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米津玄師、ハチ問題

タイトルと、僕の自己紹介を読んでる方ならお気づきかと思いますが
僕のように捻くれた性格の人間は

今、米津玄師やAdoを好きな人が苦手です。

まぁ、それは極端な言い方ですが、何が言いたいかというと
ハチだった頃に好きだといって聴いていた僕を、「オタク」「キショい」と罵ってきた、あの「奴ら」が、今幸せそうに好きだと言っているのが、どうも気に食わないのです。

とはいえ。
時代は動いていくものであり、あの頃の歌い手たちも、僕たちのような根暗だけに届けばいいと思って歌っていたわけではないと思うので、仕方ないことかなと。

誰だって、新しく好きになるタイミングはあるし。
ただ好きになられたのが嫌なんじゃなくて、迫害されてたのに、好きになられてるのが嫌なのかも。

この感情には「声が届かない存在になってしまった」という焦燥感も含まれていると思いますし、「昔を知っている」と言う一種の独占欲もあるかと思いますので、まぁ僕も気色悪いんですけどね。

ボカロに限らず、バンドや芸人がストリートから売れていくことに寂しさを覚えるように、かつての彼らを知っているからこそ感じる部分かもしれませんね。
(いや、でも、キショイは悪口やろ。)

なので、僕は今流行っていないものや、苦手なものの存在を、否定する世界は良くないのかなと思いました。

生きにくさは仕方無いものですが、逆に生きやすくなった時に、何かつまらなくなりますね。生きやすくなったときはすでに、皆に認められている存在となるわけですから、そのものを好きでいることに何も特別ではなくなります。要は、ただの一般人になってしまうのです。皮肉なものですね。

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