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花言葉

友達と話す際、
「金運はないかもだけど、人運はすごくある~!」
と言って笑いあうことがある。
私はそんな自分の人生を気に入っている。


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父も義母も低め安定ながらも体調が落ち着き
ちょっと一息つけると思っていた夜、
前職場でお世話になった先生が急逝されたと連絡がきた。
ほぼ2週間前の出来事。
この時期にしては冷え込んだ春の夜だった。


知らされた瞬間、あまりにビックリして声も出ず。
そこから数日、
家事をしても、本を読んでも、TVをみても
ふとした瞬間に、何ともいえない寂しさや哀しさが突如うかび、胸がキュッとした。


先生はプロテスタントの敬虔なクリスチャンだった。

先生が亡くなられた週は、
キリスト教では今年の四旬節の最終週。
日曜日はイースター(復活祭)。

クリスマスが『生誕』であるなら、
イースターの前の40日間は四旬節と言い、
『受難』・『死』・『復活』について考える時期とされている。
カトリックの幼児洗礼を受けたのん気な私でも、
クリスマスとイースターは
さすがに「特別な期間」の意識はある。

その最後の聖週間に、先生が天に召された。
「何か神様の計らいがあったのか…」と頭で思いつつ、心では「何でかなぁ…」の疑問符が拭えなかった。
そして、今も拭えていない。


イースターの前日から、
私の住む地域は急に春めいてきた。
でも、その暖かさを素直に受け入れられない自分もいた。

後日、
先生が日々の穏やかな生活の延長線上で眠るように帰天されたことを知った。
最初、病名が心筋梗塞と聞いた時に、
ものすごく苦しかったのでは…とか、痛かったのでは…と想像していたが、
苦しみの中で悶えてではないことを感じ、気持ちが少しホッとした。

先生は母とほぼ同じ歳。享年80歳。
でも、スケジュール帳はいつも真っ黒だった。
先生の都合がつく時間を探すのが大変だったぐらい。
「前日も職場で新年度の準備をされていた」
「その日も日課の散歩も夕ご飯の支度も全てされていた」と聞いた。
先生は、最期の日まで自分らしい歩みをされていた。


先生は指導型ではなく、対話・相談の方だった。
「どうしたもんかねぇ。。。どう思う?」
「あれは、〇〇ってこと?」
明解な答えを指し示すというよりは、
その人が自分で考え、探して、答えを見つけるのを見守るスタンスだった。
そして、「思い立ったら、やらなければならないのよ!」だった。
行動の方でもあった。

私は先生の一番弟子でも、すごくすごく近しい関係でもない。
ただ、先生は
どの子に対しても、
どの人に対しても、
同じ熱量でお話される。
同じ熱量で1対1で向き合われる。
私に対してもそうだった。
私はそのお姿が好きだった。


葬儀告別式の日はどうしても参列できず、
その時間、東の空を見上げながら手をあわせた。
前日の大雨の影響で曇天だったが、
急に雲がきれ、その時間だけ陽がさした。
不思議というより、
『あぁ、やっぱりそうだなぁ』と感じた。

以前、先生とアドレス交換をした時に、
メルアドに『nonohana(野の花)』が入っていた記憶があった。
自分の足元をみると、
カラスノエンドウとタンポポの花が咲いていることに気づいた。


写真にとり、ふと思い立ち花言葉を調べると、
カラスノエンドウの花言葉は
「小さな恋人たち」「喜びの訪れ」「未来の幸せ」

タンポポの花言葉は
「愛の神託」「幸せ」「真心の愛」


子ども達を小さな恋人のように愛しみ
その子達の未来に幸せと喜びが来ることを願っていた先生。
神様を愛し、人を愛した先生。

花を通してメッセージを受けた気がした。
そして、春の日差しを受けながら
「地道に誠実に。これからも前を向いて進んでいきなさい」と、
先生が背中を押してくださっている気がした。




ただ、そうは思っても、何とも言えない寂しさ・哀しさは、やはり残る。
気持ちを直ぐに切り替えるのは無理難題。
かなしみは時薬の効果を待ち、
先生との想い出は忘れないで心にとめておこうと思う。


先生なら、こんな時はどう判断されますか?
先生なら、どんな言葉をかけますか?

多分、私はこの先も
心の中で先生と対話を続ける気がしている。


ストック 花言葉は「豊かな愛」


春の夕景



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