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孤独な主人公に惹かれる

漫画であれ小説であれ、僕はいつからか、孤独な人物が主人公の物語に強く惹かれるようになっていた。羽海野チカの『3月のライオン』や村上春樹の『ノルウェイの森』などの作品を手に入れた時はむさぼるように読み込んだし、それらは今でも時々読み返すくらい、僕の中で好きな作品であり続けていて、おそらく僕の人生に少なからず影響を与えていると思う。

どうしてその類の作品に惹かれるようになったのか、今思い返してみれば、当時の自分の状況と物語の主人公を重ねていたのだと思う。『3月のライオン』も『ノルウェイの森』も中学3年の頃に出会った作品だけれど、その時は約一年半続いた半不登校からちょうど回復しつつある時期だった。

中学3年になってからの僕はなんとか毎日学校に通うことはできていたけれど、クラスに仲のいい友達はひとりもいなかったから、学校に来て授業を受け終わったらすぐに帰る、という毎日の繰り返しだった。だから正直、とても寂しかった。誰でもいいから仲間が欲しかった。

そんな時に、母の趣味で家にたまたま置いてあった『ノルウェイの森』に出会った。主人公はワタナベという孤独な少し斜に構えた青年で、物語は彼のいささか皮肉を含んだシニカルな一人称で語られる。この感じが当時の僕に妙にぴったりとハマったのだ。「ここに仲間がいる」と中学生ながらに感じたのだと思う。

『3月のライオン』もちょうど同じくらいの時期にハマった。確か当時「この漫画がすごい!」とかで話題になっていた気がするけど、読んでみようと思ったのはやはり、主人公桐山くんの抱える深い孤独に惹かれたからだと思う。当時の僕は彼と自分自身を重ね、話が進むごとに自分の居場所を見つけて人間らしさを取り戻していく彼の姿に希望を見出してもいた。今が寂しくて辛くても、きっといつか大切な居場所を見つけて、もっと明るい場所に行けるかもしれないという救いを求めていたのだと思う。

この頃から、読書といえば夏休みの読書感想文を書くためにする程度だった僕も、多くの本を読むようになった。また媒体を問わず、物語に対する消費の仕方が「単純に面白いものを読む」から「自分と同じ仲間を見つけて、慰めとする」へと変わっていったような気がする。現実世界で仲間を見つけられない人も、物語の中では見つけられるかもしれない。物語は僕にとって、慰めであり、生きる糧でもあるのだ。

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