学大の優秀な学生たちで、自分とは比べものにならない。それも手伝って彼がなおさら信頼の厚い人に映った。

▽「海外に一緒にいかないか」

 「A国に連れてってほしい」。久保田氏にそう頼まれたのは私が大学4年生の秋ごろだった。当時、内戦が始まってからそこに入国した日本人ジャーナリストはおらず、だからこそ敢えて夏休みに1人私はそこを訪ねた。何が起きているのか純粋に知りたかった。

 そんな話題から急に持ちかけられた依頼は、学生最後の旅先を考えていた私にとって悩ましいものだった。久保田氏とA国を再訪するなら、その分金銭的にも時間的にも他の国を訪れる余裕がなくなるからだ。

 悩む私に、久保田氏はとりあえずA国の写真を見たいと言うので、撮影したデータを期待と不安混じりに渡したところ、顔をひしゃげて「へたくそ」とため息をつかれた。
 「こんな酷い写真しか撮ってもらえなかったA国の人たちが可哀想だ。使い物にならん」。
尊敬していた人の厳しい口調にすっかり萎縮した私に、「俺が行ければ代わりに素晴らしい写真を撮れる」と久保田氏は力説した。また、氏は渡航中に撮影のノウハウを教えてくれるとも言った。

プロの仕事を間近で見られる。普段を地方の大学ですごす私にとって、記者の仕事ぶりをうかがい知る機会は夢のまた夢だった。まして、入社する同期の殆どは、大学でジャーナリズムを学んだり、学生メディアで働いたり、報道機関でのインターンを通じて経験を重ねたりしているという。
私にとっては、その渡航がまたとないチャンスのように思えた。

 それに自分の撮ったものが使い物にならない以上、私がA国の人たちに唯一できる仕事は久保田氏の渡航のバックアップしかないという自責もあった。
 「これまで難民キャンプの支援をしたり、NGOの看護師に頼まれて医薬品を運んだりしたこともあるから、A国の国内避難民キャンプの支援もできる」という氏の提案が渡航の決め手になった。

▽『これはしなきゃならないもの』

はじめの違和感はビザの準備にとりかかった時だった。
現地の知人に「これは新婚旅行だ」と嘘をつくように指示された。「俺の取材経験から、絶対こうしたほうがいいと思う。未婚の男女が一緒にいると最悪殺されかねない」。
 名字も違い、年齢も四半世紀以上離れている男女が新婚旅行と偽るのが果たして最適なのか。何より友人に嘘をつかないといけないことに罪悪感があったが、経験のある氏に反論できる材料は持ち合わせていなかった。

また、しきりに渡航の予定を周囲に隠すように徹底させられた。それ自体は不自然ではないが、家族にも目的地を隠すのはやりすぎにも感じた。疑問を口にすると、「だからお前は甘いんだ」と言われ、プロはそういうものなのだとの説明に、私はかえって感嘆させられた。

渡航前に情報を極力集めておこうと参加を決めた専門家らの研究発表なども全てキャンセルするように促され、他の記者との交流も「嫉妬から渡航を邪魔されるかも」と自粛させられたが、自分には思いつきもしなかったその慎重さにただただ関心しきりだった。

とはいえ、さすがに英語が殆ど通じず通信もままならない国で事前準備なしの取材を思うと漠然と不安が募った。しかし、「行けばニュースだから。いらないことをして外務省に渡航がバレたらおじゃんになる」という氏の言葉に詮索をやめた。彼のノウハウがあれば、現地で必要な絵は撮れるだろうし、何よりその「ノウハウ」こそが私が学びたいことだった。それを間近に見られると思うとわくわくした。

 一方で、久保田氏の言動は次第に高圧的になっていた。
渡航先の地図や基本的な内戦までの経緯といった情報は全て私が用意するように言われていたが、データだと小さくて読めないので紙でもってこいとか、もっと大きく印刷したものじゃないと読めないとか、久保田氏が期待するような資料を用意できていないとかで度々叱られた。

またその頃、意見しようとすると、久保田氏に「かわいくないやつだな」と不機嫌に遮られることがよくあった。言葉尻を捕まえて、「失礼だ」と注意を受ける。打ち合わせと称して家に呼ばれても、やることといえば溜まった皿洗いや料理の指導。あとはなぜか「ミスター・ビーン」を何度も見させられた。私はコメディ映画が嫌いだ。けれど率直に言えば機嫌を損ねるのでとにかく黙っていた。どの言葉が逆鱗に触れるのか分からず、常に顔色をうかがうようになった。

私のことを人前でけなすのも日常茶飯事だった。今でもはっきりと覚えているのは、共通の知人の写真展に誘われて顔を出した際のこと。集まった写真家志望の学生たち数人の前で、さっきまで機嫌よく話していた久保田氏が突然こちらに向き直り、「こいつの写真は本当に下手くそ。それに比べたらあなたの写真は本当にうまいね」と私を引き合いに出し始めたことがあった。

「こいつ、A国なんて行ってるのにさ、本当に写真クソなんだよ。A国の人が可哀想だよ」。周囲の視線が気になって、恥ずかしさで顔が上げられなかった。それ以降、カメラを持っても「私に撮られる人が可哀想だ」と思うようになった。写真を撮っても、全てがゴミと思えて見返す時間が苦痛になった。

他にも、ストレスだったのは、久保田氏の「にゃー」という口癖だった。「この封筒にゃーして」といわれたら、閉じてほしいのか、捨ててほしいのか、投函してほしいのか、状況から逆算して彼の意図を汲んだ行動を取らないといけない。考え込んでいると叱られる。

スーパーに買い物に行って、瞬時に監視カメラの数を把握しないといけないというのもあった。質問に的確な回答ができない私に「そんなまどろっこしい答え方、会社入ってもすぐクビだぞ」と叱った。常に身構えていなければならず、口の聞き方など、仔細な部分まで細かに見られているので、久保田氏といると全く気が休まらなかった。

「ギャル調達」という独特のルールもあった。ヘマをする度に「あ、3ギャル追加ね」「これができてないから2ギャル追加」と数字が加算されていく。要するにその人数だけ若い女性を久保田氏宅に呼び、久保田氏に紹介しなくてはならないというペナルティだ。

打ち合わせの度に女友達に声をかけることをしつこく催促され、女性のタイプに注文も付ける。敢えて女性でないといけない理由を聞くと「男性でも女性でも若い人に自分から多くを学んでほしい」と答えるものの、男友達を呼ぼうとすると、「がさつなやつが多い」と理由をつけてしぶっていた。

一度だけあしらい上手の友人にお願いして来てもらったことがあったが、「ダーツを教える」といって、肩や腕に触れるので気が気でなかった。彼女は上手いこと久保田氏を持ち上げつつ適度な距離感で接してくれて、「また来ます」と笑顔を作りつつも、連絡先は伝えず久保田氏をけむに巻いた。帰り道に彼女は「大変だね」と同情してくれたのを思い出す。彼女には今でも頭が上がらない。
久保田氏はその日楽しげだったが、後日に「いい子だけど、色気がない」と不満を漏らしていた。

渡航前はとにかくストレスが溜まることが多く、久保田氏と居ると耳鳴りがしたり、まぶたが痙攣するようになった。トイレでこっそり泣くことも多かった。

▽『君のヌードを撮りたい』

ストレスは大きかったが、久保田氏への信頼は厳しさも全て彼の指導と受け止めさせた。渡航の準備が終わり、雪が降り積もった日、中東へ飛んだ。 準備過程に私が招いたトラブルから、送金のためB国に数日滞在することになったある日、海に行きたいという久保田氏の要望でビーチへ出かけた。

 周囲に欧米人カップルが一組いたので、水着を持ち合わせていなかった私は、下着にキャミソールを羽織って泳いでいると、久保田氏にスマホで泳ぐ自分の写真を撮って欲しいと呼びかけられた。立ち泳ぎしつつ言われたとおり撮影し終えたら、なぜか久保田氏に頭を海に沈められた。

 本人は楽しげだったが、私は苦しい上に、海の中でつかむ場所が久保田氏の体しかなく、捕まらざるを得ないのが不愉快だった。何度も沈められてはたまらないので、早めに海から上がって上にワンピースを羽織るために体を乾かし始めた。

 すると、今度は海から上がった久保田氏が隣にきて岩場を指さし、「あっちでヌード写真撮ってやるよ」と言った。言葉の真意が理解できなかったが、イスラムを信仰している国で、ましてや翌日には紛争国へ行くのに、その写真が見つかれば十分命取りになることだけは理解できたので冷静を装って断った。

 「誰がおまえの体に欲情するんだよ」、久保田氏の的外れな言動に言葉を失いそうだった。それでも断ると、「他の女は撮らせてくれた」、「バイトでヌードになってたんだろう」、「綺麗に撮るよ。記念にもなるし」と畳みかけられたが、嫌な物は嫌だった。

 ひたすら拒否し続けると、その後は何事もなかったかのように久保田氏は振る舞っていた。私は、機嫌を損ねなくてよかったと胸を撫で下ろしたものの、その日からの旅程を思うと、「新婚旅行」の言葉を思いだして不安が脳裏をよぎった。

▽「どこでスイッチが入るか分からないから、機嫌を損ねないように…」

 A国へ無事入国し、友人であるCと再開した国境近くの町でも久保田氏は信じられない態度を取った。
車を運転していたCが、車窓から見える町を指して、「この町は700年以上前からここにあるんだ」と解説してくれた。美しい町を前に、彼を車に残して町に立ち寄り撮影を始めた久保田氏は「さっきC君、700年っていったっけ?」と私に尋ねた。「ああ、Cはそう言ってましたね」。答えた私に再び久保田氏が、「本当に700年?」と尋ねる。インターネットも満足にないここで、私は彼と同じ情報ソース以外持ち合わせていなかった。内心、帰国してから自分で調べるべきではと思いつつも、「わからないですけど、Cの言葉が本当ならそうなんじゃないですか」。限りなく正確に答えたつもりだった。

突然鬼の形相で久保田氏が振り返ると、「なんだその馬鹿にした態度は!」と怒鳴った。立ちすくむ私に、「まるで俺がCを信用していないみたいな言い方して。俺をのけ者扱いか」と怒鳴る。そんなことはないと否定し言葉の真意を説明しようとしたが、久保田氏は聞く耳を持たず、「だいたいCと合流してからお前は、俺を悪者扱いして、当てこすりとしか思えない」「初めて来た俺を一人にしたいのか」「帰れっていうなら俺は帰るぞ!」と10分ほどまくし立て続けた。

とにかく嵐が過ぎ去ってほしくて、「すみませんでした」と謝り続けるしかなかった。郊外とはいえ内戦中の国の町中で、悪目立ちは避けたかった。気温が40度を超える日差しの下で、じりじりと背後を太陽に灼かれて、冷や汗と涙が襟元に浸みるのが分かった。「早く機嫌直してくれないかな」。妙に冷静な自分がいた。幸い、周囲を歩く人はまばらだった。

 怒鳴ってすっきりしたのか、「わかってくれたらそれでいいんだよ。握手して仲直りしよう」。妙に優しい声音で諭され、これを機に久保田氏は撮影を再開した。私はもう写真を撮りたいとか教わりたいという気持ちは消え失せ、ただ早く時間が過ぎることを祈っていた。

A国訪問中、金銭的な余裕がない私たちは、ホテルの部屋は割り勘でシェアが基本だった。以前の渡航の際は、知人の家にお世話になることが多かったが、妻や娘の姿を男性にさらしたくないA国の友人たちは、当然久保田氏をつれての宿泊は私に許さなかった。お金に余裕のない私は、たとえ年の離れた男性相手でも、同室割り勘はありがたかった。

ある夜、ホテルで息抜きにゲームアプリに興じる私に、久保田氏が「俺にも貸して」と声を掛けてきた。必要性を感じなかったので断ると再び、「いいから貸してよ」とねだられた。再び断ると、チェストにおいてあった飲みかけの水を掴んだ久保田氏が、壁に向かって投げつけた。

鈍い音が部屋に響いたが、さすがに恐怖より、これで激高した久保田氏への驚きが勝った。「これだけ下手に出てやっているのに」ということを叫んでいたが、まるで大きい子供が暴れているようだった。次第に久保田氏は、「断るにも言い方があるだろう」とか、「にこやかに『ちょっと待って下さいね』とか言えないのか」といったことを語り始めた。こちらの表情1つでも、気遣ってもらわないことには気が済まないらしい。

説教は最終的に、「僕は3歳だから面倒を見てくれないと困る」という主張に変わった。頬を膨らませて駄々をこねたり、「ぷいっ」と擬音までつけて幼児返りする姿に、さすがにあきれたことを察したのか、久保田氏は「俺が馬鹿に見えてるだろう。けれどこうやって『3歳』と子供らしさを装うのも、年の離れたあなたが会話しやすいだろうと思ってのことだ。あなたに合わせて振る舞ってあげているのだ」と説明し始めた。私はそんな気の使い方をするくらいなら、普通に会話して欲しいと思った。

▽「紛争地の取材のストレスはセックスで発散してきた」
 
 久保田氏の発言には、嫌悪感を覚えるようなものも多かった。
渡航前に2人で居るときに、「30歳を越えたら女じゃない。羊水が腐るから」といった発言をすることもあり、個人的には非科学的で稚拙な言動だと感じたが、50代の男性だから考え方が古い部分もあるだろうと違和感を感じつつも聞き流していてしまっていた。

 「俺ほどPTSDな男はいない」と主張をすることもあった。数々の戦場取材の経験から、未だに悪夢にうなされたりすると説明していた。
 だが、久保田氏がある取材から帰ってきた直後、「激高しやすくなっていた」、と前置きし、当時つきあっていた女性が電車内で男性にはね飛ばされて転倒し、男性が謝罪しなかったので、「ボコボコにしてやった」と語っていたのは、「PTSDを理由に正当化してよいのか?」「なぜ警察沙汰にならなかったのか?」と疑問を感じた。

 また、A国に渡航してからも、「紛争地にいると、生存本能が呼び覚まされるのでセックスがしたくなる」とか、「人と人が分かり合うには体を合わせるのが一番いい」とか言うことがあり、気持ちが悪くて背筋が凍った。ただもうそのときには、「この人はそういう人だから」と言い聞かせて、聞き流すのが常態化していたので敢えて指摘する気にもなれなかった。

目的地の首都に入ってから、久保田氏は風邪をひき寝込んでしまった。数日間は、午前中体を休めている氏の「フライドポテトが食べたい」とか「果物がほしい」という要求に沿い私がお使いに出て、午後の調子がいい日は、難民キャンプや爆撃された住宅など、町を案内するというリズムができた。

ある日の晩、自分の服を水桶にさらして洗濯の準備をしていたら、久保田氏から「俺の服も洗って」と汚れ物を差し出された。洗濯機を回す電気が満足にないA国では、服は手洗いが基本だ。不機嫌を隠さずに理由を聞くと、怒りをにじませ、「俺が頼んでるんだぞ」と繰り返す。他人の汚れ物を触る気にどうしてもなれず、「私はあなたの母親じゃない」と強い言葉で返すと、さすがにそのときは答えに窮したのか不満を漏らしつつ諦めたようだった。

▽「僕のせいじゃないでしょ」

思い返せば、久保田氏は二面性が激しい人だった。「俺は天才だ」と尊大に振る舞うこともあれば、「僕は3歳だから」と幼児じみた態度で誤魔化すこともある。中でも困ったのが、交渉の邪魔をすることだった。

紛争国を取材するならば、当然「なぜ」そこで人々が暴力にさらされているのか、一目で理解できる絵が必要だ。内戦下のA国では周辺大国の軍事介入で空爆にも晒されていた。国内避難民や崩壊した住宅はその空爆から発生したものだった。私は写真を目にした人々の、『なぜそうなったのか』を説明する必要があると思っていた。それができなければ、A国は「よくわからないけど悲惨」というイメージだけが定着してしまうかもしれない。だから私にとって、前回はただの旅行で終わらせてしまったA国の戦争の当事者たち、紛争介入国と戦闘する武装勢力や軍人たちの姿を撮ることはプロを連れて来た重要な理由のひとつだった。久保田氏も渡航前に、「自分ならそのシーンを押さえられる」と言っていた。

 ところが、現実は全く違った。まず久保田氏はコーディネーターとの交渉は全て私が行うように指示した。「お前が感情的に訴えて自分が冷静に説得する役割をする」と言っていたが、難色を示すコーディネーターに対し私が強い言葉でこちらの狙いを説明していると、久保田氏は「まあ待て、彼が困っているじゃないか」と口を挟む。すると「しめた」とばかりにコーディネーターは逃げ腰になる。私がそこでしつこく食い下がれば、コーディネーターは「彼女を説得してくれよ」と久保田氏に助けを求める。するとなぜか久保田氏は私に対して、「彼に無理をいって困らせるな」と諭す。満足げに見つめ合う久保田氏とコーディネーター。「俺なら反体制側の戦闘地域に潜入できる」と豪語してていた男と同一人物とは思えない挙動に、頭がついていけなかった。

 その後、久保田氏に私が不満を漏らすと、「A国の先輩はあなたなんだから、交渉は自分ですべき」と返した。あきれて何も言えなかった。男社会のアラブでは、本来の発言権は男性が握っている。夫婦の設定ではなおのこと、発言権は男性である久保田氏にあると見なされている。そこで私がどれだけ強い言葉で訴えても、彼がいなしてみせることで、コーディネーター側が動かなくなってしまう。実際、前回はおそらくどのメディアも入っていない反体制派の本拠地を訪れたのに、今回はそこへ行く交渉すらままならなかった。コーディネーターが帰ってから、肩を落とす私に久保田氏が、「俺が交渉したら明日にでも戦地まで行けるのにな」とにやにやして言った。何がそんなに嬉しいのか、全く理解できなかった。

結局、前回と比べ何一つ成果を得られないままで渡航は終わった。隣国への帰路、車窓から切り崩されたような形の山々を眺めていると、久保田氏が「就職したらA国にはもう来られないな」とつぶやいた。これで終わりだと思ったら涙で風景が滲んだ。「俺が代わりに通ってやるから」。そう久保田氏は言っていたが、今回の取材が、A国でおきている出来事を日本で伝えられるだけの素材になっているのか、漠然と不安を感じた。様々な情報が不足しているように感じた。悔しくて、目をきつく閉じて涙が風に流されるのを待ったが、あとからあとから玉のような涙がにじんで頬をぬらした。

帰国後、私はどうしても久保田氏に会う気になれなかった。お礼にたこ焼きをおごると誘われたが、日取りを決めずはぐらかしていたある日、「週刊誌にA国の記事が掲載された」と久保田氏から電話があった。自分の目で内容を確認したくて、一目散でコンビニに走った。私が色んなものを飲み込んできたのは、全て至らない自分の代わりにA国の惨状を伝えてほしいその一心だった。見つけた雑誌をその場で読むのもためらわれ、大学に戻ってから冷えた指で記事を探した。

 モノクロの見開き、そこには「中東3大危険国家・A国に単独潜入セリ」の見出しが飛び込んだ。もちろん、久保田氏は「単独」潜入はしていない。私が同行していた。これは虚偽だ。そして、危険であることだけを見出しに取る意味が分からなかった。「単独潜入には1年かけ現地の協力者と関係を作った」という記述は、私が以前久保田氏に渡航の経緯を聞かれて語った内容そのままだった。これも虚偽だ。

肝心の写真も、ギチギチに配置された5枚の写真のうち、1pの半分を占めるラクダの写真のキャプションには、A国では貴重な労働力のラクダと記載されている。この写真がそんなに重要だろうか。A国について「宗教戦争」と解説があったが、これも違う。A国の内戦は宗教戦争などではない。表面的には宗派の違いがあっても、実態は部族社会であって、その部族ごとに政治的利権が絡む。少しでもA国について知識を得れば分かることだ。

記事の大部分の記述は、A国に一度も渡航したことがない人でも書けるような内容で、2週間の渡航について書かれたのは約60行のうち10行弱だけ、今回の渡航の方法と国内避難民キャンプについてのみだった。

いったいこの記事でA国の紛争の一体何が伝わるのだろうか。「行けばニュースだから」という久保田氏の言葉がリフレインする。現地で何が起こっているのか、それを調査し、ありのままに伝えるのが正しい報道の姿勢だ。

私について記載がないのは記事の本筋でないので当然だ。一番伝えるべきはなぜA国で紛争が起こっているのか、人々がどうして苦しんでいるのかだ。だからこそ、記事の見出しに「単独潜入」の言葉をとってまで、「どうやって渡航したか」を虚実ない交ぜに記載されたのかが理解できなかった。A国について何を伝えるかが最も大切ではないのか。

彼の記事の内容で伝わるのは、「A国へひとりで渡航した俺」以外の何ものでもなかった。そして、その「ひとりで渡航した」すら虚像だった。「自分の力で渡航した」ということが誰かの信頼に繋がるという自覚があって、その為に嘘をついているならこれはペテンだ。この渡航から唯一分かったことは、彼は報道に携わる人間として取材力も、写真を撮る能力も、記事で事実を伝える能力も、全くなかった。人を騙して利用し、名誉のために嘘を語る。それが私が見た「フォトジャーナリスト」久保田弘信氏の実像だった。

▽後日談 久保田氏のもう一つの嘘

 週刊誌の一件から久保田氏とは決別したものの、彼のデタラメさが本当によく理解できるようになったのは、会社員として記者の基本を教わり過ごす最近のことだ。

 例えば、記事に虚偽を記載するというのは、報道に携わる人間として最もやってはいけない行為の1つで、当然それはフリーだとか所属だとかは全く関係ない。取材源の秘匿が必要な場合に、明記した上で仮称を用いることはあれども、意図的に嘘を載せるのは報道の信頼性を損なう重大な行為だ。

 私が確認する限り、久保田氏は未だにラジオやテレビ、講演ではもちろんのこと、知人らにも「A国は単独取材」と話し、自分がいかにその素晴らしい能力で渡航に漕ぎ着けたかを語っているそうだ。私にA国渡航を口外しないよう何度も言い聞かせたのも、恐らくそのためだったのだろう。私は、A国を彼の武勇伝の素材にするために渡航に協力したわけではないのに。

 さらには尤もらしくA国の現状も語っているが、取材前すらA国について碌に情報収集せず、現地でも自身の視点をもっての報道活動をほとんど行わなかった彼が、帰国後に裏付け取材をしているとも思えず、信頼性には疑問が残る。取材協力者に掲載誌すら送らない点も記事に掲載される内容の過誤を気にしてすらいない姿勢の表れと思える。

 それだけではない。彼が渡航前に私に話した内容にも、いくつも嘘が含まれていたことが最近になってはっきりと分かった。それは、A国渡航の後押しにもなった、「NGOの看護師に頼まれて紛争国に医薬品を運んだ」という部分についてだ。

 久保田氏は前述したとおり、「D国の取材では、NGOの看護師に頼まれて医薬品を運んだこともある」と私に話し、ツテがあるとA国の国内避難民キャンプ支援の約束をしていた。また講演会では、「D国の取材は、あるNGOの看護師に頼まれ、もうこの仕事を辞めたいと考えていたがやらざるを得なくなった。経由国までは彼女と一緒に行ったが、国境近くの爆発で彼女が怯えて帰ってしまったので、取材は一人だった」と話していた。

 まさか嘘を講演で語る人が20年以上フリージャーナリストの仮面をかぶり続けていると思わなかった私はこれを信じ込んでいた。

 先日、久保田氏が言う「NGOの看護師」について、国際医療NGOの女性看護師Sさんからある事実を聞いた。少し長くなるが、この経緯についても併せてここで紹介したい。

 2012年12月ごろ、Sさんは報道の仕事へ関心を持ったことから、記者と会って話を聞いたり調べたりしていた。ウェブ上の久保田氏による「記者になりたい人は連絡して」という呼びかけに、連絡をとったところ仕事場に招かれたという。ところが仕事場は久保田氏の自宅で、到着してすぐに飼っていた猫の餌やりを命じられるなど高圧的な態度に困惑した。

 さらに、女性が国際医療NGOに所属するD国に派遣された看護師と知ると、久保田氏は、「(団体名)もアホだよなあ。俺というカメラマンを連れて行かないのは」と放言し、さらには「俺を(団体名)に同行させろ。それができないならD国に連れていけ」と話を聞きに来ただけのSさんに要求した。

 以降、Sさんに「知人に期限切れの抗生剤バラシリンを1000錠もらった」「アイツら(難民)に薬を配れ。その様子を俺が撮る。フジあたりが(映像を)高く買ってくれる」と何度か同行取材をもちかけたという。つまり薬を運ぶことを提案したのは久保田氏からだった。Sさんは当然これを拒否。経由国まで同行をしたなど嘘も甚だしいと憤慨する。

ところが、Sさんは13年7月ごろにネットで公開された久保田氏のD国取材の記事に、「僕がD国に足を運んだ理由は、(団体名)で任期を終えたD国帰りの看護師の呼びかけ」で「『医療物資を運んでほしい』という依頼を受けたからだ」という記述を発見し、驚愕する。Sさんの個人名こそ出してはいないものの、団体名をそのまま出され、Sさんと簡単に特定されてしまうような書き方だった。Sさんはすぐにメールで、「そういった事実は思い当たらない」と久保田氏に遠回しに訴え、団体名だけはとにかく削除をするよう抗議をした。

 久保田氏はメールで「記者が勝手に書いてしまったもの」という言い訳をつけながら謝罪し、団体名を記事から削除したが、「看護師から依頼され薬剤を運んだ」という部分の記載は今もそのままになっている。Sさんによるとそれは嘘だ。「なぜ大手の国際医療団体で活動を続けている看護師が、たった一人のジャーナリストに医薬品の運搬を依頼する必要性があるのか?」と大きな疑問を呈す。「それも使用期限切れの薬を、治療方針を決める立場に無い看護師が、無責任に投与できるはずがない」と怒りをあらわにした。

 また、Sさんは初対面にも関わらず久保田氏から性的な発言を投げかけられたという。久保田氏とはその後も数回ほど顔を合わせる機会があったと言うが、「お前ドMでしょ」「俺はドSで亀甲縛りのプロ」「あんた自分が若いと思ってるでしょ。俺はAVのカメラマンやってたから、肌のキメで実は年いってるのがわかる」「年取ると羊水って腐るんでしょ」といった発言があった。これに対してSさんは久保田氏を「幼稚でどうしようもない人間」と感じ、取材の同行はおろか、久保田氏とは縁を切った。

 では、久保田氏に渡航を依頼したのは誰か?国境まで来て引き返した看護師は?久保田氏が意図的に誰かをその団体の看護師と偽ったのか?そもそもが全て久保田氏の絵空事か?それは今も分からない。

 しかし、Sさんとは別に久保田氏のD国渡航に同行した男性がいる。ところが、男性は看護士などではない。男性からの要望があり、詳細は割愛する。

 これ以外にも、久保田氏の話が当事者に確認すると全く違うということはいくつかあった。「親友」と称された記者からは、「そんな覚えは一切ないが、長期の拘束から解放され帰国したら、空港に集まる報道陣の前で、涙を浮かべて抱きつかれついてきて、事情を全く知らないのにブラ下がり会見を仕切り始め、さらにそのまま『○○(記者の名)さんは疲れているから、会見はこれで打ち切りにします』と重要な会見を勝手に切り上げさせられ話半ばで打ち切られそうになり困惑大迷惑した」。「女癖が悪く、戦時下のE国で女の子とヤれそうだからと、シェアしていたホテルの部屋を数時間出て行って欲しいと頼まれた」という話もあった。この「E国」は久保田氏が私に、「ここを取材後にPTSDになった」と語っていた国だ。

私が見た久保田氏の姿は既に述べたとおりで、以上の話は久保田氏が自ら語る「武勇伝」よりも久保田氏の実像に近いと考えている。

▽広河氏との共通項とそこから見える手口

 冒頭にも書いたが、広河氏と久保田氏の手口は、「写真を教えてあげる」という言葉の他、若い女性に対する執着、罵声、自尊心を毀損する行動、ヌード写真、逃げられない環境へ連れ込む、といった共通項が多い。あまりにも多いので、小見出しの「」内の一文は、すべて文春の広河氏の記事から引用した。これらの行動はすべて歪んだ上下関係を生じさせる。心や思考を縛り付け、選択権を相手から奪い取る。洗脳とも言える絶対服従の心理状態がハラスメントの土壌になっている。

 裏を返せばハラスメントを働く人は、相手が反撃できない状況でないと自分をさらせない弱い人だ。正しい人間関係のコミュニケーションができないから、歪んだ関係性に執心する。私自身も当時は久保田氏に対して、「この人の言うことは全て正しい」「自分の意見は全て間違っている」と思い込んでいた。

 人を思い通りにコントロールすることにたける人へ近づかないに超したことはない。だから私が断言できるのは、以下の三つの条件に該当する人に近づくなということだ。

①あなたを否定する人 ②あなたを制限する人 ③あなたの意思を確認しない人

 ①について、「それは自分のためにならないんじゃないか」と不信感を覚えたなら、その人は輪を掛けて気をつけた方がいい。これは自己肯定感が低い人の思考の特徴だ。そういう人こそが彼らのような「ハラスメント体質」な人の獲物になりやすい。

 逆に言えば、あなたが自信のない人を集めようと思うならどうしたらいいだろうか?答えは簡単で、周囲に居る人全てを否定し続ければ良い。そうすれば、自信ある人や良識ある人は、意味なく否定されればその人と距離をおくので、残るのは、それを心地よく感じる人だけになる。
 彼らはそのメカニズムを知っている。だからあなたを否定するだけで、あなたを真に理解して鍛えようとその言葉をかけているわけではない。それでも、「自分のために欠点を指摘してくれている人だっているのでは」と思う人もいるかもしれない。先に答えをいうと、そんな都合いい人間は学校や会社の外にはいない。これが結論だ。

 学校には自分の個性を理解した上で、ときには欠点を指摘し、ときには褒めて自分を伸ばそうと努力する先生がいる。会社なら上司や先輩がそうだろう。しかしそれは仕事だからやっているだけで、社会には、タダで自分を優しく育ててくれる都合の良い人は一人もいない。人を叱ったり欠点を指摘するのは、とてもエネルギーが必要なことだ。あなたが無償で働かないのと同じで、あなたに「教えてあげる」と近づいてくる人がいれば、必ずそこには裏があると考えるべきだ。

 それでも万が一あなたに対して親切に「指導」してくれる人が現れたとする。隠れた意図もなく信頼もできる人だ。

 そのときは②についても考えて欲しい。「~してはいけない」というルールをたくさん課されていないか。あるいは、行って良い場所や会っていい人が制限されていないか。

 まっとうな人間は、誰かを思い通りにコントロールしようとはしない。人は誰かの所有物ではないし、本当に親切な人ならあなたの意思や選択を尊重する。本来、誰かを自分の思い通りに動かすのなら、そこに生まれたすべての結果に対してその人は責任を負う義務がある。たとえば労働における使役関係もそうで、会社は給料を支払い、業務中の事故やトラブルによる損害を補償するからこそ、法の範囲内で自由に社員に命令ができる。契約も謝礼もないのに、理由をつけてあなたを縛ろうとする人間は、ただの無責任な人だと思ったほうが良い。

 最後に③。先に書いた通り、心が弱いから彼らは歪んだ上下関係に依存する。罵倒で自尊心を削り、罵声や暴力で恐怖心を与え、性的な写真で弱みを握る。行動や環境をコントロールし、他人との接触を制限して判断能力を奪う。理性的に怒鳴る場面もあるが、彼らの怒声は一種の「否定される」というパニックだと思った方が良い。

 とにかく、いずれの行動も隠れた真意は、自分を否定されるのが怖いからだ。だからそういう人は、あなたの意思を確認しない。しないというかできない。だから、「~したい」か「~しろ」。あるいは無言で、有無を言わずになんらかの行為に持ち込もうとする。逆にあなたに対して、「~してもいいですか?」とちゃんと事前に確認してくれる人がいれば、その人は信頼していいと思う。

 
▽最後に(※3月6日追記)

 冒頭にも書いたが、もし久保田氏のことで同じような経験をしたとか、事実と異なった発言を聞いた。あるいは、友人にパワハラ・セクハラを受けて困っているとか相談したいという人がいればこちらのアドレスにメールを送って欲しい。

アドレスから久保田氏の告発がしにくいと指摘あり、告発用を追加しました。(※3月6日追記)

→ ・moto.jdaisei.kokuhatsu@gmail.com

 ・hironobukubota_office@yahoo.co.jp

 このアドレスは、久保田氏が私に自分の仕事を手伝わせようと作らせたものだ。私が手伝いをやめてから、全く使われていなかったのでパスワードを変更してこれを転用させてもらうことにした。

 私は久保田氏の全ての仕事が虚偽の上にあったとは思いたくない。ただし、久保田氏がハッタリやペテンを記事に用いたり、講演に交えることに、躊躇や疑問を少なくとも5年以上も持たずに過ごしてきたことは揺るぎない事実だ。
 そしてその過程には、騙され、利用され、不愉快な言葉を投げかけられた人たちがいた。

 最後に伝えたいのは、これはごく少数の人が引き起こしたレアケースではない。分野や業界を問わずして、「人に教える」とか「指導する」立場の人は一歩誤れば誰でも同じような状況を引き起こしかねない。それはその立場にいる人間の良識や自律心といった、外見から判断できない心に委ねられている。そして人権や人道について語ってきた広河氏や久保田氏ですらこういった振る舞いをしてきたことからも明らかなように、口で語っている言葉から心を測れるとは限らない。

 だから、搾取の標的にならないために、いま自分がどう感じているかを一番大切にして欲しい。私の落ち度は、不愉快に感じる自分の気持ちから目を背け続けた部分にあったと思う。威圧されるような関係性の中には不健康な結果しか生まれない。「相手がどう思うか」じゃなくて、自分がどう感じるかを立ち止まって考えて欲しい。相手に自分の思いを語れない、逆らえない関係があるなら、そこからは極力逃げるべきだ。

 そして、騙されたり搾取されたと分かった後も、それを自分が悪かったと抱え込まないで欲しい。自己嫌悪するような経験も、その後の人生で必ず汚点になるわけではない。最悪の出会いをきっかけにして、最高の出会いを招くこともある。逆もまたしかりで、どんなにつらい経過があっても最後に何を呼び込むのかは、自分次第だ。

 こうしてブログ上で誰かの行いを公開することに非難の声もあると思う。
 けれど、人と人との間に起こった出来事を、きちんと事実に即して述べられた時に、「そんなことされたら困る」と感じるなら、それはそこにやましい気持ちがあったからだ。立場のある人間には相応の責任がある。

 その当時はうやむやにしてきたことも、「やっぱりおかしい」と感じたときに文字に起こして共有するのは自分への戒めとしても有効だ。当たり前だけど、公に書かれて困るような幼稚な振る舞いや感情を他人に押しつけてはいけない。自分が年を重ねたときに、まっとうな人であれるように、私はこれを教訓としたい。


※3月3日21時40分追記


これを書いて、自分が想定したよりも遥かに大きな反響があり大変驚いています。

文頭にもあるとおり、私はずっと自分の体験について「あんな人に容易く騙された自分が悪かったのだ」と思っていました。

なのでこれを投稿する際も、久保田氏の知名度や私の軽率さも相まって、ここまで広くみなさんに真摯に取り上げていただけるとは思っていませんでした。

さらに言えば、書き上げた時は正直、「忘れても良いんだ」という区切りがつき、公開しなくてもよいかなという思いも湧き上がっていました。

本文では触れませんでしたが、渡航中の性行為もありました。帰国した頃は全身に複数の痣があり、風呂場で偶然目撃した母に何事かと尋ねられたほどでした。

一度は行為を拒否したものの、結局は受け容れたことで、これまで自分を責めてきたし、それを知られたくないと思っていたことが、告白に踏み切ろうとも思わなかった理由の一つでもありました。しかし、広河ケースで同じようなことが他の女性の身の上にも繰り返されていることを知り、また夫にすべてを話してすべて受け止めてもらったこともあって、考えを大きく変えました。

それでも、書きあがった後は、公開はもういいかなという開放感があったのです。

それを結局こういう形でしたのにはもう一つの大きなきっかけがあります。

それは、一週間ほど前、久保田氏に直接電話をしたことです。

公開を迷っていた私にとって、これだけ些細に書くならば久保田氏に前もって渡航について記し公開する旨を伝え、またSさんとのやりとりなど、久保田氏の主張を確認するべきと考えて電話をしました。最後に話してから約1年が経過しても、通話中は手が震えてしどろもどろでした。

以下、そのやりとりを全てテキストにし、一部抜粋・要約したものです。


(私)久保田さんについて、取材や、前後の姿勢に大きな疑問があり文章を書いている。それにあたり、看護師に頼まれD国へ渡航した件についてなど、私の知らない部分について確認したい。


(久保田氏)確認してどうするの?


(私)文章にして公開するつもりです。


(久保田氏)どうぞ


(私)講演会で話していた看護師に頼まれD国へ薬を運んだ件について教えてほしい


(久保田氏)2011か12年に、彼女がうちまで来て、[団体名]の仕事が終わったけど、また行きたいから、誰かジャーナリストと行きたいってことでコンタクトとってきて、日本のあちこちの医者でお願いして薬もらって、行く時になってやめるって言ったから持ってった。それだけだ。


(私)それは2013年2月ではないですか?


(久保田氏)わかんない。そのくらいかもしんない。


(私)薬は期限切れのパラシリン1000錠ではなかったですか?


(久保田氏)違いますよ。一部その年に切れた年のやつもあるけど、大量に集めたのはそんな期限切れじゃないです。その年の3月に切れる薬もあったけど。お医者さんがこれくらいなら大丈夫って出してくれたやつを持ってったけどね。


(私)2月と6月の2回渡航されてる筈ですが、6月の渡航で3月に切れる薬を持ってったってことですか?


(久保田氏)6月は違う薬です。…めんどくせーから答えねーわ。好きにして。あなたのわけわからんことに答える義務を僕は感じないわ。


(私)久保田さんが記事上に団体名を出した件について、Sさんから「そんな覚えも全くないし、とりあえず団体名を取り下げてくれ」というメールがあったのを覚えていますか?


(久保田氏)そんな覚えはないなんてメールじゃないよ。名前だしたら困るからやめてくれってメールはあったけど。


(私)つまり渡航はSさんから頼んだということですか?


(久保田氏)さっきも言ったけど、[団体名]の期限切れたけど、D国の状況ひどいけど、私1人では行けないからジャーナリストに一緒に行ってもらいたいという依頼だった。


(私)Sさんからということですね。


(久保田氏)もちろんです。僕はSさんなんて人それまで知らないですから。それがなかったら僕はD国へ行かないから。


(私)薬なんですけど、運んだものを実際に見た方が…


(久保田氏)あの、もういいから。あなたと話してるとイライラするから好きにして。そっちの好きにして。


(私)私にヌード写真を撮りたいと言ったことは?


(久保田氏)いや、覚えてねえよ


(私)A国の隣国の海岸で言ったことは覚えてないですか?


(久保田氏)覚えてない。もういいです。好きにして。書くんならどこでも書いたらいいよ。じゃね


(通話中に切られる)


以上がやりとりです。

あまつさえ広河氏の報道後、久保田氏に反省の態度が見られれば私はここまですることはなかったと思います。

私はSさんと久保田氏のメールのやりとりなど、きちんと確認をした上でこれを書いています。

ましてや、久保田氏は安田純平氏が解放された際、岐阜新聞に15年以上前のやりとりを詳細に語っているのです。

それなのに、なぜたった1年前のことが思い出せないのでしょうか?

Sさんとのやりとりを、今も公開されている自分の記事と矛盾する内容に捻じ曲げてまで、嘘を貫き通そうとするのでしょうか?

久保田氏は、ヌード写真を撮りたいと言ったことを肯定も否定もせずに、覚えてないと一方的に電話を切りました。

肯定も否定もできなかったことが、私は久保田氏の答えだと思っています。つまり、やってはいけないことだったと理解しつつ、それをなかったことにもできず、隠し誤魔化そうとしたということです。

ああ、この人ほっといたらまた同じことをいずれ繰り返すな。そう思いました。

次の被害者になる人に、私と渡航したA国についてや、看護師さんとD国について、またありもしないことを話すのだろうなと。

だからこれを公開しました。私は自分と同じような悲しい気持ちを誰にもしてほしくありません。

悲しい気持ちというのは、馬鹿正直に久保田氏を信じて慕っていたことを裏切られたこと、

それから、今度は久保田氏の嘘が周知の事実であった人たちから、「久保田みたいな奴に騙されるなんてバカだよ」といった言葉を投げかけられたこと。

二重に悲しい思いをしました。

もうバカを見るのは私を最後にしてほしいなという気持ちだけです。


(了)

※3月6日に新たに久保田弘信氏による虚偽報道の証拠という記事を掲載しました。こちらも合わせてご覧ください。

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元女子大生

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コメント3件

途中何度も気持ち悪くなり読むのをやめかけ、追記を読んで涙が出ました。なぜこんな目にあったあなたが自分を責めなければならないのか。そんな風に追い込んだ久保田氏への怒りに震えています。当たり前で、しかもあなた自身もう気がついていらっしゃる様子ですが、改めて言わせてください、あなたは、絶対に、悪くない。電話の内容には呆れるばかりです。こんな目に合う人が今後一人でも少なくて済みますように。そしてそのために筆を取り公開してくれたあなたの勇気と意志に最大限の感謝と賛嘆を。
私にとってジャーナリズムもここに書かれているような状況も経験のない世界での出来事ですが、広河さんの問題に非常に驚いたものとして、このブログにたどり着きました。繰り返し読みました。力関係で屈服させられた場合、相手が悪かったのだが自分も愚かだったというような自省に陥り、動きがとれなくなっているということがあるのですが、やはり何とかしなければならないという思いになりました。人間は時と場合によって強・弱のどちらの立場にたつか、わからないわけですが、最後のほうに書かれている3つの戒めはいずれの場合にしろ、とても役立ちそうです。執筆ありがとうございました。
広河氏の件は知っていましたが
久保田氏の件は彼を支持するというか
もう一面を知って欲しいという女性のツイートを
ある人のRTで知りその文章を読んだうえで
こちらにお伺いしました
読編が書かれたということも知りました
私はビ・ハイアパワハラ訴訟にあることから関心を持ち
パワハラについてまたその訴訟について少し調べたいと思っていたところ
こちらの文章でビ・ハイアでのパワハラと通じるものを感じました

書くという作業が大変だということ
かなりのエネルギーがいることを少しは知っているつもりです
だからあなたの文章か伝わってくるものを感じました
そのことだけでも伝えたいと
コメントしました
書く勇気を出されたことに
書きあげられたことに
敬意を表します

お疲れさまでした
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