内側

「誇りをもつ」ことと「誇示する」ことは違うのだ

世の中、紙一重のことがとても多い。
「誇りを持つこと」と「誇示」することもまったく違う。それは内側と外側の違いとでも言っていいかもしれない。

「誇りを持つ」ということは、内側の問題だ。
例えば何かをやり遂げた時に、その結果如何に関わらず、そこに至るまでのすべてを認め、納得していくもの。それが「誇り」で、外側のジャッジや批評などとはまったく無縁のもの。

逆に「誇示」は、外側を問題にする。
自分が〇〇をしたのはすごいことだ。であったり、自分がこういう役職だ。こんなことも出来る。なんていうことを外に極端にアピールする。外に自分の価値を必要以上に見せていこうとする行為。いつも、外側から見られる自分を気にしている状態。「褒めて、褒めて」「見て、見て」という、子どもにありがちな行動もここに入るように思う。

外側に判断基準を持っている限り、人は、いつも人の目に映る自分を捜し求めるようになる。行動がすべて、それを基準に回り始めることになる。
頼りにされること。何かをしてあげることが、自分の価値基準になっていくということでもあって、とても危うい。人に頼りにされることや、何かをしてあげることが心地よくなってしまうと、お腹の中に「もっと期待に応えなくては」という思いがどんどん広がり、ムクムクと湧き上がってきてしまうからだ。

そして「やってあげた」という考えは、相手からの「反応がどうであるか」が一番になっていってしまうのだ。誇りを持つところからは、どんどん遠いところに自分の身を置いていくようになってしまう。

立場が上になったり、難しい仕事を任されたり。
そこまでの道のりから1つ階段を上がる度に、私たちはいつも自分に問いかけなくてはならないのだ。
「驕ってはいないか」「それは自己顕示欲ではないのか」
「初心を忘れてはいないか」いつも、内側をちゃんと整えていること。
それが、誇示に溺れない唯一の方法かもしれないと思う。


今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
また明日。同じ場所で。


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声や言葉の使い方。これまで学んだ演劇を普段使いで使って頂けるようなことを。そして日常での気づきや様々なことを書きます。サポートをいただけたら収録機材に使わせて頂きます。

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Choko.Nishimura

ナレーター/フリーアナウンサー/インタビュアー 6年前に乳がんになってからガンサバイバーとも呼ばれる人。AmazonAudibleにて原尞作「そして夜は甦る」「私が殺した少女」「それまでの明日」発売中です。
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