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幼馴染が髪の毛を切って、私が泣いた

 タイトルだけ読むと恐ろしく狂気の沙汰、情緒どうしたんだと心配になるレベルであるのだがまあ見捨てないで聞いていただきたい、昨日、大切な幼馴染の結婚式があった、結論から言うと、お色直しのタイミングで出てきた彼女は髪の毛をバッサリ切っていて、私はその日一番の号泣を見せたのだった。

私は基本的に、涙腺がぶっ壊れている。

 実はこれは、「主成分はカフェオレ」よりもずっと古くから存在する、ちよろすをちよろすたらしめる構成要素のひとつである。

・体育祭のリレーでクラスメイトが1位でゴールテープを切り、号泣
・好きな人のピアノの演奏を聴き、号泣
・幼馴染が髪の毛を切って、号泣 ←NEW!!!!

 とまあこのように、私の涙腺崩壊エピソードは年齢を重ねるごとに頻度が減るのと反比例するかの如く、常軌を逸していく。



 「なにゆえそのタイミングで泣くの!?」と実に大勢の方々から疑問符をぶつけられ、いつもなら「え〜なんか嬉しいじゃん?」とか「いやァ感動してさー、だってチョー良くね?」とか一切の迷いのない逆質問をしてやれば相手も「んんんまぁそうっちゃそうね」とふんわりと腑に落ちてくださるのだが、今回に関して言えばその切り返しは通用しそうにない。本来、幼馴染が髪の毛を切ったという事実に、“感動”や“興奮”は伴わないはずであるからだ。当然だが彼女だって別に人生で初めて髪の毛を切ったわけではない。

 昨日、沢山の人に驚かれたことにより、私も自分の涙腺に対し漸く疑義の念を抱き始めるに至った。「なんだこいつ」と、いよいよ真顔で思った。今までの人生、涙腺を好き勝手に野放しにしていたが、そろそろ私も、この涙腺と真面目に向き合わなければならないのではないかと強く思った。だから今日は、幼馴染が髪の毛を切って、なにゆえ私が泣いたのかについて──この感情的現象について、論理的に説いていこうと思う。

 ※実はこれを書いている今、私はXX歳最後の日を過ごしているわけであるが(あと二時間もしないうちに誕生日です☆)、こう、もっとXX+1歳になるに当たっての抱負だとか、その、生まれてきたことに対する一年に一度の感謝の気持ちだとか、その他諸々、書くことあるんじゃないだろうか、なんていう尤もすぎる疑問を掻き消すかのように酒をかっ喰らいながら、今から涙腺と向き合います。うぇい。

 前置きが長くなった。


 以前、「ピアスをあけると人生変わるは本当か?」というタイトルだけ学者みたいな記事を書いたのだけれど、そこで私は髪の毛を切ることの意味について、超絶個人的意見を書き殴っている。

 次の一歩を踏み出そうって、新たな旅路へ進むための決意表明のようなものなんだろうなって。

 恐らく私の根底にはそういう考えがあるのだ。

 私も数ヶ月に一度、前髪が伸びてきたからとか、毛先が傷んできたからとか、そういう理由だけれど定期的に髪を切る。そのたんびに「新しいワタシ、デビュー♪」なんて気持ちになったりはしないし、精々職場の諸先輩方に「髪の毛切ったんですうぅ」「前髪あるのとないのどっちが好みですぅ?」と朝イチ自己申告し、誰からも「髪、切ったんだね!」と気にかけて貰えない事態を免れることに全力を注ぐ後輩に徹する程度である。

 幼馴染が結婚式で髪の毛を切ったのは、本人に聞いたわけじゃないけれど、「前髪が伸びてきたから」とか「毛先が傷んできたから」とか、そういう理由じゃないはずだ。(そういう理由だったらめちゃくちゃ恥ずかしいのでそうだった場合は直ぐさまこの記事を抹消する。)

 いろいろ理由はあったのかもしれない。「短いほうが俺は好きだな」って旦那様に言われたのかもしれないし、昔の写真を見ていて「あたし短いほうが可愛くね?」って気付いたのかもしれないし、「みんなを驚かせたい!」っていうホスピタリティ精神から成るものだったのかもしれないし、つかもうこの際「毛先が傷んできたから」でもいいよ(いいんかい)、どんな理由だったとしても、切るタイミングを結婚式に持ってきた、私はその事実がたぶんめちゃくちゃグッときたのだと思う。

 髪の毛を短く切った彼女が登場したときに私が放った第一声は「聞いてない!」だ。冷静になった今、「お前は誰だ」と昨日の私の頭をぶん殴りたい。けど、無意識に放ったこの言葉が、私の涙腺をバカにした理由のすべてなのだと思う。


 ああ、行ってしまったんだなって。


 優しくて、賢くて、頼りになる旦那様の元に、ほんとうに行ってしまったんだって、新たな旅路へ進むため次の一歩を踏み出したんだなって、これからほんとうに二人で人生を歩んでいくんだなって、漠然と。

 旦那様だけは髪を切ることを知っていただろうし、知らなかったとしても一番にその姿を見たのは旦那様なわけで、烏滸がましいことは百も承知で言うけれど、私はその事実に軽く嫉妬したのだと思う(お前はほんとうに誰だ)。

 「彼女のこと、幸せにしないとぶっ飛ばすかんな!」っていう台詞なんか必要ないくらい良い旦那様であることは、何度かお会いさせていただいたなかで十分過ぎるくらい把握している。私なんかが保証するまでもなく、二人はきっと幸せになる、そう確信していたからこそ、嫉妬した以上に、心の底から良かったねって思って、私は嬉しくて泣いたのだ。

 自分の想像を超えたところに感動は生まれるって、誰かがツイッターで呟いていた。いいねは2くらいしか付いていなかったし、私もいいね押さなかったけど、私はスクリーンの前で五百回首を縦に振ったよ。

 いや、いいね押せよ。

 彼女のことだから、私がこの二千文字に及ぶ記事を書いたところで、「なんかいろいろ書いてたけどそんな深い意味なかったよw」って草生やして言い放つ可能性は往々にしてあるが、何はともあれ、ほんとうにおめでとう。

    さて、私たちには髪の毛を切る前に「髪切ろうか迷ってんねん、どう思う?」って必ず相談してくれる愛すべき幼馴染が他にいるのだが、仮に彼女がお色直し断髪大作戦を執行することになったとして、私たちに事前相談が来るだろうか、なんてこともぼんやり考えてニヤニヤしてしまった、私の友人たちはほんとうに愉快である。


 以上、幼馴染が髪の毛を切って、私が泣いたっていうお話でした、ハッピーバースデー!!!!!!!!!!!!!!


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