鍵

空白の時間

今日は話し方の講座をしようと思っていたのですが、4月になったら、音声でやってみようかぁなどと、浮かんだもので(笑)今日は、普通のエッセイ風でいこうとおもいます。
もし待っていてくださった方がいたらごめんなさい!

「私は一人の時間がとても大事だっなぁ」と、ゆったりした時間の中にいるときには、そんなことを思い返すのです。
一度そういう時間を取ってしまうと、忙しくてゆとりのない毎日になると、なぜかアワアワして静かな時間が取れなくて苛々がはじまります。
でも、忙しさから脱して、何もやっていない空白の時間が突然訪れると、何か落ち着かないという、相反する気持ちも確かに芽生えてややこしいのですが(笑)

私は高校時代、寮生活を送っていました。
先輩後輩が混じった4人部屋で、一人になれる時間は、ベッドの中か、娯楽室という場所しかなかったのです。学校を休んで、皆が登校して静かになった寮の部屋で寝ているときの静けさや、雨の日に娯楽室でぼんやりしているときの静けさがよみがえってきます。そして、ゆったりと身体がゆるんでいた事を思い出します。

ものづくりや物書きといったクリエイティブな方々には、想像が湧き出す時間というものが必要なように、誰にでも「静かな」時間が必要です。

東京のように、恵まれた交通環境や生活環境にいると、夜の7時や8時に真っ暗になる町など想像できないかもしれませんが、お店が閉まってからの静かな時間というのは、その昔、大切な人との会話や愛を育む時間として、本を読む時間や、想像を膨らませる時間、自分自身と向き合う時間がとして、確かに人々と共にありました。

私は、日本人が少しおかしくなった(少子化も含め色々な側面で)のは昼と夜の境目がなくなった事が影響しているのではないかと思っています。
人は音や光に晒され続けていると、神経がいつも過敏に動いているような状態で休まることがありません。それが、苛々にも繋がり、精神的な余裕が無くなり攻撃的にもなるのだと思っています。
けれども、それでは社会生活が立ち行かない。という方がいるのは承知の上で、話は少し脇道にそれますが、私は24時間営業が少なくなることには大賛成なのです。
飽和した日本社会には、「待つ」ことや「考える」という時間を作ることが、大切だとも思っています。

便利な毎日に慣れてしまったり、動いていることが当たり前になっている人には、止まることや、静かな時間というのは、最初は不安になると思うのです。でも、東日本大震災のときに、暗くなった町を見て、東京は明るすぎたのだと、思ったように、そうした時間をあえて作ってみることが、きっと人生を豊かにすることは間違いないと思っています。
キャンプをしてみるのも良いし、海外への一人旅でも良い。
慣れ親しんだ環境から脱出してみること、誰かと一緒ではない一人の時間を過ごすこと。不便な生活の中に何が隠れているのかを、自分自身で探してみること。とても大切だと思っています。

もうすぐ元号が変わり、10連休が待っています。
是非、1日でいいので、自分にとっての「空白の時間」を過ごしてみてください。そうした時間を日常大切にしているという方は、「空白の時間」「静かな時間」をどう過ごすか。その時間を何に使うのか。
をもう一度見直してみてはどうでしょう?
それが新たな一歩に繋がるかもしれません。

人は寂しがりやです。
けれども、あえて一人で「空白の、静かな時間」をつくること。
それが必ず人生を豊かにする。私はそう信じています。


今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
また明日、同じ場所で。


choko


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