見出し画像

🐦本日無料❤️😎東京を撮影開始して半世紀になるのを記念してライカモノクロームで撮影する。

カメラホリックの撮影で京都に行ってデジタルライカで撮影して既に全て入稿を済ませた。それに勢いを得たと言うところであろうが、手元のライカモノクロームで撮影を開始した。テーマは私が撮影している東京である。今更ながらなぜ東京をデジタルライカで撮影するのかということについて自分のバックグラウンドについて考えてみた。

尊敬する写真家高梨豊さんがカメラ毎日で1966年の1月号に東京人と言う名作を発表した。これは30ページ以上にわたる作品で当時高校生であった私はびっくりしたものだった。この東京人ショックに勢いを得てそのまま日大写真学科に入学したわけである。

高梨さんの取材メモによると1年ほどの撮影時期でトータルで8x10プリントが300枚近くになっていたとある。1年間にわたって撮影して300枚と言うショットは今のデジタルカメラ業界では恐ろしく少ない。そこが名人高梨豊の凄いところだ。

日本カメラの連載で3年間. Today Tokyo 1964-2020. を現在展開しているのであるが、当初は高梨さんの真似をしてライカでモノクロフィルムで撮る予定だった。ところがどうもそれが時代の速度に合わないような気がして、iPhoneなどを使うようになってしまった。しかしこれはどうも良くないなと言うことが連載を1年半続けたところでわかったので、デジタルライカに戻ろうかと考えた。そうなると実際に使えるのはライカモノクロームしかないと言うことになった。

大体何でもできるデジタルカメラで最初からモノクロームしか取れないと言うのは実に変なコンセプトである。先日のカメラホリックの京都取材で表敬訪問で祇園のライカに行ったのである。そこに京都店の創立5周年記念の限定盤のライカモノクロームというのが展示されていて展示品が限定5の最後の1台なのだそうである。

私はフイルムライカはコレクターでもあって製造番号のロットによる細かい違いなどよくわかっているが、デジタルライカは実は全部同じに見えます。同行のカメラホーリックの松下さんがこの限定盤はライカモノクロームであると教えてくれた。抹茶色の本体で何か京都のお菓子が欲しくなるような色彩のコンビネーションである。

そういうバックグラウンドがあって、東京の撮影をスタートした50周年を記念して東京の写真をライカモノクロームで撮ると言う国民運動なのである。

別にそこら中にある普通のデジタルカメラで撮影して後でモノクロームに直せばいいんではないかと言う声もいろんなところから聞こえてくるが、これは精神的な問題です。アルチュールランボーは彼の人生で撮影したショットが全部で8枚だったと言うのを聞いてびっくりしたが、乱暴の撮影したのは全部モノクロームであったと言う事を心に止める必要がある。

使うレンズは21ミリ。先日の京都ロケではズミルックス21ミリを使ったけれどもあれは重いので今回は使いません。ちょうど10年前にフィルムライカでカイロに撮影に行ってアサヒカメラに8ページほど掲載したことがあった。その時に1番使ったレンズが21ミリのコシナレンダーなのである。もうレンズはボロボロでヘッドがグラグラしているが、バックフォーカルはまだ大丈夫そうなのでこれを続投させる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?