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自己ブランディングとしてのカフェオレ

 私は知る人ぞ知る、カフェオレ大好き芸人である。それも江崎グリコ株式会社が誇る500mlのカフェオレ一択である。ちなみに江崎グリコ株式会社なんて初めて呼んだ。

大好きなものを大声で叫ぶと自然と寄ってくる。

 という説がある。

 例えばコンビニのパンを買うと貰えるシール。「私これ集めてるんです、リラックマのマグカップがどうしても欲しくて」とぽつり零すと、たちまち色んな人がシールをくれる。例えば好きなアニメのキャラクター。「人生の糧なんです、推しが存在するこの世界は今日も今日とて美しい」とぽとり涙すると、たちまち色んな人が口の端を引き攣らせつつもお〜いお茶とコラボした推しのアクリルキーホルダーをくれる。なんて優しい世界。

 長きに渡ってカフェオレを愛好し、そして逐一「私はカフェオレが大好きです」「コンビニに入るとたまにカフェオレ売り切れてるときあるでしょ?あれ私の仕業です」「自炊?しませんよ、カフェオレ飲むので」などとあらゆる切り口でカフェオレ好きをアピールしてきたお陰で、私にカフェオレさえ飲ましときゃあ機嫌取れると思っている輩が周りに増えてきたように思うが、全くもってその通りである。

 さて、では本題。このように何年もエブリデイカフェオレ生活を続けてきた私ですけれど、あるとき、とんでもない悲劇(よくよく考えれば至極当然の結末)に見舞われました。

 どうしたって肌荒れが治らない。

 年齢を痛感した瞬間でもあるし、ストレスを実感した瞬間でもあった。カフェイン摂取→夜寝付けずそのままツイッター徘徊マン→ブルーライトをさんさんと浴びる→睡眠の質の低下→新しい朝がきた!希望の朝だ!(絶望)。こんな感じだろうと推測。

 私、あんまりお肌のトラブルに悩まされたことがなくって、なんとなくお肌が強い(?)星の下に生まれたんだと思ってたんですけれど、シンプルに今まで若かっただけなのだと気付く。食生活を改善してみたり、いろんな肌荒れに効くと謳われている化粧品を使ったり、岩盤浴に行って汗を流してみたりなどしたものの、効果は現れず。なので私は断腸の思いで決断しました。

 そうだ、カフェオレ飲むのやめよう──。

 ◇◇

 翌日から私は、カフェオレの代わりに水を2リットル(ほんとうは1.5リットルですが中途半端だし微妙なので盛ります)飲むようになりました。その生活が一ヶ月も続くころには、あんなに手強かった肌荒れも治まり、夜中3時まで起きていた日々が嘘だったかのように0時には就寝。寝不足が解消されて身体の気怠さからも解放されたようでした。

 と、一見ハッピーエンドのように思えるかもしれないけれど、私の中にひとつの疑問が沸き起こりました。

 私のカフェオレに対する執着って、そんなもんだったの?



 悲しいときも嬉しいときも苦しいときも楽しいときも、カフェオレを飲み続けてきました。華金の夜にはビールではなくカフェオレを飲みました。残業後の自分へのご褒美はカフェオレでした。ツイッターのアイコンは一時期カフェオレでした。それなのに、勿論苦渋の決断ではありましたがそれでも、こんなにもあっさりカフェオレのない生活に切り替えられてしまうものなのか。人間、「これがないと生きていけない」とか、「この人じゃないと絶対にダメだ」みたいな台詞を吐く瞬間があるけれど、そんな依存的感情って全て思い込みで、全て偽物なんじゃないのか?という考えにまで至ってしまったのです。

 それからは暫く、私は私が思っていたほどカフェオレのことを好きじゃなかったのかもしれない、もしかしたら私はカフェオレを好きな自分に酔っていただけなのかもしれない、けれどそうだとしたら何故、一体なんのために私は今までカフェオレを好きだと散々主張してきたのだろう、と一人で悶々と悩む日々が続きました。

 そんな私に追い打ちをかけたのが、「火花(著:又吉直樹)」の中で書かれている神谷さん(主人公の師匠にあたる人物)の台詞でした。

「自分とはこうあるべきやと思って、その規範に基づいて生きてる奴って、結局は自分のモノマネやってもうてんねやろ?だから俺はキャラっていうのに抵抗があんねん」

 うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂

 傷心だった私の胸にグッサグッサと、まぁぁあ刺さる刺さる。ここまで言われてしまっては、もう白状するほかありません。


 私は、「カフェオレが好きなキャラ」を演っていました。


 カフェオレがほんとうに美味しく感じる瞬間なんてきっと温泉出たあとだけな筈なのに(というかそれさえもコーヒー牛乳に劣る)、私は「カフェオレが好きなキャラ」を演っているから華金の夜でさえカフェオレを飲むのです。SNSのアイコンなんて顔面であればあるほどいいのに(ド持論)、私は「カフェオレが好きなキャラ」を演っているから然して面白くもないのにアイコンをカフェオレにするのです。


 が、

 まあ、
 でもいいじゃん。


 「ちよろと言えばカフェオレ好きな子でしょ?」「確かにまるでカフェオレの精のような肌色をしているよね!」「今ちょろす絶賛激おこ中だから取り敢えずカフェオレでも与えとこうぜ」「誕生日プレゼント、ちょろのために金使いたくないけどカフェオレくらいならまあ買ってやってもいい」そんなふうに私のことを覚えて貰って気にして貰えたのなら、作り上げたキャラクターに則って生きるのも悪くないと思うのです。別にカフェオレ普通に好きだし。

 『△△がいればテンションが上がる』『□□があれば人に優しくなれる』『◎◎をやれば無敵になる』そんな△△や□□や◎◎に該当する人だったりアイテムだったり趣味だったりを自分で理解して自分をコントロールできるって、すっごくよいことだとおもうよ!!!!

 “それ”があれば無条件にハッピーになれる。ならなくてはならない。私はそういうキャラだから。自己暗示が過ぎるでしょうか。けれどカフェオレラブと叫べばカフェオレが寄ってくるように、幸せだと口にすれば幸せは寄ってくると思うのです。ポジティブな思考ってこういうところから生まれるとおもうんだ!!!!戦争はこうしてなくなるんだとおもう、だから私は叫び続けるよ!!!

 カフェオレが!!!すきであると!!!



 という文章を、水飲みながら書きました。

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