普通になれない(月ノ美兎エッセイ感想)

私はVtuberが好きである。

YouTubeではYouTuber(生身の人間が商品紹介やゲームを行う)が主流だと思う。しかし、私はキズナアイなど「バーチャル世界の住人」(美少女)がYouTubeで放送をするというVtuberの概念が好きである。

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(iPad買って描いた腕がやばいキズナアイ)

実際にはこの世には魔女も悪魔も妖怪もいない。美人やイケメンも全員がそうではない。

しかし、Vtuberには魔女だって悪魔だって妖怪もいる。

美人であったりイケメンであったり、所詮絵だと言われるかもしれないがアニメキャラクターが実際に動いてYouTuberをやっているという近さと、悪魔などのキャラ設定の非現実さのバランスが良いのだ。

私はVtuberの中でも月ノ美兎が好きである。学級委員長、黒髪ロングで可愛らしいこと、永遠の女子高校生であると言う非現実さが好きだが彼女の魅力はそれだけではない。

彼女の魅力は

「彼女が自分自身の人生を楽しんでいること」

「常に視聴者を意識し楽しませようと努力していること」

にある。

話すネタができるからとVtuberのオーディションを受ける、前世療法に行く、丸呑みフェチのお店に行くなど彼女自身がやりたいことをやってそれを体験として視聴者に話すスタイルは素晴らしい。

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彼女がやりたいことはなかなか凡人には思いつかないことではないかと思う。

悪い言葉で言うと月ノ美兎は変人なのだ。変人のままであると言うのが正しいかもしれない。


誰しもみんな幼い頃は変人であったと思う。やりたいこと(大人から見たらよくないこと)の衝動性があったはずだ。段々とそれを失ってつまらない大人になっていく。

大人は突き抜けて能力の高い変人以外は認めない傾向にあり子どもは大人になるために変人性を段々と修正されて、結局は自分のやりたいことをはっきりとわかる人はいなくなる。

そんな窮屈な世界でも月ノ美兎は変人のままであり、だからこそ魅力的で面白いのだ。

彼女が変人のままでいることは安心する。


とは言っても月ノ美兎はバーチャル世界の住人である。彼女は現実にはいない存在である。


私はそれを常々感じていたが、
月ノ美兎のエッセイを読んでみると遠い世界の彼女が少しだけ近く感じた。

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テレビやスマホの中の彼女が隣にいるような生きているように感じた。
エッセイの感想はこれに尽きる。
遠い世界から来てくれてありがとう。

さーちゃんでした。

1億円欲しいです。