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強烈な現実化(引き寄せ?)体験-私の場合(海外移住編1)

最近、私は相当強烈な現実化(引き寄せというのか)をやったんだなと気付いたので自慢がてら披露しようかな。うわー、承認欲求丸出しー。

夫と対話なしセックスなしになって5年くらいたったころ(2人目は体外受精で授かりました)、人生の一大決心をしました。夫の元を去る、子供を2人連れて、家も仕事もコネもないニュージーランドへ。一応、ビザだけは10年ほど前に取得していて、私は住む権利も仕事をする権利も持っている。子供はビザ申請してないので、その時点ではビザはなかった。下の子はまだ2歳だったなあ。おっぱいは飲んでなかったけど、おむつはまだしてた。

なぜそんな無謀なことをしたかというと、自分の人生を取り戻したかったんだよね。このまま、愛のない結婚生活を続けて、ひたすら子供を育てて、気が付いたら年取っていて、あとは冷めきった関係の夫と老後を何となく過ごす、という人生は私は望んでない。そして、私は被害者意識をつのらせ、夫への恨みと怒りでいっぱいだった。あいつのせいだ、あいつが悪いんだってね。

自分の人生を取り戻すってことは、私にとっては自立するってこと。まずは経済的自立を目指した。日本ではこれはものすごく難しいことがわかった。東京で保育所を確保するのがどれほど難しいか分かった。求職者はまず保育所に入れない。そして、年齢差別性差別が当たり前。子育てをある程度終えたら35歳超えてたなんてざらにある。そしたら年齢制限にひっかかって面接すらできない。運よく就職できても、必要があれば残業するのが普通。でも保育所は定時に閉まる。近くにじじばばは住んでない。夫は深夜まで毎日働く。パートアルバイトも探したけれど、幼稚園の送り迎えの間にできるような時間はすでに人が足りているって言われた。人手不足っていわれてるけど、それは夜勤務とかなのかな?何だこれ?子育てで仕事から離れていたお母さんが再就職するのって猛烈にハードル高い。罠かって思ったよ。一度、ドロップアウトしたらもう戻れませーん、ってか?自分でビジネスを起こすしかないよね。これで、成功してる人いもいるけど、当時の私には自分ビジネスは考えられなかった。

で、ビザがあるからニュージーランドの求人にも応募してみた。そしたら、面接には呼ばれるんだよ!スカイプ面接ね。年齢差別、性差別、人種差別しないんだよ!私にチャンスをくれたのは日本じゃなくてむしろニュージーランドだったんだよで!も、欲しかった結果は得られなかった。面接で英語がくそ下手なのがばれて、お終い。

第2子が4か月の時から、日本とニュージーランドの就職活動を粛々と続けた。応募しては落ちての繰り返し。下の子が8か月のとき夫の海外赴任が決まり、嫌々ながら付いて行くしかなかった。日本で私を養って住まわしてくれるところがないからね。赴任先で就職に役立つかもしれないと思ってオンライン講座で勉強をした。この講座に15万くらい自分の貯金を使ったよ。このときはものすごい出費だって思ってて、決めるのは思い切りが必要だった。結果的に、その講座が役に立ったのか現地のコンサルタントに雇ってもらった。って言っても、超安月給だよ。最初は月200USDでその後上がっても450USDよ。それでも、現地のメイドやドライバーの月給よりは高いのよ。で、フルタイムで働いたよ。下の子におっぱいやりながら。ビビりながら6年ぶりに仕事したよ。出張にも行ったし。小さな会社でいい人に囲まれて楽しかったな。いい経験だった。でも、このままじゃいけないと思ってた。だって、自立には程遠いもの。この給料じゃ自分も子供も食っていけないよ。夫に頼るしかないよ。で、ニュージーランドの就職活動も粛々と続けてた。でも仕事は得られない。

で、その会社で1年くらい仕事したころ、決めた。ニュージーランドに行くって。仕事も家もないけど。"there is a will, there is a way"を信じることにした。私の人生だから私が切り開く。もう、誰かが雇ってくれるのを待たない。このとき39歳だったかな。

夫に話すのも勇気が必要だった。でも、話さないとね。もちろん反対された。が、相手は引き下がった。私は戦闘態勢だったから、肩透かし食らった感じだった。今まで、夫への恨みと怒りを燃料にして突き進んできたので、燃料の火力が弱まった感じがしたよ。一応、2年くらいしたら戻るという条件で。子供の永住権が下りるのに2年くらいかかるからね。内心はもう戻ってやるものかって思ってた。でも、NZでやっていけるかは全く不明だった。失敗したら、負けを認めて夫のもとに戻るしかない。そして、残りの人生、仮面夫婦と主婦をやるしかない。

赴任先からニュージーランドへの引っ越しも大変だった。フルタイムで仕事しながら、私と子供2人分の荷物をできるだけ少なくかつ安くニュージーランドに送った。夫は一切手伝わない。恨まれてるからね。

まずは、赴任国から日本に向かった。子供の新しいパスポートが必要だったから日本の実家に10日間滞在した。その間、父から毎日責められた。仕事のあてもない、何もない、しばらくは貯蓄でしのぐ、なんてめちゃくちゃだの、無責任だの、自分勝手だの。私が決心するまでは、ニュージーランドで生活をすることに好意的で、むしろ手伝うとまで言ってたのに。手のひらを返された。私は精神的に追い込まれて、毎日不眠だった。家族にも親戚にも理解者がいなくてつらかった。この件で、父には見切りを付けた。

NAさん(彼とは10年来の友達でした)とはメールでときどき連絡を取り合っていて、彼だけが理解者で応援者だった(涙)。

日本からニュージーランドへのフライトの前日に仕事が決まった!!!以前スカイプ面接したコンサルタント会社からのジョブオファーだった。赴任国での仕事に関連する仕事だった。あの安月給の日々がニュージーランドでの就職につながった!この奇跡よ。これぞ引き寄せというのか?当時は必死過ぎて、そんなことも考えもつかなかったけど。

このあとも、山あり谷ありだったけど、道は徐々に徐々に切り開かれていくのです。。。私、本当によくやったなあ。

長ーいので続きはまた。

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