この1月の初めごろに知らない人から私の経歴を送れと言うリクエストがあった。それでいい加減な記憶に頼って書いたのがこの略歴である。

田中長徳 Chotoku Tanaka

◯最新プロフィールデータ(年齢、受賞歴、展覧会歴、出版歴など)
1947年東京文京区音羽生まれ

日本大学芸術学部写真学科1970年卒業。

1969年銀座ニコンサロンで最初の個展Today Tokyoを開催。これは現役大学生としてニコンサロンでの最初の個展であった

1973年まで日本デザインセンターで広告写真に携わる

1973年から1980年まで家人の音楽大学留学随行してオーストリアウィーンに在住。毎日ライカを持って街を彷徨ワイン酒場で酒の手を上げる。

1976年から78年まで現代日本写真家展を企画開催。当時の現代写真家22名のうちの1人としてオーストリアドイツの公立美術館で巡回展。これは戦後最初の西ヨーロッパでの日本の現代写真の展示となった

1981年から1982年まで文部省派遣芸術家としてニューヨーク近代美術館で写真を研究。

1982年から2014年までチェコ共和国プラハにアトリエを構える。
この30年のビロード革命を中心としたプラハの取材が実を結んで後に雑誌新潮で屋根裏プラハとして24回の連載をした。翌年単行本化。

日本写真協会年度賞1992年に受賞。

東京大阪新潟ニューヨークパリウィーンプラハなどで写真展

出版物は写真集、エッセイ集、カメラ随筆など125冊以上
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◯長年に渡る、今までの活動について

1979年から1980年にオーストリアザルツブルク国際写真ワークショップでストリートフォトグラフィをMITの学生に教える。同じワークショップにはシンディーシャーマン、ラルフギブソン、細江英公。

2005年にオーストリア国営放送局の文化番組の東京特番で出演。番組は2つあって1つは私の写真の仕事を自ら語ると言うもの。もう一つは東京におけるオーストリアウィーンのカフェ文化の話をした。その視聴率は50%。なぜならオーストリアにはテレビのチャンネルが2つしかないから。

2009年から2018年まで大阪芸術大学の客員教授を務める。

2017年から個人的写真ワークショップ
TodayTokyo1964/2020をスタートさせ現在に至る。同じタイトルのエッセイを雑誌日本カメラに連載中。

note にチョートクのカメラノートを2018年12月にオンラインマガジンとして創刊。タイトルは尊敬する写真家アルフレッドスティグリッツ
The Camera Notesによっている。

座右の銘は

写真教育不可能論

カメラはライカ レンズはニッコール
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人間関係について

エドバンデルエルスケン
Sweet Life は最初に買った写真集であった。後にお付き合いあり。アサヒカメラのインタビューでエルスケンと話して今度オランダの農場に来てくれと握手したのが彼と出会った最後になってしまった。

ウィリアムクライン
2番目に買った写真集がクラインのニューヨークであった。30年後に会ったときに本にサインしてもらった。プラハでクラインの回顧展があったときにアシスタントをしながら写真についてよく語り合った。

リーフリードランダー
スナップ写真の神様みたいなものだから私は彼の追っかけをずっとやっていた。本人に会って感激したがそれで熱が冷めてしまった。写真に対して尊敬をするのであって個人崇拝は無意味であることに気がついたのである。

ジョナスメカス
文化庁派遣の1年間の最後の週の水曜日の夕方にウェストブロードウェイでジョナス に遭遇して立ち話。翌月の12月に彼は原美術館の回顧展で来日。レセプション会場で入場していきなり私にまっすぐ歩いてきて握手してくれた。ジョナスの映画は全部見ている。

ロバートフランク
現代写真の父である。横浜美術館での巡回展の時にフランクとドイツ語で会話を試みる。彼はスイスドイツ語で私はwin訛りなのであまり通じなかったのが妙であった。

沢木耕太郎
2000年のクリスマスイヴの前の日にサイゴンの空港のラウンジで偶然遭遇した。以来対談をしたりトークショーをしたりしている。文筆家の中で写真家としてもレベルの高い人。

坂崎幸之助
四半世紀前に中古カメラ市で坂崎に自己紹介された。私はアルフィーを知らなかったので翌日月島図書館にCDを借りに行った。アルフィー結成20周年記念の豪華プログラムには坂崎と私の対談が掲載されている。

東儀秀樹
オーストリアウィーンのライカショップ27年ほど前に行った時店長が今から日本の皇室のオーケストラの第一バイオリン奏者が来るからと言った。それ以来トークショーとか書籍の対談で。

片岡義男
大手取次店の宣伝のための月刊誌で私がフューチャーされることになり誰と話したいですかと聞かれたので片岡義男先生と答えたら実現してしまった。
東京の北部を2人で歩いて膨大な写真を撮影した。片岡さんはそれを大手出版社に振り込んだのだけれど結局ボツになった。あれだけの有名作家でもボツになる。感動した。

福田和也
朝のテレビ番組に出てくる髪の毛に寝癖のついた大学教授と言う印象だった。ある出版社からお声がかかって文芸雑誌にいろいろ私を取り上げてくれた。本当は切れ者の文芸評論家なのだが私は午前10時から空いている東京の酒場をたくさん教えてもらった。福田和也から私の佃日記の出版を勧められて編集したらペーパーバックだと5000ページになる。それで1年分だけにしてハードカバーの限定本を作った。

赤瀬川原平
カメラ道楽原理主義の友人。赤瀬川さんの本に私もよく登場した。ずいぶんたくさんの本の腰巻を書いてもらった。私もお返しに赤瀬川さんの本の帯を書かせてもらった。書籍の企画雑誌の企画そして対談などで機知に富んだ楽しいカメラ話をたくさんやらせてもらった。そういうカメラライフが赤瀬川さんとあと100年は続ける予定だったのに残念である。

つげ義春
オーストリアウィーンから戻って多摩川沿いの同じ団地の住人であったことからお付き合いが始まった。時々団地中央の喫茶店で国産カメラの話をした。漫画の話は1度もしたことなし。つげさんに頼まれてニューヨークにミランダTと言うカメラを探しに行った。伝説の多摩川住宅2階の3畳間の仕事場にお邪魔したこともある。

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