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コロナ時代の教育。No more「みんな一緒」

小学校の、同調圧力、いじめ、不登校、落ちこぼれ問題、吹きこぼれ問題(この言葉には初めて出会いました)、小一プロブレム・・・。

「教育における「みんな同じ」が生んだ大きな問題
教育哲学者が説く、150年ぶりの学校システムの変革」という記事の中で教育哲学者の苫野先生が分解してくれています。いやですね、「みんな同じ」という日本語(笑)。嫌悪感すら感じます。

対談記事の中で、コロナ時代に教育現場はこう変わるべきだとして、わかりやすくお話してくださっているので簡単にまとめたいと思います。

これからの教育はこうありたい↓

【学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合】

・自分のペースで自分の心地いい学び方・場所で、人の力を借りたり人に力を貸しながら学びあう(ゆるやかな協同)

・「探究をカリキュラムの中核にしよう」答えを持っている教師像から、共同探求者、探求支援者という教師像へ。(とても素敵)

・「みんな同じであるべき」という発想をやめる。3年生で5年生のことをやりたい子もいるし、5年生で3年生に戻ってやりたいという子どももいる

子ども抜きで、大人たちが「これをやらせなきゃ」「あれをやらせなきゃ」と言って与える一方通行→子どもたちとともに学びを作っていく教育。

本当にその通りだと思います。

日本マイクロソフトの澤円さんが好きで彼のVoicyを良く聞くのですが、緊急事態宣言が終了したタイミングのラジオで、

「コロナがひと段落した今、戻るべき部分は戻り、アップデートするところはアップデートする、という考えがいいんじゃないですか?ニューノーマルという言葉があるくらいなんだから」「この機会に気づいた、今まで我慢していた嫌なことがあるはず。そこにわざわざ戻る必要はありますか?改善できることはしていきましょう」

と仰っていて、こちらも全くその通りだなと思いました。(私は大昔、澤さんがセンター長を務めるマイクロソフト社のテクノロジーセンターに勤めていたので、余計ひいきしているのかも(笑))

目下我が家では「学校という存在の捉え方と今後の付き合い方」については意識的にアップデート中です。


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