第二回「参考文献を巡る経緯と論点」②論点

 前回は参考文献をめぐる経緯を中心に書いた。本稿では論点を中心に考察していく。

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★目次

0 千田氏の主張
1 論点
1.1 手順には権利がないので問題ない
1.2 参考文献問題と詫び文に因果関係がない 
1.3 千田基準を実際に適用すると(C-bookトラップ)
1・4 floodgateでC-bookトラップを回避する
1.5 マイナビ出版の書籍は千田基準を適用していない
1.6 現代将棋新定跡と千田翔太六段作成の定跡
1.7 千田流無敵論法
1.8 論理としては面白いが、人間社会に当てはめると壊れるものがある
1.9 まとめ

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◆前回→第二回「参考文献を巡る経緯と論点」①経緯

0.千田氏の主張

 千田氏の2巡目の主張については前回書いたが、大事なことなのでここに再掲する。

<千田氏の新しい主張>
・「現代将棋新定跡」は巻末の参考文献に「千田翔太六段作成の定跡」と記載している。
・参考文献として記載している以上、故意ではなかったにせよ、同一手順がある部分についてはそれが引用であることを明示しなければならない。


1 論点

1.1 手順には権利がないので問題ない

 手順に対して先に見つけた者が主張できる著作権のようなものは存在しない。これは、『第一回「パクりをめぐる経緯と論点」②論点』で詳しく書いた。手順は将棋界の公共財産・共有財産であり、オープンソースと言えるだろう。
 参考文献の文章と同一の部分があれば、引用を明記するべきであるが、手順で同じ部分があったとしても引用を明記する必要はない。
 千田氏の新しい主張も、「手順に権利はない」という大きな論点の下では何の有効性も持たなくなる。

 議論としてはこれでおしまいで、「現代将棋新定跡」の参考文献の書き方には何の問題もない。

 以下はロジックをこねまわすのが好きな方向けの議論になる。

参考:伊藤雅浩弁護士の見解

1.2 参考文献問題と詫び文に因果関係がない 

 仮に「現代将棋新定跡」における参考文献の書き方に問題があったとしよう。その場合に謝罪すべきなのは「参考文献・引用を正確に書くべきだった」ことである。
 しかし、実際の詫び文は違う。

2018年6月に発売しました「コンピュータ発!現代将棋新定跡」において、参考文献として挙げた千田翔太六段が作成した定跡(「C-book_2017」など)の手順と同一の部分がありました。
引用:将棋情報局/『「コンピュータ発!現代将棋新定跡」についてのお詫び』/魚拓


これは事実だ。手順が同一の部分は確かにある。

その他にも参考文献からの引用が多く、差別化が行われておらず、誠に申し訳ございませんでした。
引用:将棋情報局/『「コンピュータ発!現代将棋新定跡」についてのお詫び』/魚拓

これは理が通らない。

・手順が同一の部分があること。
・参考文献からの引用が多いこと。
・差別化が行われていないこと。

について謝る必要はないのだ。
(下2つについては論評だ。仮に手順に何らかの権利があったとしても、引用を明示し、引用が主ではなく従であるなら特に問題はない)

謝るべきことは、
・参考文献と引用の書き方が正確でなかったこと。(各ページにおいて、同一手順の部分の引用元を全て明示しなかったこと)
のはすである。

 結局のところ千田氏は「現代将棋新定跡はC-bookのパクりである」ということを言葉を変えて言わせたかったに過ぎない。マイナビ出版もそのように書かなければ千田氏の感情がおさまらないことを理解していたからこそ、こんな論理破綻した詫び文になってしまったのである。

1.3 千田基準を実際に適用すると(C-bookトラップ)

<千田氏の主張>
・参考文献として記載している以上、故意ではなかったにせよ、同一手順がある部分についてはそれが引用であることを明示しなければならない。

 上記の千田氏の主張を実際に適用するとどのような事態になるのだろうか?
 千田氏の主張とマイナビ出版担当者の解釈によれば、「C-book」と同一手順・同一局面があるページ全てに「これはC-bookからの引用です」と書かなければいけないことになる。

 言ってしまえば「C-book_2017」はコンピュータソフト同士で指された1万3,176局の棋譜データ集である。これは序盤の指し方のかなりの部分を網羅できる量だ。7~8割ぐらいのページに「C-bookからの引用」と書かなければならなくなる。これはC-bookがすごいというよりも、似たような構成の棋譜データを作ると同じような現象が起こるのである。

 また、C-bookは非常に使いにくい定跡ファイルである。局面を指定して検索することができないのだ。「C-book」を参考文献に挙げ、同一手順部分を引用明示しようとすると、書籍のすべての手順をひとつひとつ逆引きして探さなければならない事態になる。
 担当者は千田氏に対してこの作業を怠った――という落ち度があるらしいのだが、そんな馬鹿げた作業を定跡書を出すたびにやるつもりだったのだろうか?

 「C-book」について参考文献欄で言及すると様々なものがついてくる。私はこれを「C-bookトラップ」と呼んでいる。
 現状、これから将棋の定跡や手順について何か書く予定のある人は、参考文献に「C-book」を挙げるべきではないだろう。

1・4 floodgateでC-bookトラップを回避する

 実際に「現代将棋新定跡」に「C-book」の引用明示が強制され、適用される場合、私ならどう書き直すだろうか?
 簡単である。
 引用部分の手順を全て「floodgate」ベースで記述する。現代将棋新定跡を執筆する上で、「floodgate」の棋譜の使用許可は明確に出ていたからだ。
 「C-book_2017」の手順は「floodgate」の棋譜でほぼカバーできる。これは棋譜データとして「floodgate」の情報量のほうが大きいからである。(検証のため私がダウンロードしたfloodgateの2017年の棋譜は7万5245局もあった)
 
 「C-book」は将棋定跡の標準・基準となりうる可能性を秘めた試みであったと思うが、今回の事件によってその可能性は閉ざされた。(標準・基準として使うにはリスクが高過ぎるため)
 今後はやはり、プロ棋士の棋譜とfloodgateの棋譜データが将棋界の標準・基準となっていくだろう。

1.5 マイナビ出版の書籍は千田基準を適用していない

 マイナビ出版社の書籍は千田基準(参考文献の手順と同一部分がある時に、各ページでそれを明示する)を適用していない。
 そもそも、マイナビ出版は定跡書について、参考文献の類をほとんど書かないという緩い方針でやってきている。ごくわずか例外もあるのだが、そうした書籍に千田基準は適用されていない。「現代将棋新定跡」以降の本でも同じである。「現代将棋新定跡」だけ別の基準で捌くのは不公正である。アマチュアに対する蔑視であると言ってよい。
 私はマイナビ出版の他の本に千田基準を適用しろとは言ってない。千田氏の言い分のおかしさに気付いてくださいと言っているのである。

1.6 現代将棋新定跡と千田翔太六段作成の定跡

「現代将棋新定跡」には以下のように千田氏作成の定跡についての言及がある。

↑「コンピュータ発!現代将棋新定跡(suimon マイナビ出版)」kindle版p252より

 よく見ると「C-book」の文字はない。「千田翔太六段作成の定跡=C-book」という解釈もあるが、角換わり▲4八金型の先駆者であり升田賞を受賞した千田氏の定跡全般をやんわりと指している風にも解釈できる。
 実際の「現代将棋新定跡」の書かれ方は後者に近いので、後者の解釈でも構わないはずだ。引用がどうたらという話も消える。

1.7 千田流無敵論法

 千田氏がどのように考えて2巡目のロジックに至ったのかはわからない。
途中で思いついたのかもしれないし、実は最初から考えていたのかもしれない。最初から考えていたとするならば、ある意味すごいと思う。
 先に手順の権利を言い出すことによって、千田氏は詰将棋のように相手を追い詰めることができたからだ。
 論理の流れは次のようになる。

<千田氏側の論理の流れ>
①(千田氏)手順の権利のことでクレームをつける。
②(suimon氏側)「現代将棋新定跡」は千田氏の定跡を参考文献として掲載しています。問題ないと思いますが。
③(千田氏)それって「C-book」ですよね。
④(suimon氏側)そうなりますね。★これで言質が取れた
⑤(千田氏)じゃあ、同一手順の部分は全部引用明示しないと駄目ですよ。あなたの本には大きな瑕疵がありますね。
⑥(マイナビ出版)詫び文を掲載します。

 ここまで読んでの行動であったなら、なんかすごい。

1.8 論理としては面白いが、人間社会に当てはめると壊れるものがある

 上記のロジックは面白い。思いついた千田氏もそのロジックに惚れ込んでしまったのではないだろうか。
 ただ、論理として形式は成り立っていても、人間社会に適用すると壊れてしまうものもある。

 手順の権利に関する問題、今後の将棋書籍の利便性・公益性、C-bookという定跡ファイルの特殊性……様々な現実における障壁の中で千田氏のロジックは壊れてしまう。
 そして何よりも千田氏の2巡目のロジックには心が通っていない。公共心に欠けている。各種業界のいわゆる"ゴロ"に近いロジックの立て方、行動であることに気付いて欲しい。あなたは若いが既に社会的地位のある有力な棋士なのだ。将棋界の公益を重視する視点は持つべきであろう。


1.9 まとめ

 千田氏の当初の「パクり」に関する主張も、2巡目の「参考文献」に関する主張も成り立たない。
 「手順に著作権のようなものはない事実」によって千田氏の主張は全て退けられる。

 結局、本件は何だったのかというと「一人の棋士によるアマチュア将棋書籍執筆者への圧力事件」であった。出版社が著者ではなく、棋士の主張と体裁を重視したがために著者への人権侵害(詫び文の掲載)が今(9月11日現在)もなお続いている。

 本件を放置すれば、ひとつの悪しき前例ができてしまう。千田氏は「C-bookと同一手順がある」と抗議を行うことで相手を屈服させることができるようになる。(日々巨大化し続けている「C-book」と同一手順の部分を出さないで定跡書を作るのは至難の業だ)
 千田氏ではなくとも、同じロジックで相手の謝罪を求めることが可能になるだろう。これは将棋定跡の健全な発展を阻害する。将棋界の公共を汚染する。

 今、この時点で止める必要があるのだ。

(続く)


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