第六回「棋譜・手順・定跡ファイルの権利について」

 本件では、関係3者が棋譜・手順・定跡ファイル等の権利についての法的知識を持たないまま事を進めた。長年将棋書籍を刊行してきたマイナビ出版にすら、そうした重要な知識の積み重ねはなかった。
 今後将棋に関する文章を書いたり、コンテンツを制作する者は、棋譜・手順・定跡ファイルの権利について最低限のことは知っておくべきだろう。

 本稿では、伊藤雅浩弁護士のツイートや、著作権法に関する書籍を参考にしながら、棋譜・手順・定跡ファイルの権利についてまとめていく。

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★目次
1.棋譜の権利
2.手順の権利
3.定跡ファイルの権利
4.まとめ
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1.棋譜の権利

 本稿を書くにあたり、棋譜の著作権について書かれた法律書を探してみた。すると「著作権法第3版」(岡村久道 民事法研究会 平成26年9月3日初版)に明快に書かれていた。以下、該当部分を引用する。

***棋譜

 囲碁、将棋等の棋譜の表記方法それ自体はアイデアにすぎない。棋譜に記入された対局者の着手や指し手それ自体は、当該対局の勝敗に向けられた対局者のアイデアそのものなので、対局者による本法上の創作的表現とはいえない。記録者による棋譜への記入も表記方法に従った不可避的表現である。それゆえ、これらに著作物性は認め難い。これに対し、競技の観戦記や解説書は、ありふれた表現でなければ創作的表現といえようが、その保護は創作性のある表現部分のみに限られる(本書8.4.4.2)。そのため、着手それ自体を第三者が自らの作品中に記載し、もしくは他の者が他の対局で模倣しても、観戦記等に対する侵害は成立しない。ただし、プロ競技者の氏名等を無断使用したときは、パブリシティ権の侵害となることがある(本書2.3.5.4)。

引用:「著作権法第3版」(岡村久道 民事法研究会 平成26年9月3日初版)、p47~p48

 かなりはっきりと書かれている。

・棋譜に著作権はない。
・観戦記や解説書の創作性のある表現部分には著作権がある。

 というのが結論だ。棋譜に著作権がない理由が「アイデア」だからという解釈は初めて知った。

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
(著作権法第一章第一節第二条一)

 上記が著作権法上の著作物の定義となり、棋譜はこれらの全ては満たさないので著作権法上の著作物ではないということになる。(棋譜は「創作的に表現したものであって」に当てはまらない)

 以前、藤井聡太の対局の棋譜中継を配信者が行い、権利者が警告を行ってやめさせたことがあった。
 このケースでは権利者側は棋譜そのものの権利を主張することは難しいが、パブリシティ権やその他もろもろをからめることでようやく警告ができた――ということになる。


2.手順の権利

 棋譜には著作権がないので、その部分となる手順にも著作権がないのは当然のことだろう。
 手順に権利があるとしてしまうと、対局で模倣してよいのか――という疑問が出てくる。一手指すごとに誰かに指されていないか確認しなければならなくなる。それでは将棋というゲームが壊れてしまう。

 「現代将棋新定跡」の場合は、「C-book_2017」と同一手順が出てくるという事実を千田氏に問題にされた。しかし、その主張を通してしまうと、そもそも「C-book_2017」も既に発表された棋譜や書籍、定跡ファイルと同一手順の部分が大量にあるよね――という話になってしまう。なぜ千田氏だけが独占的に手順の権利を主張できるか。やはり驚くほど筋が通っていない。

 手順や戦法の発見者は、法律ではなく、別の枠組みで評価されることになっている。たとえば、「升田賞」などはその典型だろう。また観戦記や解説の中で「この手は〇〇さんが研究した」「この手は〇〇さんが公式戦で初めて使い好成績をあげた」といったふうに触れることもある種のマナーとなる。
(千田氏が今回自分の権利を主張した部分は、千田氏が発見者であると確定付けるのが難しいものだ。そもそも「現代将棋新定跡」では、角換わり▲4八金型における千田氏の功績にも十二分に言及しており、マナー的にもマイナビ出版の既存書と比べて筋が通っていた)

 賞での顕彰や、解説内での言及、参考文献による言及を行うことで名誉を与える――というのが、研究促進のためによいのではないかと考える。

3.定跡ファイルの権利

 「C-book」はコンピュータソフト同士を対局させた膨大な棋譜の集合で、勝率や採用率などを基準にして編集されている。このようなものを「定跡ファイル」と呼ぶ。さて、この種の「定跡ファイル」は著作権法上ではどう位置づけられるのだろうか?
 弁護士の伊藤雅浩氏の本件に対するツイートを見てみよう。

 伊藤氏の言う「編集著作物」とは一体何なのだろうか?条文を引用してみることにする。

編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。
(著作権法12条1項)

 伊藤氏が後半部分で言っていることは、過去の判例で言及されている。

著作権法により編集物著作物として保護されるのは、編集物に具現された素材の選択・配列における創作性であり、素材それ自体の価値や素材の収集の労力は、著作権法によって保護されるものではない

(松本清張小説リスト事件/東京地裁平成11年2月25日判決)

 定跡ファイルを作成し、数多くの棋譜を収録したとしても、その一部分に対する権利が発生するわけではないということだ。

4.まとめ

 今回、棋譜や手順に関する著作権について調べてみて感じたのは、「著作権法に関する基本的な知識で辿り着ける結論なのでは?」ということだ。棋譜の権利については、2017年朝日杯での藤井聡太の対局の実況中継中止警告事件でも話題になった。マイナビ出版や千田氏にこのあたりの知識がないというのも不思議な話である。アマ側が誤魔化されることなく反論することを想定していなかったのではないだろうか。

 「現代将棋新定跡」をめぐる今回の事件があったからと言って、今後棋譜や手順の扱いに関して特に萎縮する必要はない。これまで通り、ツイッターやブログ等で自由に発信・検討をするのがよいと思う。それが現在の将棋界を盛り上げることにもつながる。

 それなりにしっかりしたコンテンツを作る時は、参考にした棋譜や書籍、定跡ファイルに言及するとよいだろう。これは言及しなければ罰を受けるという類のものではなく、マナーとして運用されるべきだと考える。
 本件のように参考文献として言及したことを理由に謝罪させようとする行為は、参考文献として言及しにくくさせ、研究同士の横の繋がりを阻害してしまうことになる。多くの書籍・コンテンツから参考文献として言及されるのは本来は名誉なことなのだ。

 
 次回は最終回として、何か事件が起こった時の将棋界の反応や倫理観について書いてみたいと思う。


参考:
「著作権法第3版」(岡村久道 民事法研究会 平成26年9月3日初版)

(続く)

 

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