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韓国ひとり旅#2「映画のように演劇を見る文化」

私は20年ほど演劇携わってきましたが、今から6年前に演劇のプロデュースという大しごとを最後に、演劇からどんどん足が遠のいて行きました。
その理由の1つが、日本の小劇場というスタイルの限界と、日本における演劇文化の先に未来を見ることができなくなったからでした。
その一方で、質の高い演劇を小劇場で見せる、韓国の大学路(テハンノ)と呼ばれる地域に以前より興味を持ち続けていたのです。

先ず最初に、共通認識として知っておいて頂きたいこと。
それは、日本の小劇場に立っている人たちは演劇を見よう見真似で始めた人が多いということです。専門学校の演劇科や声優科と呼ばれるところで講師をやっている人もまた、そうした演劇人が多いのも実情です。
日本には演出家や演劇教育者を育てるシステムや学校がありません。
ですからこうした形になるもの致し方ありません。
そして演劇をやっている若者たちは皆、自分たちでノルマと呼ばれるチケットを何十枚も捌き舞台に立ちます。それが劇場費になり、音響や照明費になるのです。バイトをしてお金を溜めて舞台に立つ。こうした悪循環から、日本の小劇場に立っている役者たちはいつもお金の面では疲弊しています。

活気に溢れた街・大学路

韓国四大門の1つ「東大門」から1つ目「恵化駅」を地上に出ると、そこは若者が沢山いる活気溢れる街でした。
日本でも下北沢が小劇場のメッカですが、これほど活気はありません。

地下鉄の通路には、上演中の演劇がずらりと大きく掲げられている。
街全体で、演劇を支えている。という印象を持つ大学路。
下北沢は劇場が多いけれど、ここまでの告知はありません。日本の演劇関係者は韓国の取り組みを見てみると良い刺激と勉強になると思いました。

システムの違い

劇場に入ると、二台のモニターがありました。
このモニターで劇場の座席の配置などの案内が流れるシステムです。
そして、スポンサーのCMというかVTRが流れるんです。
日本ですと、小額の場合はチラシにお名前を入れたりするのですが、こちらは映像でしっかりと印象付ける。すごいシステム!そしてこれはとっても良いアイディアだと思いました。驚いたことがもう1つ。
私が観劇したのは平日の17時からの回で、この芝居、上演時間は1時間半なのですが、なんと!14時、17時、20時と、1日三回公演。
日本はだいたい14時と19時の2回が普通です。驚きでした。
役者さんの体力が持つのかしら?と心配をしたり。

文化としての演劇

一番羨ましいと思ったのは、平日の3回公演なのに、お客様がちゃんと入っていること。最初にみた作品は3分の2の入りでしたが、お客様の座席がバラけないように、当日に窓口で座席をその場で割り当てていくシステムです。日本は先に席を決めていくので、空席が目立つというこも起こりますが、韓国の場合は、当日にセンターから埋めていくスタイルでした。勿論空席はありますが、一体感が生まれやすいのではないかと思いました。

演劇でデートをする

劇場がたくさんあるので、劇場の周りには公園があったり、座れるコンビニがあったり、カフェがあったり。劇場のチケット売り場で待ち合わせをして、楽しそうに入って来ます。年齢層も様々でしたが「今日は演劇見る?」「面白いらしいね」という人が沢山いて、開演までの時間をお喋りしながら待っている。まるで映画をみるように演劇を見に来るカップルがいる。
これ、日本ではないんじゃなかろうか。
こうして見に行った芝居で、役者さんのファンになったり、作品のファンになったりして、また劇場にお客様を呼び込めるスタイルって、とても良いと思いました。演劇が映画のように文化の一つになっている国。
以前行ったイギリスでも同じようなことを感じましたが、日本の小劇場、演劇界に欠けているものをしっかり見据えていかないと、日本で演劇が文化になることはないのではないか。そんな危機感を感じました。

大きな格差

私が感じた大きな格差は、意識の違いだけではなく、本当にしっかりと演劇を学んだ人、あるいはそれを受け継いでいる人が舞台に立っているという、本質の格差でした。
演劇をイギリスの先生について学び始めたとき、口をすっぱくして言われたのが、

「役者は、自分を役に近づけるんじゃない。自分が役に近づいていくんだ」

という言葉でした。日本には、どんな役をやっても芸名のその人、役者本人にしか見えない人が沢山います。思い当たる人、いませんか?
そして、もう1つ。

「場にいること」「今、ここで生きること」

これが出来ている役者さんとそうでない役者さんの大きな差は、言葉が通じなくても、それが真実として伝わってくる。ということです。
言葉の壁なんていうのは小さな事なんだと思えてしまうほどの力があります。
そして、それを証明されてしまったのです。
ロシア語の芝居に続いての体験でした。

圧巻だったのは、メインキャスト以外の役者は1人何役も演じていて、皆、別の人生を生きているんだと、観客の私が信じられたこと。

丹田の文化

そう、俳優たちのレベル差。
残念だけど、一本の芝居にこんなに素晴らしい役者さんが列挙しているリーズナブルな小劇場の芝居は、日本では見られないと思いました。

身体の軸がしっかりしていて、全員が「丹田」で支えて声を出している。身体の力みがまったくないのです。
日本でも「腹」という言葉があるように、しっかり「腹」をくくって生きているんですねぇ。後から、韓国の方に尋ねたら、韓国は「丹田呼吸」の文化があると聞きました。これ、本当に大きな違いです。
人は嘘をつくと「丹田」にはいられない。ですから、ふわふわしてしまうので、私は目の前の人がどういう人なのかを見抜くのがとても得意なのです。
「腹」で生きているかどうか。
ここにも日本との大きな差を感じました。

写真は駅の近くにあるチケットボックス。
大学路で上演中の芝居がここに来ると全部分かる。チケットも買えるシステム。

韓国から日本に戻って1週間。
気軽な、お買い物旅行ではなく、一人旅という大きな経験だったので、韓国が恋しいというよりも、濃い経験をして人生の転換点になったなぁという思いの方が強いのが実情です。
ご飯を食べることも、買い物をすることも、バスや地下鉄に乗ることも、歩くことでさえ。
感じ、考えなくてはいけない瞬間が沢山ありました。
世界中が揺れている中で、今、日本に暮らす私たちに必要なことは、一人一人が「私」の、自分の意見を持ち、そして、「自分」の腹で生きられる国であることが何よりも大切だと感じています。
煽動されたり、流れに乗ることは簡単なのですが、そこに何故自分はそう思うのか。という自分の意見を持つことが何よりも必要です。

そして、これこそが「演劇」の基本でもあります。
自分と繋がり、そして相手と繋がっていく。この大切なことを疎かにしている国、それが日本という国であるように思えてなりません。

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