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虐待の瀬戸際

乳幼児虐待の痛ましいニュースを目にするたびに、後ろめたいような気持ちがちらつくようになったのはいつごろからだろうか。

ムスメが生まれて間もないころ、わたしは不安で仕方がなかった。
この小さな生き物が、ふと目を離したすきに、呼吸を止めてしまわないか。
わたしの腕のなかで寝息をたてたまま、もう二度と目覚めないのではないか。
ずっと抱きしめていなければ不安で、毎晩ムスメを抱いたまま眠りにつく日々だった。

ムスメはよく泣く子で、とてもタフだった。
おくるみにおしゃぶり、オルゴールにメリー。
ビニール袋のカサカサとした音や、雨音。
これをやると赤ちゃんが泣きやむという謳い文句のものは、ひと通り試したと思う。
なにひとつ、効かなかった。

泣かせておけば眠るわよ、とアドバイスを受けて、泣かせ続けてみたこともあった。
授乳とオムツ替えだけはこまめにし、寝かしつけず泣かせてみた。
9時間泣きつづけて、折れたのはわたしのほうだった。

3キロ強で生まれたムスメは、3か月後には10キロ。
母乳で育つ子の体重の増えは穏やかだ、なんて嘘っぱちだ。
「母乳は欲しがるだけ与えてください」
なんて言っていた医師も、苦笑いするほどの食欲だった。
成長曲線なんてあっさりと突き抜けて、ムスメはあっという間に大きくなった。
ムスメの成長は嬉しかったけれど、とにかく重たかった。
腕も腰もあちこちが痛くて、産後の肥立ちは最悪だった。
湿布を貼りたいけれど、授乳中には良くないと聞いてやめた。
腕を冷やしているあいだも、ムスメは泣きつづける。
寝かしつけて、ようやく開放されたと思った矢先に、またぐずる。
眠くて眠くて、体じゅうが痛い。

この子がただ眠ってくれれば、わたしは穏やかでいられるのに。
抱き上げるたびに体が悲鳴をあげた。
もう少し眠ってくれれば。
どうして泣くのよ。
わたしだって泣きたい。
わたしだって――。

ムスメのイヤイヤのピークは、1歳になるまえのころだった。
よその子が遊んでいるオモチャを奪う。
自分のテリトリーに入られたくなくて、よその子を突き飛ばす。
突き飛ばそうと伸ばした手をつかんだら、思い切り噛みつかれた。
キーッとなってのけぞって、暴れたりもした。
他の子のお母さんたちが、子どもから離れて談笑をしているあいだ、わたしはムスメにつきっきりだった。
「どうしてうちの子はこんなに乱暴なんだろう」
ムスメと比べて、よその子は随分と穏やかに見えた。

「どこか専門的な病院に診せに行ったらどう?」
そういったよそのお母さんは、わたしたち親子が近づくとあからさまに距離を置いた。

孤独だった。
宇宙人みたいだと思った。
言葉が通じない。
どうしてそんなに嫌がるの。
なにがそんなに気に入らないの。
わたしのことが、気に食わないの。
どうしてうちの子だけ、こんなに乱暴なんだろう。
泣いて、わめいて、のけぞるこの子を押さえつけてしまいたいと思った。
誰よりも大切で、たしかにあいしているのに、伝わらない。
小さな箱に押し込んで、耳をふさいでしまいたかった。
あれは、確かに虐待の瀬戸際だった。

わたしは、子どもの集まる場所を避けるようになった。


半年ほど続いたムスメのイヤイヤは1歳半前には終わっていた。
言葉が出るのが早かったムスメ。
意思疎通がはかれるようになったのがキッカケだったのかもしれない。
2歳になったいま、ムスメはどこへ行っても「聞き分けがいい子」だと言われる。
「育てやすい子で羨ましい」とも。


子どもは脆い。
「お友達を押しちゃダメでしょう!」
ムスメの腕を掴んだその手に、あともう少し力を入れていたら、わたしはムスメの腕を折ってしまっていたのかもしれなかった。
「ママの言っていることがわかりますか」
ムスメの肩に手を置いて諭したあのときに、そのまま肩をつかんで体を揺らしてしまっていたら。
子どもは脆い。大人が思う以上にきっと。

いとおしくて仕方がないのに、思うようにやさしくできなかった瞬間は、きっとたくさんあった。

もしもそのまま振り切れていたら、わたしだってムスメのことを殺してしまっていたのかもしれない。

振り返ってみると、ムスメの成長以上にわたしを追い詰めたのは「母親失格」という言葉だったように思える。
ムスメのために、わたしは良い母親になりたがった。
良い母親の定義はわからないけれど、こころのどこかで〝子どもこそ母親の成果〟だと思っていた。
だからこそ、思うようにいかないムスメの態度に腹が立った。
大きな声で泣きわめき、仰け反るムスメを抱きかかえながら、わたしは周りの目ばかりを気にしていた。
〝子どもを泣き止ませることもできない母親〟だと、思われていないかと。
母親失格のレッテルを自らはっては、思い通りにいかないことに勝手に苛立ち、目を背けた。

なんて思い上がりだったんだろう。
子どもは自分の作品ではない。
まして、自分を立ててくれる道具でもない。
子どもには子どもの考えがあって、勝手に吸収して大人になっていく。
ムスメはわたしとは違う。たったひとりの人間だ。
思い通りにしようなんて、とんでもない思い上がりだったのだ。

イライラしてしまうよりもよっぽどいいに違いないと、いろんなことをやめた。
思うように食べてくれずにストレスになるので、三食とおやつを作るのに時間をかけるのをやめた。
その代わりに、一日に少なくとも一品は、一緒に料理をすることにした。

ムスメのワガママに付き合うのもやめて、一緒にワガママをいうことにした。
「ママだっていーやだ」
口に出したら、笑っちゃうぐらいに肩の荷がおりた。
わたしが穏やかになると、ムスメの力も抜けていく。

無理に外へ連れ出そうとするのもやめた。
予定に追われると、どうしても焦って余裕をなくしてしまうからだ。
夜に子どもを外に連れ出すなんて母親失格!なんてのもやめて、お風呂あがりに少しだけ、夜の散歩にでかけたこともあった。
月を物珍しげに見るムスメを見て、この子は窓越しの夜しか知らなかったことに気がついた。

部屋を片づけるのもやめた。
片づけるときはムスメも一緒に、とっておきのおやつを用意してふたりで励むことにした。
今日は大掃除のねぎらいに、二人で湯船につかりながらカルピスを飲んだ。
「しあわせですねえ」とムスメが笑う。
行儀が悪いので、たまにね。

ダメなことはダメだと教えるために、叱ることはやめない。
けれど、叱るまえにひと呼吸を意識してから叱ることにした。
叱ったあとは、なぜ叱られたのか理解しているか聞くことにした。
理解できたら、仲直りの儀式も欠かせない。

相変わらず寝ぐずりはひどいし、大泣きされるとまいってしまう。
ふと虐待の二文字が頭をよぎっては、わたしはいま大丈夫だろうかと自分に問う。
めまいがするほど面倒で、そのくせとてもいとおしいんだから、我が子ってやっかいだ。
けれど、わたしたちはいまようやく、うまくいっていると思う。

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