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魔法遣いへの憧憬、その手に握った箒で空は飛べますか

僕は鹿児島で上級ウェブ解析士という資格を肩書きに、地元広告代理店でウェブ制作・インターネット広告・ウェブプロモーション周りのディレクションをしています。

ウェブの仕事をしていて年々強く思うことがあります。ウェブに魔法を投影している人が多くなっているということです。すぐに公開・修正ができることに加えて、それがあっという間に遠くまで伝播していると信じている人が増えているように思います。

良く言えばウェブの力を信じてくれている。悪く言えばウェブに頼りすぎている。

鹿児島という都市圏から離れた場所で、ウェブという媒体でクリエイティブや広告を展開すること自体を受け入れてもらえるようになったのは実に最近のことです。数年前までは提案書の冒頭5ページくらいは「そもそもウェブとは」という前置きを挟まないとコミュニケーションが進まないことの方が当たり前でした。

おそらくはSNSが生活に浸透し、その効果を肌で感じる機会が増えたからだと思います。誰しも自分ごととして体験できると「信じてもいいかな」と思えるものです。そういう意味ではSNSが地方におけるウェブの信頼性を引き上げたように思います。

ゆえにローカルでウェブに従事する人にはウェブという広野のあらゆる事象に関する様々な相談が舞い込んできます。さながら魔法遣いにモンスター討伐を依頼してくるような様相です。

そのためローカルで働く『ウェブの仕事をしている人』にはかなり広範囲な知識が求められますし、オールマイティであることを期待されます。要は欲張られているということです。エキスパートでもあってほしいし、クライアントへウェブのなんたるかを伝えていくエバンジェリストの役割さえも求められます。

僕はそんな魔法遣いとしての姿をどちらかというと自身でも望んでいる節があります。駆け込んでくる様々な「困った」に対して最適だと思う引き出しを開けて、効くかどうか寄り添いたい。

しかしそのためにはたくさんの書籍を読み込み、賢人の話に耳を傾け、時間をつくっては学んだことを試してみての繰り返しです。

ウェブサイト制作をする人は意外とインターネット広告について詳しくなかったりします。逆もまた然り。しかしローカルで仕事をしているとそれぞれの領域の距離が近く、予算の兼ね合いも合って重なり合っていることも多かったりするので自ずとどちらとも知っておく必要があります。ローカルにおけるウェブの仕事の生き方だと思いますが、実は鹿児島にはまだそうしたプレイヤーはそんなに多くないように思います。少し前にここにSNSが加わり、この先はさらに動画が加わってくると思っています。しばらくはウェブと動画の汽水域で色んな仕事も増えてくるのではないでしょうか。

僕も必要に応じて知見を拡張し、ウェブデザイン・コーディング・プログラミング・ウェブディレクション・インターネット広告メディアプランニング・ウェブプロモーション・ウェブ解析と領域を広げていきました。

ウェブは魔法ではありませんが、魔法のようだなと思うこともあります。同じ呪文でも毎回必ず同じ効き目があるとは限らない。水属性の強い呪文でも相手も水属性だった場合全然ダメージを与えられないというアレです。つまり同じやり方がいつでも同じ効果を発揮するというわけではないということです。

文脈をよく観察して最適であると思われるものを提示できる魔法遣いでありたいという憧憬は、ウェブはなんでもできる魔法じゃないんだよと言い返す矛盾を自認しつつ抱いている思いです。そういう姿や存在が求められていると年々強く感じている以上、自分は魔法遣いとして立っていたいなと思います。

魔法遣いって箒を持ってますよね。僕にとっての箒というのはパソコンだったりタブレットだったりスマホだったりカメラだったりするのかもしれないですが、その箒で空を飛ぶことができているか、呪文を放つことができているか、その姿を「困った」と駆け寄ってくれた人たちに見せることができているのかいつも意識しながらこれからも研鑽を積んでいきたいです。

きっとウェブの仕事をしている人って自分がどこまで何をすればいいのか時々心の中で迷子になることがあると思うんですよね。いつかの自分もそうであったように。僕はその問いに対して「魔法遣いでいいんじゃない?」と言ってあげたい。初めてインターネットに触れたとき、ことばに具現化せずとも意識のどこかで僕はそこに魔法があると思ったはずだから。

(アイキャッチ:世界の終わりの魔法使い/西島大介)


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