「蒼生2019」への少し長い編集後記・2

6~15回まで一気に書こうと思ったのですが長くなったので10回まで。

第6回も模擬特集です。一応発表ということになっていました。11/3は文化の日および学祭だったので11/10です。この日、それまではあくまで「模擬」ということだった模擬特集を、実際の「蒼生」に載せられるようにはからうと先生方から言われ、そのためにもう一度練り直して来週改めて発表すると通達されています。
これはある意味二度手間なので、妨害や遅延行為にあたるといえばあたるのかもしれません。ただ僕は学祭その他サークルのことで忙しく、この日も欠席か早退したので、あんまり詳しく知らないのですが……。まあ裏返せばその時の学生の「編集実践2」への意識なんてそんなものだったとも言えるかもしれません。毎回何人かは休んでました。
今から思えば不自然な気もしますが、このくらいの遅れは別に大学で2年過ごしてきた中では割とよくあることと分かっていたので、あまり気に留めませんでした。

第7回。
「文学とハラスメント」によると市川先生が突然の休講を宣言した日となってます。17日です。正直、あまり覚えていません。ここまで休み続きであまり特集にコミットできていなかった上、所属していたサークルでの役員候補者質問会がこの授業の前にあり、この日の僕の精神が9割9分そちらに持っていかれていたということが主な理由です。でも発表が翌週にずれ込んだことは覚えているので、公式の授業は休講になったのだと思います。

ただ一方で、この日は全く別の文芸サークルの活動費を、授業を終わりの方に抜けて学生会館まで支払に行きました。これは僕の記憶でもあるし、LINEにもしっかり残っているので確かなはずです。
つまり、この日の休講は「主管の市川先生がインフル疑いで欠席のため、コンペの発表をすることができなくなった」という意味で、北原先生はいらっしゃっており、グループ単位での擦り合わせ、模擬特集の議論はなされていました。なので一言で「休講」と言うのは、やや正確性を欠くかなと思います。
出席は確かに取られなかったのですが、前回授業と同様のグループワークは行われています。もちろんこのことが遅延行為にあたるのではないかと言われれば、客観的にはそうかもしれないのですが、僕個人としては「大学ではよくあること」だったということは重ねてですが書いておきたいと思います。これが「編集実践2」に固有の不可解な動きだったという訳ではない、と僕は考えています。

第8回。
各グループの特集企画案プレゼン大会(コンペ)です。形式としては各班が一通り発表したあと、原則一人一票で学生が投票した形です。投票と同時に、「もし自分の投票した企画が通った場合なんの役、仕事をやりたいか(校閲、ライティングなど)」も書くことになっていました。結果発表は翌週に持ち越され、この回はブレゼンだけで終わりです。やけにさっぱりしていますが、それはさておき「やっと蒼生が動き出すのか」という気分になったことは覚えています。授業としてもまあまあまともな回でした。宮崎駿というビッグネームをどう活用するか、誰と並べるのか、各班が意見を出し合いそれぞれが個性ある企画を出していたと思います。
また、この授業で本企画の他に自主企画をやりたい人は次の授業までに希望を出すようにという通達も出されました。次の授業(9回)で一覧が出され、そのつぎ(10回)で企画趣旨を説明して人を募るという予定でした。

第9回。12月の頭です。コンペの結果が発表され、僕の班が出した特集企画「あなたとして生きる」がメインの特集として通ることになりました。先ほど第8回のところで原則一人一票と書いたのは、「◯班がよかったけど◇班も捨てがたいです」みたいな投票の仕方をした学生が何人かいたためです。そういう人の票をどう集計したかは不明なのですが、票数的にはそんなの関係ないくらいに差が開いたのでそんなに影響はないのかなと思います。
また、全員の投票兼希望役割票が全部そのまま並べて印刷されたものが第9回に出席していた学生全員に配られているので、この点にもごまかしはないと考えられます。

第9回では、発表と同時に特集内の各企画への人員割り振りも行われました。基本的には投票時の希望をもとに、出席者にはあらためて意見を聞くなど、各人の希望に合わせていたと思います。人数調整の問題もないではないですが、そんなに大きなものではなかった印象です。なお僕の班は特集の立案班だった(つまりコンペで勝った班だった)ために、各企画のデスクに分かれ各企画統括にまわるよう指示されています。
欠席者もいたためこの回で人員が固まった訳ではなく、しっかり役割分担まで決まったのは次の第10回です。
これ以降、デスク班となった僕の班以外の班は解散し、特集企画の班で行動することになりました。

第10回。
各企画に分かれて
・インタビュイー選定
・依頼&取材スケジュール検討
・ページ数の割き方会議
などを行いました。
その後、自主企画のプレゼン。この時だけ文ジャのチーフである堀江先生がいらっしゃいました。発行者は文ジャになるので、そのための措置だったと聞いています。文ジャのトップ(この表現で正しいかは知りませんが)がまったく知らないまま企画を載せる訳にはいかない、ということのようでした。
ここで堀江先生が関わったことが、のちの「蒼生2019」の舵取りにも影響したと言えそうです。

なお、プレゼンなのですが、このとき「紙の本」企画主宰の方が来られないということで、いったん企画書のみが学生に共有され、次の回(11回)で再プレゼンの運びになりました。よってこの回でなされた自主企画プレゼンは「文学とハラスメント」のみになります。自主企画案の提出は「紙の本」「文学とハラスメント」の二つだけでした。

この時点では「文学とハラスメント」は
・笙野頼子さん他、フェミニズムの視点で注目されている小説家および詩人の方数人へのインタビュー
・インタビューと同時に、学生側が考えたいくつかの質問に回答して頂く
という二本柱で説明されていました。その後原稿が完成するまで僕はこの企画に関わらなかったため経緯は不明ですが、実際に完成した企画はこの説明の時とは大幅に内容が変化していることは事実と言えるでしょう。

以上が「編集実践2」中盤の内容です。「文学とハラスメント」によれば、おそらくこのあたりで様々な遅延行為や妨害があったということが語られています。僕は僕の見たこと、覚えていることだけを書いています。この授業の裏で何があったかは知りません。もしこの裏でハラスメントがあったとしたら、それは由々しきことであると思います。

また、一つ印象深い出来ごともありました。8回か9回か忘れたのですが、本企画以外の企画について市川先生とのちに「文学とハラスメント」企画を主宰した学生の方(笙野頼子先生のご寄稿に倣い"kさん"とします)が意見を交わしたことがあったのです。先生方の板書では、自主企画はだいたい10pくらいと書いてあったのですが、それにKさんが質問しました。質問というより、食って掛かる、というような調子だったので今でも覚えています。あれは今思えば、あの時点で既にKさんとしては腹に据えかねるなにごとかがあったということなのかもしれません。
これはもちろん臆測でしかなく、何かの暴言や具体的な妨害があったのか、Kさん側と市川先生側ですれ違いが起きただけなのか、事実は知らないとしか言えないのですが、授業内でそうした軽い衝突がすでに見られていたことは述べておきます。とはいえその時の僕は「ずいぶん熱心な人だ、よほど自主企画でやりたいことでもあるのかな」という風にしかとらえていなかった訳ですが…。

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