F1世界選手権パーソナル・セレクション①【ジョイントNo.1同士の激闘】

1950年5月13日、イングランドのシルバーストーンにおいて「世界ドライバーズ選手権」の名で始まったF1世界選手権(この名称は1981年から)は2020年に70周年を迎えた。

筆者は物心ついた頃からの自動車好き、レース好きでカーグラフィックのコラムなどを通じてF1を知ったが、関心が膨らんだのは多くの皆様と同じく、1987年にフジテレビ系列で始まった全戦放送がきっかけ。

本稿はリアルタイムでテレビ観戦したレースから個人的お気に入りを御紹介するミニシリーズ。
今回はいわゆるジョイントNo.1ドライバーとして同じマシンに乗る2人が繰り広げた激しい攻防戦を挙げる。


1987年第7戦イギリスグランプリ(7月12日、シルバーストーンサーキット)

マンセルの地元でポールポジションを獲得したピケが、タイヤ無交換作戦で逃げきりを図る。一方、マンセルはタイヤ交換して追い上げる作戦。
残り周回わずかとなったハンガーストレートでの見事な一騎討ち。
中嶋悟選手の健闘でホンダエンジン搭載車が1-2-3-4を達成。
マンセルの応援に前年の全英オープン覇者グレッグ・ノーマンが来場。
ノーマンは1986、1987年に惜しいところでマスターズ優勝を逃し、マンセルもワールドチャンピオンに手が届かなかった。
ひとを引き付けるパフォーマンス全開の一方で不運やミスによる負けもある、そんな共通点を持った2人。

1988年第7戦フランスグランプリ(7月3日、ポール・リカールサーキット)

地元フランスでセナの連続ポール獲得を止めたプロスト。
レースは序盤うまくリードするが、途中タイヤ交換のもたつきでセナの先行を許す。10周ほどでセナの背後に接近したプロストはじっくりチャンスをうかがい…両雄の高速コーナーでのバトル。

中嶋悟選手も手堅いレースを見せるが思いもよらぬトラブルで入賞を逃す。

1988年第10戦ハンガリーグランプリ(8月7日、ハンガロリンク)

セナ5勝 プロスト4勝 ポイントは3点プロストリードで迎えたレース。
予選でポールポジションを獲得したセナに対してプロストは7位に沈む。
スタートからトップを守るセナに追い上げたプロストが終盤の1コーナーで仕掛ける…その結末は。タイトル争いの行方を決定づけた一戦。

1988年第15戦日本グランプリ(10月30日、鈴鹿サーキット)

勝てば初のタイトル獲得のセナがポールポジション。ところが痛恨のスタートミスで中団に埋もれ、プロストが序盤をリード。セナはマシンをかき分けるようにして順位を上げ、ついにプロストの後までたどり着く。

ホームストレートにおける鞘当てを空撮で捉えた中継テクニックは関係者から絶賛された。
オープニングから当時の制作陣の意気込みがうかがえる。

グランプリウィーク開幕直後に御母様を亡くした中嶋悟選手は予選でチャンピオン経験者のピケと同タイムの6位につけた。が、スタートでまさかのエンストを喫し24位まで後退。怒涛の追い上げを見せたが7位に終わった。
好スタートでなくとも普通に発進できれば入賞は確実だったと思う。

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