F1世界選手権パーソナル・セレクション番外編③【雨のいたずら】

本稿の主眼は下記リンクを御一読下さい(そんな大した話じゃないが)。

「雨=波乱」というのはステレオタイプに過ぎる気がして今まであまり挙げなかったがここでまとめて。


1989年第11戦ベルギーグランプリ(8月27日)

セナ、プロスト、マンセルなどこの時代の役者たちの雨との向き合い方が凝縮された好レース。ホンダエンジン通算50勝を達成。
なお名門ロータスは参戦407戦目で初の2台揃って予選落ち。土曜の夜、チャップマン未亡人がバーニー・エクレストンに何とか決勝に出走できるよう取り計らえないかと持ちかけたが、流石のバーニーも「もうそういう時代ではない」と断るしかなかった。

1989年第16戦オーストラリアグランプリ(11月5日)

日本グランプリの混乱が尾を引く中、色々とっ散らかったレースだが中嶋悟の好走が全てを洗い流した。1987年以来、人種差別的なコメントまで交えて中嶋を否定していたマレー・ウォーカーとジェームズ・ハントがシャッポを脱いだ瞬間。

1990年第5戦カナダグランプリ(6月10日)

雨の上がり際が、実は1番怖いことを教えてくれたレース。
前年雨のレースで2勝したブーツェンがこの罠にはまり、F1ドライバーとしてのキャリアに暗雲が垂れ込める遠因となった。
フランス語圏のカナダグランプリはいつも気合を入れて臨むプロストだがどうもかみ合わない。
結局勝てたのは現役最後の1993年。

1996年第6戦モナコグランプリ(5月19日)

オープニングラップから5台が消え、その後も有力選手が次々にいなくなる展開。完走わずか7台、2時間レースのチェッカーまで走り切れたのは4台。無限エンジンの初優勝。当時自動車メーカー以外のバッジを冠したエンジンが制することは稀で快挙だった。

1999年第14戦ヨーロッパグランプリ(9月26日)

3幕の悲喜劇というかスタートから終盤まで色んなことが起こるレース。何も知らない方はとにかく1度見て欲しい。雨に加えてテクノロジーとヒューマンエラーの交錯がドラマを演出した。

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