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画用紙の仏壇 その11

一目で親子だとわかる顔立ちの男性ふたりが、大きな巻物を抱えて診察室に入ってきた。布団の端から生気のない女の顔が見える。ゆきの父が「榎本です」と頭を下げると、医師の今野は眉をひそめて言った。

「お父さん、これじゃ娘さんの診察ができません。布団の紐をほどきましょう」
「そんなことしたら暴れますよ」
「看護師がいるから大丈夫です。ご家族はそちらにおかけください」

医師は慣れた感じで二人に椅子を勧めた。外来の看護師の佐竹恵が「失礼します、ほどきますね」と優しい声で言った。

布団から解放されたゆきは額の汗を拭い、かすれた声で「水ちょうだい」と言った。すぐに佐竹恵が水の入った紙コップを手渡した。ゆきはゴクッ、ゴクッと喉を鳴らして一気に飲み干した。

診察は静かに始まった。

ゆきは、隣に座った佐竹恵にもたれかかっていた。彼女は医師の質問に小さな声でポツポツと答えた。しばらくすると「疲れた……。眠い……」と呟いて目を閉じた。

医師は慎重な手つきで触診を行いながら、入院の話を始めた。ゆきはその言葉に反応せずユラユラと体を揺らしている。やがて体格のいい男性の看護師が、彼女を車椅子に座らせて部屋の外に去っていった。

父と兄は流れるようなスタッフの動きを黙って見守っていた。昨夜から張り詰めていたものが消えてホッとしたものの、この先の不安と自責の念が入り混じった後味の悪さが残っていた。

医師が二人に入院の計画書と書かれた紙を見せながら話し始めた。

「娘さんの話では神戸で安藤タツオという人と暮らしていたようです。籍を入れてるかはわかりません。タツオさんは事業に失敗して破産した。それから彼がどこで何をしているのかはわからないと」
「はあ」
「でも急に、安藤タツオさんが政財界の大物で、いろんな国の組織に狙われていると言い始めました。自分は彼を助けなきゃならないんだと」
「昨日、警察に保護されたときもそんなことを言ってました」
「安藤タツオは、一緒に暮らしていたタツオさんとは別人なんじゃないですかね」
「はあ」
「何がどこまで本当なのかわかりません。でも、入院して休ませたほうがいいと思います」

医師は、考えられる病名や治療を淡々と説明し「鍵のかかる病棟ですけど、大部屋だからいいでしょう」と少しくだけた口調でつけ加えた。

その様子に、父と兄は「どうやら最悪という訳じゃないんだ……」と感じた。

人々の熱気が少しずつ冷め始めた。外から風が入ったように室内が涼しくなった。引き締まっていた医師の表情が緩んだように見えた。

「榎本さん、診断の確定はこれからです。もし私がお伝えした病気なら100人に一人の割合で発症します。親の育て方は関係ありません。遺伝もしません。しっかり治療すればかならずよくなります。これだけは忘れないでくださいね」

父はほかに選択肢がないと思った。「先生、どうぞ娘をお願いします」と言って頭を下げた。兄は苦々しい表情でそれを見ていた。彼には医師の言葉が気休めのようにしか思えなかった。

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