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欠落した記憶のなかで

過去に一度だけ、自殺をはかったことがあった。
意識を失ったわたしのもとに転がっていたのは、酒の空き瓶と、何十枚と空になった薬のシートだったという。
時間をかけて大量に飲んだ薬は吐くこともなく吸収され、病院で胃を洗浄し、薬を吸着するらしい炭を入れられる(?)も、二日ほど眠り続けたらしい。
目覚めてから一ヵ月半ほど、いわゆる精神科病棟というところに入院をした。
病棟の外へ出ることを禁じられ、風呂もトイレも監視される、不思議な空間だった。

自殺をはかった理由は、よくわからなかった。
わからなかったというか、わからなくなってしまった。
子どものころの記憶をうまく思い返せないように、ついこのあいだまでの自分のことがすっかり思い出せなくなってしまったのだ。

思い出せなくなったのは、自分にかんする部分だった。
たとえば、当時付き合っていた恋人のこと。
記念日も、誕生日も言えるし、すきな食べ物だって覚えている。
なのに、彼のことをどう思っていたのか、彼とどこへ行ったのか、彼と何をして過ごしていたのか、ちっとも思い出せなかった。

「きびなごは、やっぱり酢味噌だよね」と彼が言ったことがあった。
断片的に、かわした言葉を思い出すことはあっても、どうして彼とふたりで食事をとっていたのか、そのシチュエーションまでは思い出せなかった。

「結婚までいくと思ってたのに」と、彼を知る友人は言った。
わたしの恋人だったひとはとてもとても、いいひとだった。
ふたりで撮った写真(とはいえ、彼がいっぽうてきに撮ったものばかりでふたりで写るものはほとんどない)や、わたしが彼に宛てた手紙をとっておいてくれたし、思い出させようと努力をしてくれた。

うまく思い出せずに困惑していること。すきだったことをちっとも思い出せず、見ず知らずの相手のように感じてしまうこと。
そういったことを思い切って打ち明けると、彼はあっさりと去ってくれた。
正直に言うと、とても安心したのだ。
自分が知らない自分を知られているのは気味が悪かったし、触れられてももはや嫌悪しかなかった。
そういう気持ちを抱えたまま関係を続けていっても、むなしくなるに違いなかった。
きっと、かつてはとても大切にしていたひと。大切にしていたはずのひと。

記憶の欠落は、友人関係にも影を落とした。
携帯電話のアドレス帳には、誰だかよくわからない相手がずらりと並んでいた。
たまに電話を鳴らしては、親しげに話しかけてくる声が恐ろしく、わたしは携帯電話の番号を変えた。
電話相手の顔は浮かんでも、どんな人間関係を築いていたのか、さっぱり思い出せなくなってしまったからだった。
長年付き合った友人の一部だけが残り、広く浅く付き合ってきたのであろう相手とは一気に縁を切るかたちとなった。

こんなふうに記憶が欠けてしまうことを、解離性健忘というらしい。
人のこころはうまくできていて、抱えきれないほどのことがあると、忘れるようにつくられている。
本当は、向き合って少しずつ思い出すことで解決をはかるらしいのだけれど、カウンセリングが功を奏さないまま足は遠のき、なにも解決しないまま大人になってしまった。

あれから十年ほど経ったいま、たった一年間弱の記憶がないことを、不都合に感じることはない。
自殺をはかったとき、働いていた職場は退職した直後であったし、次の職場は未経験者として、まったく違う業界に飛び込んだ。
人間関係だって、ほとんどがあたらしいものばかりだ。
「ストレスとは無縁そうだよね」と言われるほどポジティブな人間なので、まさかわたしが自殺をはかった経験があるなど誰も思いやしないだろう。
あたらしく友人をつくり、恋人をつくったすえに家庭まで築いた。不都合はなかった。

けれどときおり、あのころの記憶を断片的に思い出しては、どうしようもなく粟立ち、くるしい気持ちに苛まれることがある。
思い出すことも、忘れることもできないまま、忘れてしまったことを忘れないように、生きていく。
記憶を供養してやる日が来るとすれば、それは自分が死ぬときなのかもしれない。

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