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「もしも、あなたの家に幽霊が出るとする。」

世間は「八咫烏シリーズ」が第9回吉川英治文庫賞を受賞したとのことで盛り上がっておりますが、それはさておき「ゴースト・ハント」です。

小野不由美著『ゴースト・ハント2 人形の檻』(KADOKAWA、2020)

いや、全然関係なくはない。
聞くところによると、この「吉川英治文庫賞」は、小野主上の「十二国記」シリーズや、上橋菜穂子さんの「守り人」シリーズも受賞しているとのこと。
阿部智里氏の「八咫烏」シリーズを読んで、「上橋菜穂子系統と小野不由美系統の子供みたいな作家が現れたな」と思ったのですが、あながち間違っていなかった。
多分同じ感想を持たれた方は多いでしょうね。

さて、それはさておき「ゴースト・ハント」の2巻ですよ。
これは小野不由美氏の「悪霊」シリーズ(講談社ティーンズ文庫)をリライトして角川から出したもので、しかも小野主上の初めてのシリーズだとのことで、つまりどういうことかというと設定された時代が古い。
「十二国記」時点で、わたしは1980年代のやや都会の高校生または1990年代前半の地方の高校生を想定して読んでいるのですが、この「ゴースト・ハント」シリーズは都会のど真ん中渋谷にありつつも、機材が大きかったりビデオの(ビデオの)電池が一晩持つか持たないかだったりと、古き良きごつい機材を彷彿とさせてくれる、大変趣のある作品である。
いまならスマホ3台くらいで済みそうな「現場検証」と「実地観測」を、高校生から大の大人までが汗水流して設置しているのをみると、なにやらのどかでいいですねぇ、という気がしてしまう。

違うそうじゃない。
これはホラー。
これはホラー。

ホラー作品における科学技術の進歩というのは、推理小説におけるそれと似たようなものでしょう。
「原因」が霊か人間かが違うだけで、「異様な事件」を解き明かすという点では同じなわけですよ。

その点では、ホラーの方が「相手は人外だから」で済ませやすいのかなぁ?
でも人外には人外なりの法則性がある(なければ除霊などできない)ので、その法則がいずれ科学的に解明される日は来るのでしょうか。
こないかな。
犯罪者がどうして犯罪を犯すのかを科学が証明できない限り、悪霊の証明もできない気がします。
だって悪霊も生きてるもの。
いや、生きてないか。
でも意思があるでしょ?
んーわからん。

さて、人形というのは美しいし愛玩として良いし収集にも向くわけですが、人形、「人の形をした、人ではないもの」に恐怖を覚えるのは古今東西変わらないんでしょうか。
この話ではフランス人形が鍵になっています。
あのつるりとした愛らしいお顔、一つだけならいいけどたとえば10体あったらわたしはちょっとその部屋には入りたくないですね。
そういう話が有栖川有栖にあった気がする(ミステリー)。

人形は怖い。
それは人の形をした、人ならざるものだから。
でも多くのひとは、小さいときに人形で遊んだことがあるでしょう。
その、「日常的にそばにあるもの」が「非日常」の側にあったとしたら、やっぱりそれは怖いなと思います。

ところで推理小説もなんですけど、わたしホラーもネタを覚えていないことが今回発覚しました。
ペラペラと後ろのほうまで読み返してみて、「あーなんかそういう話だったわ」とは思ったものの、肝心のオチまで思い出せません。
なんででしょうね。
まあ何回でも楽しめるのでいいんですが。

どうしてこういう、「忘れちゃう能力」を記憶を失って読みたい作品には発揮できないのでしょうか。
わたしは『烏に単は似合わない』を記憶を一切失ってもう一度読みたい。
もう一度あの衝撃を受けたい。

あれ、「八咫烏シリーズ」に話が戻ってきましたね。
あれもまた、人の形をした、人ならざるものの話でした。

おあとがよろしいようで。

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