第一回「パクりをめぐる経緯と論点」②論点

 前回はパクり(盗作・剽窃)問題の経緯に重点を置いて書いた。本記事では論点に重点を置いて書いていく。

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★目次
2.パクり(盗作・剽窃)問題の論点
2.1 手順に関する権利のようなものは存在するのか?
2.2 手順のオリジナリティに関する検証
2.3 将棋書籍におけるオリジナリティ
2.4 参考文献について
2.5 本件ははじめての事態
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◆前回『第一回「パクりをめぐる経緯と論点」①経緯』

2.パクり(盗作・剽窃)問題の論点

2.1 手順に関する権利のようなものは存在するのか?

 これはそもそも論である。
 将棋の棋譜や手順そのものに「著作権」「先に発見した者の権利」などはあるのだろうか?8月3日にsuimon氏から千田氏の抗議内容を聞いて思ったのはそのことだった。
 過去に戦法に関しては居飛車穴熊の元祖をめぐる裁判があったと記憶している。だが、手順について同一であるから抗議した――という議論は聞いたことがなかった。おそらく今回の千田氏の抗議が公的な性質を帯びるものの中ではじめてになるのだろう。
 しかも、その手順が千田氏が複数のコンピュータソフトを対局させることで生み出したものということも本件を特殊な事態とさせていた。(千田氏は自分で考えたと主張するかもしれないが、C-bookの成り立ちを考えると自動生成であるとするのが普通だ)

 棋譜に著作権があるかどうかについては、日本将棋連盟からの公式のアナウンスはない。また、裁判所による判例も存在しない。(棋譜の著作権に関しては別の回でより詳しく調べて書かせていただく)

 では、手順の著作権となるとどうか。
 これをあるものとしてしまうと、厄介なことになる。極論だが、誰かがネットで公開している新手や手順を見て、プロが公式戦で指す――という行為も危うくなる。
 手順自体に権利がないことは明白ではないか。そもそも、「C-book」も先人が見つけた数多くの手順で成り立っている。(ソフトが自分達の力だけで見つけた手だ――などの言い分に意味はない)

 想像力を働かせれば、強力なPCとソフトと財力を持った人間が、膨大な数のソフトを駆動し対局をさせ、定跡を自動生成して公開し、権利を主張したらどうなるのか――という問題も出てくる。これはSF的想像力ではなく、やろうと思えば実際にできることなのである。(内容が追加され膨れ上がっていくC-bookの現状を見るに、千田氏はこれと同じようなことを行っている)

 「手順には著作権がない」ことが明白であるならば、「手順のパクり(盗作・剽窃)」という概念も存在しない。あるとすれば、「道義的な問題」だろう。千田氏側が法律論で責めているのか、道義的なもので責めているのかははっきりとしない。
 別記事で語ることとなる論点ではあるが、「道義的な問題」で責めるのであれば、それは批評・論評でやればよい。マイナスの論評を詫び文として出版社のHPに掲載させる行為は異常である。

参考:伊藤雅浩弁護士の見解

2.2 手順のオリジナリティに関する検証

⑧ p.100~p102【重要】『(C-book_2017)』  
⑨ p.106~p108【重要】『(C-book_2017)』

 上記の手順は千田氏の主張によると彼のオリジナル(初出)であるらしい。実際そうだったとしても特に議論に影響はないのだが、一応検証しておきたい。
 既にsuimon氏が8月4日の時点で資料を提出しているが、私もfloodgate(コンピュータ将棋対局場)の過去の棋譜検索を行って確かめてみた。
 ⑧⑨の手順は千田氏が「C-book_2017」を発表する以前(一部同時期)に出現していた。
 もしかしたら千田氏は発表が遅かっただけで発見自体は先にしていたのかもしれない。しかし、少なくとも「⑧⑨は普通にコンピュータに読ませたら本線として出てこないはず」ということはありえないのではないか。

◆追記
上の私の論証よりも、suimon氏が作成した報告書(下のツイートに添付)のほうが圧倒的にわかりやすい。手順が同じ部分があっても、価値判断や加えられている解説が違う。

↓suimon氏の検証が掲載されたツイート。

2.3 将棋書籍におけるオリジナリティ

 マイナビ出版の詫び文にはこうある。

その他にも参考文献からの引用が多く、差別化が行われておらず、誠に申し訳ございませんでした。

「コンピュータ発!現代将棋新定跡」についてのお詫び/マイナビ情報局

※参考文献・引用に関する論点は第二回で詳述する。

 千田氏は書籍に関して「オリジナリティ」が重要であると思っているらしい。私もオリジナリティは大切だと思う。ただ、千田氏は書籍におけるオリジナリティを「手順(将棋の指し手)」だけだと思っているのではないだろうか。
 ある戦法を解説しようとする時、共通了解の部分、アマチュアにも知っていてもらいたいプロでは常識になっている手順の部分を解説することがある。アマ高段者向け以外の書籍ではこうした「オリジナリティのない手順」の解説だけで終わるようなものもある。
 果たしてこうした書籍は「オリジナリティがなく」「差別化が行われておらず」「価値が低い」のだろうか?
 そんなわけがない。同一手順を使っていても、様々なレイヤーで差別化を図ることは可能だ。

「解説の文章(価値判断が異なる場合、対象読者の棋力に合わせた書き方、文体の違いなど)」
「局面図としてどこを切り取るか」「章立て・編集」「キャッチコピー」「局面の形勢判断の数字」etc.

 書籍編集者であればより多くの項目をあげることができるだろう。同じ手順を解説していても、差別化が行われ、オリジナリティがあり、価値がある――というのはよくある話なのだ。これはやはり論評の範囲になると思うが、私は「現代将棋新定跡」は差別化が行われており、価値があると思う。

2.4 参考文献について

「現代将棋新定跡」の巻末にはどのようにして書かれたかについて以下のような資料が掲載されている。

・参考文献
・参考ブログとその他(本件に関連するのは「その他」に該当する、「千田翔太六段作成の定跡」という言及である)
・使用したフリーソフト
・使用したパソコンのCPU

 正直に言ってここまで詳しく誠実に参考文献について記載したマイナビ出版の戦術本はない。suimon氏がアマチュアとして初めて書籍を出すに辺り、ほうぼうに気を遣ったことがうかがえる。参考文献の欄で言及することによって、先行研究者や棋士達に敬意を表したのだ。
 
 特に角換わり▲4八金型においては、作中の文章内でも千田氏の功績と先行研究に敬意を表する文章が頻出する。

P56
「その中でプロ棋士の千田翔太六段がいち早くプロ公式戦でこの作戦を用いた。」
p57
「2016年NHK杯の決勝戦で千田六段この作戦を採用(C図)。結果敗れはしたものの、大きなインパクトを与えた。」
p59
「プロ間では千田六段がいち早くこの形を採用し、各棋戦で高勝率を挙げ、升田賞を受賞した。」

 だが、千田氏はsuimon氏が参考文献その他で「千田氏作成の定跡」を挙げたことを逆手にとって責めてくることとなる。私が「千田流二段構えの無敵論法」と勝手に名付けたロジックである。「参考文献で挙げてるしいいんじゃないの?」を「参考文献として挙げているからこそアウト」とするロジックだ。
 私はこのロジックを聞いて「この人は正義感や将棋界の未来のために抗議をしているのではなく、suimon氏の名誉を確実に傷付けたいのだな」と感じた。終始一貫して「謝罪文の掲載」を求め続けたのもそれが理由だろう。
 千田氏はsuimon氏が参考文献として挙げようが、挙げていなかろうがどちらの場合でも抗議を続けられるロジックを見出したのだ。 

 千田氏の二段階目のロジックに関しては第二回で詳述する。

2.5 本件ははじめての事態

 本件は将棋書籍において「同一手順」が問題となった初めての事態である。これは今まで公に問われてこなかった論点であった。ここまで厳しく細かく、いち将棋書籍の妥当性を問うという事態も初めてである。
 多くの論点は「これまで指摘されたことのないもの」「まだルール作りさえ行われていないもの」「そもそも論点に挙げるのが適切ではないと思われるもの」であった。

 途中、和解やうちうちでの解決、将棋書籍作りの新しいルール作り――など別の道をとることもできた。しかし、千田氏側が求めてきたのは終始一貫してHP上での謝罪文の掲載であった。
 そして千田氏側の見解は現在(9月7日時点)でも変わっていないようだ。マイナビ出版は両者のメッセンジャーとなることで、見解の表明を免れようとしている。当事者であるマイナビ出版にその態度は許されていない。マイナビ出版は立ち位置を明確にするべきだ。

 業界におけるはじめての事態において、アマチュアの書籍を執拗に攻撃し続ける千田氏の態度に私は強い疑問を抱いている。本件における千田氏の姿勢・動機・責任などに関しては別の回で指摘・考察していきたいと思う。(続く)

③その他

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